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死体埋めピクニック

・秋

 悪質に付きまとってくる男について相談したい、ぜひ、ぜひ私のおうちで!と主張する後輩のアパートの扉を開けると玄関口で佇む釘バットを持った後輩。そして死体。
 バットと死体の頭からは後輩の汗と同じくらいのペースで血やらピンク色のやが流れ落ちている。
 色々言いたい事、言うべき事、それから同じ個数くらい言うべきでない事が泡みたく思い浮かんでは溜まっていく。けど、一つ、これだけは確認しておかなければ。
「……それ、私物?」
「ちがいます!」


 死体の彼を誰だろうと同定しようとするのは早々に諦めた。怖い人とは目を合わせちゃいけません、というお母さんの教えを忠実に守っている人生だ。人は目を隠すと近親者でも誰か分からなくなるという。
怖い人とはつまり私は要求が通らないと暴力的な方法に訴えちゃうかもなーとなんかこういうギラギラしたピアスとかほぼほぼ原色染料で染めた髪とかで主張している人達の事だ。しかも顔面が潰れていていろいろだくだくしているとなればもう超こわいだろう。
あと私は人の見分けがつけにくい。以上の点から「これ誰?」ではなく「これ何?」が第二の質問になってしまったのは、故人の人物像を説明する手間を省く為の私なりの気遣いというものなのであった。というモノローグが脳を滑っていく。
そういえばまだ生きている、という線もあるのだろうかと思い付き、息をひとつ、観察に入る。
胸が上下、していない。脈、触るの嫌。瞳孔、眼が潰れている。それだけでなく、正面は額以外の部分が陥没し、その上で肉と骨と毛が混ざり、そこに大部分形を保った歯の粒が色味のアクセントを添えている。
Q.生命反応はありますか? A.グロい。
 もう冬に近い秋だからだろうか。内臓の温度が湯気になって、口と鼻のあった辺りから、水蒸気を立ち昇らせている。
 後輩が語る、いかに故人が生前に行った恫喝や理不尽な要求を聞き流しながら、死体A氏の頭部に借りたバスタオルを巻きつけていく(「これ借りていい? もう使えなくなると思うけど」「それでですね、あ、どうぞ」)。
「それでですね、あの、その男が振った釘バットがすっぽ抜けて、そこの壁に当たって跳ね返ってきたんです」
「え、君大丈夫だったの?」
「あ、はい。足元の……ほら、ここの擦り傷」
 言われて足元に視線を遣ると、フローリングに猫が爪を研いだ様な、不規則で容赦のない傷が走っている。そしてその上を、飛び散った血が。
「冗談みたいに私とあの男の間に止まったんです。あっちの方が早く拾ったんですけど、釘の方を持ってたので、こっちに差し出したみたいになって、だから」
バスタオルの具合を観察する。かわいらしいピンク地を染めた赤が赤黒と黄色に変色・分離し始めた辺りで、更にもう一枚巻き付け、「だから」の先が途切れている間に、キッチンからラップを取ってきてその上から固定し始める。そのまま身体を転がしつつ、全身に巻いていく。
 やりたい事を理解したわけではないだろうが、途中から後輩も曖昧に手伝い始めたので少しは助かった。死体A氏は私達と同年代だろうか。そういえばさっきそんな感じの事も言ってた気がする。高校一緒だったかもって言ってたっけ? 中学? まぁいいや。
 男の体は硬くて重い。あと、ぬるい。気分は手巻き寿司だイエーイ、と脳内でカラ元気を出し、自分を鼓舞してやり遂げたが、今後手巻き寿司を見る度に思い出したりするのかもしれない。
「マグロ……いやネギトロ……?」
「先輩、お腹減ったんですか?」
 考えている事が口に出ていたのだろう。反応を見るに手巻き寿司の下りはおそらく出ていなかったのでセーフである。
「えっと、魚介はないですね……すいません。あっギョニソならあります! 2本で290円の!」
「1本100円越えるとお高い感じ出るねぇ」
 家庭的な話題で彼女の気を紛らせつつ、故人について考える。
 後輩の話……に出てきたAの自分語り……から推測できる故人Aが所属していた社会的な立ち位置は、零細半グレの使い走りの、更に末端あたりだろう。
 特殊詐欺の受け子とかやらされてる感じの子だ。クラスに1人はいるノーフューチャー系男子である。大学には進学せず、彼なりの自由を謳歌しているなどと供述していたらしい。
