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えいが『レディプレイヤー1』をみて、ぼくがおもったこと。(浪人1年x組紙)

どうも、紙です。浪人生してます。
前記事では映画『レディプレイヤー1』(以下RP1)を見知らぬ方に奢って貰った話を書きました。今回は映画の感想偏です。
内容はディストピアへ傾いた未来世界とその先に僕が感じた光、そんな感じ(適当)
では早速。

映画の内容について

RP1の時代設定は2045年、未来世界だ。世界には環境問題や人口問題、社会問題が溢れていたが、人々は溢れ出る問題を解決することを諦めVR世界のゲームに逃げていた。

VRゴーグルが繋がる先はソーシャルゲーム『オアシス』。
オアシスではゲーム要素がある、ありとあらゆる娯楽がそろっている、ギャンブル、FPS、レース、etc…
恐らくこの世の欲望をほぼ全て満たせるこのゲームに世界中の人々は皆心酔している。

そんな中、オアシス開発者のトップであるハリデー(所謂スティーブジョブズ的な人物)が亡くなってしまう。
彼は死後、遺言を残す。
それは、オアシスのゲーム内に三つの試練を隠したこと、それら全てを見つけ全てを踏破した者にオアシスの運営権と運営会社の持ち株の全てが与えられること、であった。

主人公であるウェイドと仲間達は力を合わせ、迫りくる困難と悪をしりぞけ、三つの試練を超えて行く。

以上が映画の本質をネタバレしない範囲での大まかな流れだ。

〜RP1が持つ多様性のメッセージ

RP1は王道ストーリーである。
3つの試練を力を合わせて超えて行く、という流れはどのジャンルの作品でも存在する王道ストーリーだ、と言える。
その手の作品の主人公は何かしら他人より肉体的、精神的に優れている物を持っている。
だが、ただのオタクであるウェイドにそんな物はない。
ウェイドが持つ代わりの武器は言うなれば『オタクであること』だ。

主人公ウェイドは幾度となくやってくる窮地をアイテムで切りぬけ、相手のボスから騙されそうになった時は持ち前の知識量で切り抜ける。
まさに『オタク』を武器に戦っていくのだ。
僕はここから現代の多様性に対する価値観の変化が感じられた。力を持つものがヒーローである時代から何も持たなくても、ちょっとの優しさと知識さえあればヒーローになれる時代へ。
まるで「オタクでいい、多くの積み上げてきたオタク知識は捨てたもんじゃない。」等とでも言われている様だ。
少なくともオタクの端くれである自分にはそう感じられた。

人との断ち切れないつながり

RP1の世界では『繋がり』がある種のテーマになっている。物語では常々、他人との繋がりを意識させられる。

映画内では、悪役が現実での情報を悪用したり、武力制圧に乗り出しウェイドのゲームを阻止させる場面がある。
これは繋がりによって行く手を阻まれる、という事だ。
また逆に、ゲーム内でしか面識がない、顔も知らなかった仲間達がそんな状況から力を合わせて助け出してくれる、という場面もある。
今度は繋がりによって助けられた、と言う事になる。
映画のスタートからラストまで随所随所に繋がりが意識させられる場面が見受けられた。
製作者であるスティーブン・スピルバーグ監督はRP1制作に当たって生涯で二番目に時間がかかったそうだ。
ストーリーは非常に練られ、終始関心させられた、そんな映画であった。

『繋がり』を意識させる、なんてどの映画にもあるじゃん。と思うかもしれないが、とにかくRP1は演出と受け手への意識のさせ方が神がかってるのだ、すんげぇ~のだ。

結局言いたいこと

まぁ長々と事語って何が言いたいか、というと

面白いからレディプレイヤー1見てくれ

と言うことに尽きる。

文章では語りつくせない事が沢山ある。
古今東西のポップカルチャーの作品が新旧リスペクト出演され飽きる事はなかった、だとか、メッセージ性に感動して劇場で泣いてしまった、だとか。
ただ語り尽くすには文字数がどエライ事になってしまう。仕方がないね。

実直な感想を言わせて貰えば

語りつくせない程の魅力が溢れていた、メッセージと暗喩が溢れすぎて感動を覚える映画だった。この映画にめぐり合えて幸せだ!これが生きている!って事なんだ!!reality is real!!最高だ!!!

って感じでした。

皆様も是非そんな魅力溢れる『レディプレイヤー1』ご覧になってはいかが?

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