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【過去エッセイ】海外旅行記vol.3 発展と無法の入り混じる世界 inフィリピン

前回の記事はこちらから。

今回は第3弾、フィリピン編になる。

訪れた回数としては5.6回で、どれも1週間以上の滞在をしている。

書くボリュームが多いので2部構成で考えている。

ではいこう。

※お時間のある時に、気長に読んでください。


初フィリピン!!事件はつきない、、、


マジで物は大事にしような。

初めてのフィリピンに行くことになったのは、大学3年の夏だった。

当時、建築学科だった私は、ワークショップでフィリピンのセブ島に行けることを知った。

内容は、フィリピンのセブ島にある、歴史博物館の改修工事のデザインだった。

しかも、航空券の半分は学校が持ってくれる。

行かない手はないと思い、すぐに友達と応募する。

参加するのは、スペイン人の教授と交換留学生のスペイン人3名
それから、日本人学生が4名だ。

特に、事前に準備したり作成する資料もなく、無事に出発当日を迎える。

1週間の滞在ということもあり、大荷物。
キャリーケースにリュックに斜め掛けバッグ

海外が初めてだという友達がいたので、すかさず私は
高校時代に身につけた「キャリーケースマリオカート」を披露した。


キャリーケースの車輪が1つぶっ壊れた。

その瞬間から帰国するまでは、キャリーケースを引きずる男になった。


待ち受けていた最初の関門は、乗り継ぎ時間

セブ島へ直行!

というわけにもいかず

ベトナムのホーチミンで乗り継ぎをするチケットだった。


その待ち時間なんと5時間。

バカになりそうだった。

空港内でベトナムの料理屋で食事をとるが、1時間もかからない。

あとは、ひたすら待つ。寝る。喋る。

テレビで、空港内の椅子で寝ている人を見たことがあるが、本当にあれが一番快適だ。おすすめする


待望のセブ島

遂に5時間の暇を潰して、セブ島に到着した。

もう夕方になっていた。

セブ島も車・バイク文化だそうで、空港前には無数のタクシーが停車していた。

教授の友人である現地の方が出迎えてくれた。
(以後、Aさんとする)

Aさんは、早速タクシーに案内してくれた。

3台ほどに別れて乗車し、目的地のホテルへと向かう。

ホテルまでは30分ほど、車内から外を眺めていると、
とにかく車・タクシーが多いし、

日本では考えられないくらい、運転が荒い。

信号なんてあってないようなもの。

ホテルに到着し、タクシー代を割勘にしようとした。

通貨は「フィリピン・ペソ」1フィリピン・ペソが2.16円くらい
10000円を両替すると5000ペソくらいの計算だ。
物価としては、安い方で、30分のタクシーが150ペソ(300円)くらいだったと思う。

財布から50ペソを出そうとすると、スペイン人のゴリゴリの女性が運転手に激怒している。

どうやら、遠回りをしてぼったくろうとしていたみたい。

英語が通じる国んなので、話している内容を聞いていると、

お前!わざと遠回りしたやろ!
ナビで見てたんやぞ!!
150ペソじゃなくて、100ペソにしろ!
じゃないと、払わん!どうすんねん!!

みたいな内容。

圧にやられたのか、結局100ペソになった。

闘牛よりもよっぽど勇敢なスペインの戦士であった。


チョコレートマウンテンのジャイアン

翌日は、観光の日だった。

ワークショップで来ているはずなのに、歴史博物館のデザインをする日は3日しかなかった。

完全に教授の遊びたい欲が発生しとるな。とか思ったが、こちらも恩恵はあるのでWin-Win

セブ島にある、「チョコレートマウンテン」というところに行った。

こんな感じ

なんか小高い丘みたいなんが無数に広がる地帯だった。

展望台に登って、肉眼で見渡すこともできれば

お金を入れて双眼鏡を覗くこともできる。

各々、写真を撮って満喫していた。


するとそこに、フィリピン人の子どもたち3人がいた。
お兄ちゃん・弟・妹

なにやら騒いでいる。

どうやら、お兄ちゃんがお金を入れて、双眼鏡を覗いているようだった。

しかし、妹と弟は背が低くて双眼鏡まで届いていない。

妹の1人は、不貞腐れているようにも見えた。

お兄ちゃんが抱っこでもしてあげるんかなと思っていると、

双眼鏡を覗いていたお兄ちゃんが叫んだ、

I can see the blue sky!!
(青い空が見えるぞ!)