 それがどうして大学に通う後輩との接点を得て、恫喝的なアタックを仕掛けられる羽目になったのか。まぁ今根掘り葉掘り聞き出す事でもあるまいし、彼女の視点からのみで明らかになる類の話でもない。
半グレの上昇志向と、素直になれないどこにでもいる男子の不器用な求愛行動のミックス。およそそんな所だろう。まぁいつか落ち着いたら事情を聞いてみてもいい。15年後に恐山とかで。
 遠い目をしていると、もうすぐお昼ですもんね、と後輩は──正午まではだいぶ遠い時計が視界に入っているはずだが──食の方向で話を押し進めている。
「えっと、何か作りますか? 買い物行く前だったからブランチっぽいメニューになっちゃいますけど……あっ朝ご飯食べました? どっか食べに出ちゃいましょうか、クルマ出しますよ」
 今彼女と離れるのは得策ではないけど、このまま現実逃避に付き合うわけにもいかない。そうだねぇ、と外食する店を吟味するフリをしながら工程を詰めていく。よし。
「いや、やっぱりお弁当作ってよ。いい天気だし、外に食べに行こう」
 言ってから来る途中の空模様を思い出そうとする。雨が降りそうな曇りだったかもしれないと思いつつ笑顔で言い切る。こういうのは自信だ。
 後輩はぱちくりと大きな目を瞬かせた後、は、はい!お任せください! とちょっと聞いた事のない声量で応えた。その様に少し気圧されつつも次の工程に進む。
「うん、じゃ私はちょっと買い物に行って来るよ。車借りていい?」
「どうぞ!っと、これ鍵です。ピーって押したら開くんで」
 知ってるって、と言いながら鍵を受け取る。葡萄のキーホルダーが、ちゃりんと揺れた。



 ハイキングには死体と一緒に行くんだよ!!
 
 などと言ったわけではないがやんわりと、そして断固とした口調で同道を承服させた。
 せめてレンタカーを借りようと主張する彼女に、人が関わればそれだけリスクは高まるから、と、あえて冷酷に聞こえるように説く。
 愛らしい手拭いで包んだお弁当を抱え、傷ついたような考えまいとしているような、暗く曖昧な表情で黙り込む後輩を見ていると胸が痛むが、しかし、事実であり、現実だ。
 ホームセンターで、ペグやら行楽用の使い捨ての皿や箸などに紛れさせて買ったカーキ色のレジャーシートを裏向きに敷き、頭部のタオルごとラップで包んだ死体を転がして乗せ、四方を折り込んでテープでぐるりと、また回しながら留める。テープは養生テープというものを買ってみたのだけど、これがガムテープと比べて簡単に切り離しが出来て作業性がいいものの、断面から加えられる力に弱く、簡単に裂け、また接着力も強くない。長所は則ち短所ともなる。ままならない。
 おかげでこれで安心と思えるまで何周も転がす羽目になってしまった。死体は時間が経って更になんだか少し重くなったような手応えがあり、知らず額に浮いた汗を手で拭うと、ひどく冷たかった。爪の間に入り込んだ血を洗い流す為に、念入りに手を洗う。
しかし大きな作業はまだある。これを車のトランクに詰め込まねばならない。
ひとりでは無理。やってみせ(うごかなーい)言って聞かせて(つかれたー)させてみせ(ちょっとだけだから)ほめてやらねば(いやーたすかるわー)人は動かじ。
二人がかりで抱えて「私はテントとかアウトドアな椅子とかそういうのを運んでいるんですよ。いやー重いなー」という顔を造りながら(彼女にもそう言ったが、ヘタクソな作り笑いの顔に「私はこの確信的に何気ない行動の裏に重要な“何か”を隠していますがその件について決して誰にも指摘されたくありません」と書いてあって、逆に感心した)えっちらおっちら移動させる。
 私の力がなさ過ぎて、ずっと足先を斜めに引きずってしまったが、皮膚までは削れなかったと見え、血痕とかないのでセーフセーフと唱えながらセーフ、もといテープで補修した。
「じゃあい、こうか」
 気軽に切り出したものか重々しく口にしたものか、心を決めきれぬまま口にした言葉は、どのような観点から評価しても掠れているな、と自認する。
 後輩はとぼとぼと後部座席に回り、膝に普段遣いの鞄を置き、その上に弁当包みを乗せる。
 顔色はあえて確認する気にもならない。
 シートベルトを締めながらああ、そういえば作業中も、どころか朝から何も飲んでいないな、と気付く。気付いてしまうと今すぐにでも渇きだ、渇きが生存の第一の問題だとばかりに脳裏で警報が鳴り響く。
