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20230515 対話をするとは

私達が生きて行くということは
その瞬間ごとに出会うすべての事象との対話をしているのだ

対話というと言葉を使ったコミュニケーションを思い出してしまうが
私達は言葉のない対話があることを忘れてしまっている

言葉を介しないコミュニケーションの分かり易い例といえばアイコンタクトがあるだろう
アイコンタクトは人間同士ならそこに意志が存在して相手に何かを伝えようとして目を合わせることなのだが

言葉を使わなくても
そのものを視たり触れたり
することでも対話が発生している
同じ空間を共有することも
何かが伝わる対話をしていることになる

例えば野生動物は人間に見られることで次の行動を変える
写真はアパートの花壇に来たヒヨドリ
視ないようにしていると逃げないが
眼があった瞬間にどこかに逃げる

そう言葉を使わなくても
そして意図して何かを伝えようとしていなくても

そこには対話が発生しているのだ

対話は命を持つ者同士だけのものではなく、命のない物同士も対話をする

どういうことかというと、物質を構成する原子は絶えず振動をしていてエネルギーを持っている
原子核の周りを動き回る電子もエネルギーがあるから動き回っている

そのエネルギーは周りに影響を与えながら存在していて
その影響こそが対話だと言うことだ

だから命のない物同士も対話をしていることになる

猪を解体するSさんは
捌きながら猪と対話をする

猪としての命は終わっているが
そこにある肉の塊は
何かを発しているらしく

その肉が発する何かと
対話をしながら捌いていくことで
そこに私達人間としての感情や思いが生まれ

導かれるように捌いていく

猪としての命は朽ち果ててなくなるまで終わらずに
その肉を糧として生きるもの全てに何かを伝えている

だからその意志を尊重し
対話しながら捌いていくことで
私達がそれを口にしたときに
旨いと感じ
消化して吸収したときに
栄養として機能し
私達に恵みを与えてくれる
いい肉が取れる

だからSさんの捌く
猪肉は最高に旨いのだろう

私達が生きること
その全てが対話をすることで成り立っている

私達は言葉をもち
感じていることを言葉で理解しようとするが

そこには言葉にならない何かがあり
それが伝わることで
対話が起こっている

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