フィリピンジャイアンとその妹弟

そうよな、お兄ちゃんもそこまで背が高くないから、空しか見上げれんのよな。

そして、妹弟たちを抱っこすることなく3人は去って行った。

フィリピンジャイアンよ、お前は大きくなるぞ。

背が高くなったら、また来ればいい。


フィリピン料理-屋台はマジで覚悟しろ

その日の晩、私たち日本人学生は4人で晩ご飯探しに出た。

しかし、なかなかいい店が見当たらず、町を練り歩くばかりだった。

他の3人が諦めてコンビニで何か買おうと言い出したが、

私は、そんな安パイな旅行は好きじゃない!と言い

道路に連なる屋台で何か食べようと提案した。

日本の屋台とさほど変わらない。色んな料理が出されている。

違うとすれば、空気の汚染具合や、虫のたかり具合だ。

3人は即却下してきたが、私は唐揚げを買った。

しかも、鶏を丸々あげた唐揚げだ。

店主は、テントに吊るしてある1匹をくれた。

これが普通に美味しいんよ。3人にもあげようとしたが、これまた却下。

3人は結局コンビニで買って、4人で路上で座りながら食べた。



その晩、私だけが謎の腹痛と嘔吐で眠れなかった。

あの時の原因は未だにわかっていない。。。。


ハイテンションドアマン

翌朝、全く眠れなかった私はロビーに居た。

何も喉を通らず、水を飲んでいた。

友達が降りてきて、朝ごはんにコンビニに行こうと誘われた。

さすがに、お腹に何か入れとくべきかと思い同行する。

よくわからないホットスナックを買い、ホテルに戻る。

すると、エントランスのドアにドアマンらしき男がいた。

Hey!!
My friend!!!
Long time no see!!!
Yeah~
(よお!友人!久しぶりだな~)