 誤認だ。脱水が起きる作業量じゃない。誤認、でもだからこそ苦しい。非常事態だと肉体が抑え込んだ恐れや不安や疲労が、認めてしまった「渇き」という傷口に殺到して叫んでいる。払拭されず、満たされず、押さえつけた故に圧力の高まったそれが「イライラ」という不確かな瘴気に変わって噴出してくる。どうして私が、誰の為にこんな事をしていると思って。
 無言で車を出し、今後の事も、目的地を訪ねる事すらなく俯く後輩をミラーでちらちらと確認する。もう見るのを止めようと思ってもちらちら見ている。その視線に気付いているのか? 気付いているのなら何の反応もしないのはどうしてだ? 気付いていないのなら……。
 よくない。わけもなくクラクションを叩きたい気分をどうにか平静に保つべく──矛盾するようだが、乱暴に車体を振り回すようにコンビニに入れる。
 後輩が傾いで、ベルトがロックされて引き戻る。小さく声が出ていた。途端に後悔する。後悔することになると分かっていた。
 何をやってるんだ、私は。
 対象が定まらない疑問が……対象を定めない疑問の体を取ったイライラが、自己嫌悪の形で襲い来る。ハンドルを掴んだまま、目を閉じ、指一本も動かせない。前輪が車止めに当たって車体を揺らす。
 考えたくない。したくない。動きたくない、動きたくなくない────。
 ふと、ベルトに交差するように、強い力がかかる。
 そのままごそごそと、……ごそごそと……いや本当に何してるんだこれ?
 思わず目を開けると目前に後輩の顔があった。後部から前座席にムリヤリ乗り出してきていたらしい。
 彼女は泣いていた。私は泣いていなかった。泣く理由なんてなかったから。
「ごめんなさい、先輩、私の為に」
「いいんだよ、君が無事でよかった」
 私達はお互い、言えずにいた事を伝えあった。
 涙と無表情の中で、心は融け、それから固まっていく時間が流れた。



 コンビニに2人で入り、飲み物とお菓子、それから目についたゴム手袋をカゴに入れた。
 死体手巻き寿司している最中、爪の間に血が入って気分が最悪だったのだ。ほんの一滴に、様々の嫌悪感がこれでもかと濃縮されていた。
ホームセンターに行った時にゴム手袋を書い忘れたのがさっきまでのストレスの諸原因、その大半と言って差し支えないだろう。
 予定ではもう血液に触れる工程はないはずだが、持っておくに越した事はない。安心感が違う。
「先輩先輩、お酒買います?」
「……んー、いや、やめておこう」
 言外に「お互いにね」というニュアンスを込める。彼女は過たず頷く。確認するように。
 ……でもどっちかというと冗談のニュアンスだったようだ。真剣に考えてしまった。さて緊張感が欠けてるのはどっちかな。
レジに並ぶ後輩の後ろで牛歩しながらコンビニ総菜やスイーツやを眺めて会計を待つ。本当に色々あって、中には食卓の想定が読めないようなものもある。
 ビタミンプラス、と銘打たれた妙にお高い円形パックのハーフ巨峰を手に取って成分表を見ようとしていると、後輩は素早く振り返り「先輩それ食べたいんですか仕方がないので仕方ないですね買いますねー」とおそろしく流麗な口上と共に奪い去られてしまった。遠慮しいだと思ってるんだよね。
 袋を持って車まで戻ると、どちらが促すともなく後部座席にふたりして座り、座席の狭い隙間と、食品じゃないものは床も使って仕分けする。他に人がいなかったからなのか店員さんが善意で詰めてくれたのだが、一つにまとめられてしまったのだ。
 唐揚げ2種。パックサラダとドレッシング。おにぎりの類はお弁当に詰めてきたそうなのでなし。ナッツチョコ。巨峰。ミルクティー。カフェオレとコーヒー。水500mℓと2ℓ。新聞。ゴミ袋。ゴム手袋、それから大量の氷。
 氷を袋ごとゴミ袋に入れて口を縛る。新聞を捩って綱のようにしておく。外での作業時間は最低限にしたい。
内職が終わるとトランクに回り、何気なく、飲み物を入れようとでもしているかのように、氷袋を頭部のほうに敷いていく。今更有効かはわからないけれど、まぁ冷やすのはやっておくに越した事はないだろう、という程度の仕事だ。彼女のアパートから持ってきた冷凍庫分の氷はもう溶けている。少し考えた後、適当に足先の方に放り込んでおく。
