パラドキシカル・グッドバイ

私は新たな「構文遣い」となった。
先代の「構文力」の低さを考慮すると、きっとこの結果は、ほとんどが私の自由意思によるものなのだろう。
ならば。
終わりが来るまで……いや、私が終わりを見出すまで書き続けよう。
不格好な文章で、
不必要なまでに星空が出てくる物語を。
結局のところ、私はそのような物語が好きなのだ。

先代は言った。
物語はいつだって余分な要素から始まる。
逆に物語を終わらせるためには、必要な要素を必要な分だけ配置する必要がある。つまり余分な要素は残ってはいけない、と。
ならば。
私はここに一つの余分を残そう。
私の物語を始めるために。
例えば、私の名前。
別に珍しい名前というわけでもない。隠したいと思っているわけでもない。だからこんなの何の意味もない行為。
けれども。
そんな意味のない行為に、意味を見出す者が現れる。それが物語のダイナミズムでしょう?
さあ、始めよう。私の物語を。
私の名前は、■■■■■■■だ!【続く】

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