アナザー・サマー(第2話)
* ◆ 瑞希 ◆ *
広めの黒板に先生は白地の公式を埋めてゆく。力強く書くもんだから長いチョークが書いている途中でボキ、ボキ折れる。そのたびに私は先生に聞こえないようクスリと笑う。
――相変わらず不器用で汚い字……でも顔は真剣だな……この字だけを見るととてもエリートとは思えないな。
先生の授業はエリートらしからぬ自由奔放な授業だ。
ヒアリングと称してビリー・ジョエルの曲を流し、英会話と称して吹き替え無しの映画を見せ、英文法の時は好きな本――ただし英語だが――を読ませそれを訳させたりした。
そのたびに先生は職員会議でこってりしぼられたそうだ。
でも、英語の教師が数学教えてるんだから、やっぱり頭いいんだよな……それにしても本当にガキみたいな字だな
「――上原」
「うん?」
「今、笑ったろ」
「わ、笑ってない、笑ってません」
「ほう。お前の顔は思いっきり笑ってるけどな」
「はは……そうかな」
「笑ってる暇があったら黒板に書いた問題さっさと解く。制限時間は三十分」
「そんなあ、か・の・う・せ・ん・せ・い」
「媚びてもだめ! 一問不正解ごとに今日の補講三十分延長な」
「ひぃー」
三十分経過。私はなんとか黒板に埋めた答えを鋭い目付きであいつはチェックする。
――黒縁の眼鏡のフレームから見え隠れする鋭い目付き、まるで私自身を見透かされているようでドキドキする。
「……まあ、最後はおまけ、だな」
「ラッキー」
心臓の高鳴る音がバレないよう私はオーバーめに喜んだ。
* ◆ ※ ◆ *
「じゃあ、今度は先生の番」
「ああ」
瑞希は教材を鞄に仕舞い込むと、周りの机を片づけ小さな隙間を作る。その真ん中においた椅子に瑞希はちょこんと座る。
狩野は真っ白なケープを瑞希にかぶせる。
「お客様、どのようになさいますか?」
「えーと、揃えるだけにしてください」
「かしこまりました」
くすりと笑って答える瑞希に狩野はまじめな表情を向ける。
狩野と瑞希の二人しか知らないもう一つの授業が始まった。
「ねえ、先生」
「なんだ」
「なんで先生は美容師とかにならないの? あ、理容師でもいいかもしれないけど」
「そうだなあ」
狩野は手際良く毛先に鋏を入れる。シャキシャキと軽い音をたてて長い毛先がきれいに揃えられてゆく。
「まあいろいろだな」
「それじゃあわかんない」
「まあ、やりたくてもやれないってことだな」
「わかんないって。それにそれって変だよ」
「なんで?」
「だってやりたいことするために一生懸命勉強したのにそれができないって変」
「そうだな……変だな。お客様、お疲れ様でした」
狩野がケープを取り除くと、瑞希は毛先を入念にチェックし始める。
「姫、いかがでしょうか?」
「うむ。よいできじゃ。褒美をとらす」
瑞希はゆっくりと狩野に右手を差し出した。
狩野は苦笑いを浮かべながらも、瑞希の右手の甲に唇を重ねた。
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