 それからトランクスペースの縁に流出防止の意味で捻り新聞紙を配置しておく。現時点ではどこからも何も滲んだりはしていない。ふと玄関に残された血痕の掃除を考えてうんざりしたが、まぁとにかく目前のお昼に向けて意識を切り替えていく。意識は低く、ノーフューチャーに。目の前の大切な事にだけ、都合よく注目していけ。していく。トランクを閉める。
 クーラーボックスに食べ物を移し替えた彼女が出てきて「私運転しましょうか?」と訊く。じゃあお願いしよっかな、と助手席に回る間でエンジンをがかかり、車が────動かない。
「……どうしたの」
 いくつかの可能性と対処方針をリストアップしながら、後輩に尋ねる。
「……先輩」
 意思の宿った目が、こちらを見る。数秒合わせた後不意に散り、天井やら窓の外を這い回ってまた戻ってくる。
 いつものだ。
「……目的地どこですか」



 地名は特に避けるが、旧道新道共にハイキングコースの山道がある。新道の方まで車で登り、そこから見下ろす辺りに旧道が走っている。
 先んじて立ち入り禁止の文字が薄汚れて消えかかった──というより残っているのは文字のペンキが剥がれて、日焼けの差異で出来た文字の痕──プラスチックの板と紐をまたいで越えた。
軍手に虫除けスプレーとシャベル──ここでは柄が長く、先端が尖っている、主に土を掘る用途の長物を言う──を抱えて、木やその根によって定義される崖道を、折り返し折り返し降りていく。それにつれ葉や枝が溜まり、茶黒に近い色になって、崩れて、土よりも土らしいにおいが立ち込めていく。屍の堆積。土とはこうやって「成っていく」物なのだな、という自然への感慨と共に虫除けスプレーを振り回す私達なのであった。
 もうちょっと時期が遅くなれば虫除けスプレーを買うのも怪しまれたろうなぁ。でもそうなっていれば虫除けスプレー自体必要ないか、という会話を組み立てたが、棄却する。もう少しでも長く耐えていればよかったのに、という発言に聞こえるから。
 さて、実際、山に死体を埋めるのは難事だ、と言われる。鳥獣が屍肉を漁り、風が吹き雨が降って、掘った穴を埋め、盛った土を流す。その上大抵の山には管理者がいる(車で入れるような山なら尚更だ)し、その上外からはよくわからない理由でよくわからない所に押し入るのが人間である。登山家とか猟師とか研究者とか測量士とか野外で……まぁこれはいいや。うん。あと不法投棄とか死体遺棄とかピクニックとか。
 しかしこの山、絶賛管理義務放棄で地元自治体と数十年単位で対立、山の管理者は市を巻き込みつつ、旧道を整備するよりも見栄えのいい新道を造成してそっに注力するポーズを取りつつ、予算的にどっちかしか整備できないな〜、旧道を整備すると市経済に影響が出るだろうなぁ〜、チラッ、という感じで二枚舌三すくみを展開しているとの話である。
 そんな内実を知っているお前はなんなのだという話なのだけど、この話自体、何を隠そう後輩その人から聞いたものである。山の管理者とは彼女の祖父なのだった。
 ただの貧乏地主ではない。各界に既得権益を持つ、結構なお金持ち一家である。
 お金持ちの世界と、そこにいる為に必要とされる認識は広く、そして深い。そういった界隈を感情的には厭っている彼女であっても、自然に「普通の物」として入ってくる情報の量や質の桁がそもそも違うのだ。
 その彼女がなぜアパートで一人暮らしなどしているのか。そういった事柄はまぁ、彼女のプライベートだ。私も語る気はない。はい閑話休題。
 まぁつまる所、そういった「雑談」でもってある程度手が入らない山道の見当がついていたというわけだ。
それでも日本の警察の、殺人や強盗なんかの検挙率は非常に高く、おおまかに5割~8割、とされている。都合のいい山を知っている程度でどうにかなるのか? という話だが、その点についてはある程度楽観する他ない。検挙率とはそもそもが認知件数を分母にする。発見されていない犯罪がどのくらいあるのか、そういったデータなど取れるはずもない。
 殺人事件なら調べられる。だが行方不明者は年間8万人/延べ ほどもおり、うち7割方は当日~一週間で発見される行き違いレベルのものだが、ではそれらの全てが殺人事件を解決するのと同じ人員体制で臨まれているか? 答えは明確に否だ。一説には数千人の人間が毎年消えているという。
 普段なら秋の終わりには少し背筋が寒くならなければならない話だが、私たちの拠り所はその辺りにしかない。冬よりもなお冷たい、人と人の間の闇の世界だ。
