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アナザー・サマー(第1話)

「あー、だるいだるい」
 上原瑞希は無数の蝉が大合唱を繰り返す遊歩道を歩いていた。その言葉とは裏腹に瑞希の足取りは心なしか軽やかだ。普通の学校であればすでに夏休みに入っているので、暑い中わざわざこんなところを歩く必要はないはずだ。
「ちぇ! たかだか赤三つぐらいで補講なんて……うちの学校もけち臭いんだよなあ」
 しごく納得である。
 ――バサリ
 膝あたりまで届く真っ直ぐな黒髪をうるさそうにかき上げる。
「しょーがない……いくか……」
 ぶつくさと文句を言いながらも学校に向かっている自分の姿に瑞希は苦笑いを浮かべた。

 上原瑞希――外見こそ今時珍しいほどの和風美少女だが、職員室でこの名前はいつも問題児扱いだ。
 ――高校入学当初からろくに授業に出なかったから当たり前な話である。
 今でも瑞希は学校に行くのは辟易する。
 通知書に羅列された数字だけで評価されてしまう世界、それ以外「上原瑞希」という存在価値を認めない世界。瑞希が中学から一貫教育で通うこの学校はそんな学校だった。
 唯一瑞希にとって幸いだったのは校則が非常に緩やかなことぐらいだ。
 そんな無味乾燥な学校に再び通うようになったのは二年の三学期にこの学校に赴任となった狩野の存在だ。
「今日この学校に転任された狩野先生です。狩野先生はアメリカのXX大学をわずか十七歳で卒業され、その後WW研究所に勤められた非常に優秀な先生で――」
 校長の川北はまるで自分のことのように誇らしげに意気揚々と狩野の経歴を説明する。
(またコンピュータみたいな教師が来やがったのか……)
 瑞希は鬱陶し気に壇上に視線を向ける。
「はじめまして。狩野です」
 にこりと挨拶する新任教師の顔を見たとたん、瑞希の心臓は飛び出さんばかりに跳ね上がった。
 瑞希の全身の血液が激しく流れ、ありがちなディズニーアニメのように心臓は飛び出さんばかりに鼓動が激しく躍動する。
 瑞希にとってそれはあまりにも突然で、あまりにも衝撃的だった。
 こうして上原瑞希の初恋は一目ぼれで始まったのだ。
 少しでも狩野先生と会いたい。その一心でようやく授業に出るようになったが、今までのツケが祟り未だに夏休みの補講に出ざるを得ない。
 教室に入ると一人の教師が瑞希に笑顔を向ける。
「よ! ようやく来たな」
「ったく。この暑い中狩野先生もよく学校に来るよ」
「教室の方が冷房効いてて家にいるよりよっぽど涼しくていいだろ? なんならクーラーが故障中のお前の部屋で補講やるか」
「……教室でいいよ」
 ぶつぶつ小声で文句を言いながらも素直に教科書を開く瑞希の姿を見て、狩野は思わず口元を歪める。
「それじゃあ、始めるぞ」
「はいはい」

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