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オッペンハイマー

本日(2024/03/29)日本公開のオッペンハイマー。

アメリカでは昨年7月に公開されていたが日本では公開のアナウンスすらなく、ようやく本日公開となった。

思うに被爆国という日本においての公開は何かしら障害があったのだろう。Twitter(現X)ですら昨年の時点で批判的意見(おそらく映画を観てもいない)が散見されたのでそう考えた方が妥当だと思う。

加えて同時公開だったバービーとオッペンハイマーを非公式に合成した“バーベンハイマー画像”が話題となり、それをバービー公式アカウントがリツイートするという出来事もあった。

これが象徴する様に「原爆」に対するアメリカ人の一部のイメージを計り知ることができる。戦争を終わらせた喜ばしいイメージがあるのだろうか。それは自分には分からないが、そんなに間違っていないと思う。

ネタバレなしで感想を言えば、この映画は“明らかな反戦映画”であったと思う。なぜ“思う”なのかと言えばクリストファーノーラン監督は本作品にその答えを用意していないからだ。

勧善懲悪、二元論、善と悪。そういうモノを排除してある。だからこの作品から何を感じ取るか?その「問い」を観客の心に残すことになる。

ただ一つ。なぜ“反戦”と言い切れるかと言えば、原爆が主題にあるので当然ながら劇中で被曝を表現している場面がある。そこにノーラン監督の意志が込められている様に思えてならない。なぜかは実際に本作をご覧になって頂きたい。もし分からなかったらその後に調べてみても良いと思う。

またノーラン作品の醍醐味でもあるが、今回の作品も時系列がバラバラになっている。その難解さ、一筋縄でいかない感じ、コレはノーラン監督流のエンターテイメントであると思う。そしてこの構成には“分かりやすさ”に寄せたりしない“観客への信頼”がある。

映画は主義主張ではなく、そもそも娯楽でもあるのだ。原爆と娯楽を紐付けるのはやや気がひけるが。

オッペンハイマーの目線からみた「原爆」とその開発。
その目線を映画を通し共有した観客はそれぞれ何を思うのだろうか?

その「問い」を人は持ち続けないといけないと、そう私は思えてならない。



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