謎のドアマン

は??誰やこいつ、初フィリピンやぞ

とか思ったが、とりあえずハイテンションでこちらも挨拶し、ハグと握手を交わした。

後にこの男が救世主になるとは知らずに。。。

友達からは、誰?知り合い?昨日出会ったん?と聞かれたが

初対面、と答えた。でも海外でのコミュニケーションはこれくらいがちょうどいいんだ。



いよいよ、ワークショップ。でなんで単独ダンスしてんの?俺

3日目か4日目くらいに、ようやくワークショップの日が来た。

ホテルからすぐの、歴史博物館へ向かう。

教授から何も聞かされておらず、とりあえず歴史博物館のカフェで休憩。

休憩。

休憩。

その日はそれで終わった笑

教授はオーナーと打合せをしていて、合流できなかったとのこと。

また、明日でいいよと言われ、ホテルへ戻る。


ホテルに戻ってすぐに、スペイン人が見つけたおすすめのレストランへ

名前は全く覚えてないが、ハンバーグに添えられたマッシュポテトがいようにデカかったのを覚えている。

ホテルの最上階のバーラウンジに全員で行った。

教授が先に酒飲んでやがった。

カラオケ大会が始まり、日本語とスペイン語と英語の歌が飛び交う。

これぞ異国間交流か。

特にスペイン人に人気だったのは、ドラえもんなどのアニソン。

もう、それはそれはどんちゃん騒ぎ。


そんな中、スペインで流行っている音楽が流れた。

陽気な私は、独自のダンスで曲に合わせて踊った。

それがツボだったのか、10回は踊らされた。

独自のダンスなので、毎回違う振り付けになることが一番しんどかった。


次の日

歴史博物館では、お祭りの準備が始まっていた。

教授によると、今回のワークショップのメインはこの祭りで「よさこい」を披露することだそう。

聞いてねぇ~

すると、スペイン人の留学生たちは事前に練習していたらしく

ドンキで買ったようなハッピをきて踊った。

これまた、祭りは大盛り上がり。

酒なんか飲みだして、もうどんちゃんよ。

日本人学生の私たちは、まぁこれがメインなら別にいいかと眺めていた。


すると、突然、教授がマイクを手に取り話し出した。

今日は、日本から有名なダンサーが来てくれています!
彼が曲に合わせて踊ってくれます。
さぁ、Kamikyoくん!こっち来て!
踊りを見せてあげて!

こんのバカ教授。いい加減にしろよ。
昨日、盛り上げるためにテキトーにしたダンスを
急にイベントに入れやがって
事前に何にも聞いてへんぞ、アドリブにも一線あるやろーが
どうすんねん

と友達に言いつつも、会場はその気になって歓声が上がる。

もう後には引けない状況。完全にはめられた。

そうして、私は両手を振りながら笑顔で壇上へ向かった。

これは、勇敢なる日本人学生が、1人でダンスを踊った話である。

関西人として盛り下げるわけにいかんのでね


セブ島最大のショッピングモールへ~珍道中~

今回の記事はこれが最後。

その日はワークショップが全て終わり、最後に遊べる日であった。

私たち日本人学生4人は、ちょっと遠くのショッピングモールへ行くことにした。

Googleマップによると、タクシーで30分はかかる。

私は、そんなんじゃ面白くないので冒険をしようと提案した。

それは、「ジプニー」で行くことだった。

ジプニーとは、フィリピンのバス的なもので、
大人数を乗せて、停車地で昇降する交通手段だ。

後ろから乗り降りする

ただ、ジプニーの難しいところが、日本のバスのように停車地が書いていないところだ。
しかも、どこ行き、みたいなのも書いておらず、
ジプニーの上部についた3桁の文字で、現地の人は行き先を判断しているらしい。(写真だと628)

私は、これこそが海外の醍醐味だ!と半ば強引に説得して決行した。

5分後、ジプニーがよく停まる場所で待つ。

近くの人に、「モールへ行きたい」と伝えて、番号を教えてもらう。
(仮に、555としよう)

私たちは、555のジプニーを血眼になって探した。

10分後、555のジプニーが来た。

飛び乗ろうとして、運転手にジェスチャーを送る。

しかし、なんと停まってくれることなく通り過ぎた。

もしかしたら、何か別の合図があるのかもしれない。と思ったが、

そこから2台の555が来るが、全て通り過ぎていく。


落胆する他の3人。言い出しっぺの私はガムシャラに動いた。


そこに救世主が現れる。

2日目に何故か仲良くなったあの、「ハイテンションドアマン」だ。

その日もホテルのドアマンをしており、なんだか困ってそうな我々を見たドアマンは、

こっちへ駆け寄ってくる。

私は、とにかくジプニーに乗れないこととモールへ行きたいことを伝えた。

すると、その数分後、555のジプニーをドアマンは停めた。
なんか現地の言葉を叫んでいた。
しかも、彼らはモールへ行きたいんだ。教えてやってくれ。
とまで運転手に説明してくれた。

かくして、私たちは無事にモールへ辿り着くことができた。

あの勇敢なるハイテンションドアマンのおかげで。


皆さん、海外でも持つべきものはジプニーを停められる友達ですぞ。


帰り道はタクシーで帰ったのは言うまでもない。

そんなモールでの思い出を最後に1つ


当時、日本でも流行っていた「ロールアイス」

それがモールでも販売されていた。

と言っても、簡易的な屋台で。

私は、餃子の王将でアルバイトしており、ヘラ使いは上手い自信があったので

店主に

ロールアイスを買う。
でも、そのアイスを自分で作らせてくれ!

と頼んだ。二つ返事でOKだった笑
日本じゃ考えられないだろう

そんな時の様子を最後にどうぞ。

勇敢なるロールアイス店員


ではまた。

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