「先輩、あのあたりどうですか」
 条件は伝えてあった。堆積した枝葉で膨れた所。上の駐車場から直線上にある所。途中に突き出した根などが無いことを基準に……。
「うん、よさそうだね」
「えへへー」
決めた場所の枝葉をシャベルでどかしつつ、露わになった土をいくらか掘って脇に盛っておく。これはまぁ惰性というかついでである。
 死体のもろもろ漏出とか考えるとすぐにでも上から落として枝葉だけ被せればいいかな、と考えていたのだけど、土が見えた段階で「わかってます。ここからが本番ですよね?」という感じで後輩、真剣な目をしたから、そこから何も言えなくなった。まぁ腹ごなしと割り切り付き合う。
 とまれ体力がない私は縦割り半畳、深さ20cmも掘った所であえなく脱落となったが、彼女の方は流石の馬力である。若いっていいなぁとシャベルを支えに1つ下の後輩を見つめていると何故か文句もなく馬力が上がっていく。不思議なエンジンを搭載しているようだ。
 50cmくらい掘った所でギブが入り、ひと段落とし、上に戻る。彼女が持ってきた水筒からお茶を貰って、コップ2杯ぶんくらいを一息に飲んでしまった。うまい。
「すみません、お茶、もっといいのあったのに……」
「いやお茶の質まで気が回ってたらちょっと怖いよ」
「でもでもアイスティーが美味しい葉があったんですよぅ……先輩も好きそうな」
「んー」
 彼女の家に戻ってからも作業があるのでその時にでも飲めばいい、のだけどそっちの作業を今は意識したくない。うんざりするから。軍手を外し後部座席に投げ込みつつ、ゴム手を取り出して嵌める。指先までしっかりとね。
 後輩にも差し出したが、少し考え込むようなポーズを取った後、いややはりそれは先輩だからこそ映えると思います。と固辞した。(?)。
 理由は謎だが必須のものでもない。トランクからレジャーシートミイラ(湿潤)を引き出し、頭の方のシートを一部外して液が漏れていないかを確認する。頭部の辺りが少し怪しく、強く力を入れるとタオルが吸ったものがラップの隙間から染み出しそうだったので腕のあたりと脛のあたりに分かれて持ち、やはりずるずると目当ての地点に引きずっていく。
 ゆるい崖の淵に立ち、シートの端をしっかりと持つように指示した後、包みを留めていた養生テープをカッターで切り裂いた。あとは勝手にずり、ずるずりと滑り、数瞬の静寂。茂みに重量物が突っ込む音。
「びっ……くりした」
 後輩がキョロキョロ周囲を見渡している。当然人が通っていないかは常に気を配っているが、今はどちらかと言うと「びっくり」を共有する相手を探しているように見えてなんだか笑ってしまう。偶然の惨事を目撃した人みたいだ。
 狙った場所からやはり多少ズレたようだが、これから降りていって溝に寝かせ、上から枝葉を被せるので誤魔化しは効く。前準備で苦労したが、後工程が楽なのはいいな。
振り返り、血痕なきを確認する。水をどこかで使うかと思っていたが、この分だと必要なさそうだ。
「よし、あと一息だ」
「はい!」



  一息が終わり、休息が始まる。
 念の為、車を死体を落とした所から対角側に移動し、車外でお弁当を広げる。
「雨が降る前に終わってよかったですね」
「まぁ雨中での作業は絵になりすぎるよね」
 コンビニの唐揚げをつまみ食いしながら、後輩が手ぬぐいを解き弁当箱を並べるのを待つ。お重とかは持ってないので……とはにかみながらジップロックのコンテナが並べられている。買い物に行く前だと言っていたが、定番の卵焼きは何か巻いてあるし、赤黄のパプリカのマリネや、ささ身をほぐしたものと胡瓜の細切りを合わせた簡易棒棒鶏などなど、見目に良く意識の高い品が揃っている。
こちらはコンビニで買ったパック詰めのサラダに同じくパック詰めのドレッシングを投入しながら「いつもすごいねぇ」と素直に感嘆の意を漏らすと、少しだらしない表情でごにょごにょと何か呟いていた。
「……が」
「が」
「先輩の方が、すごいですよ。いつも。いつも……どうして、…………」
 俯いて呟く様に、もしかして非難のニュアンスだろうかと思いつつ直視しない様に表情を伺う。…………微妙だ。褒め言葉でないもので褒めていいのだろうかと、気をぐにゃぐにゃ揉んでいるといった辺りだろうか。バカ呼ばわりが誉め言葉になる場合もあり、そうでない状況もある。短所に転じない長所はなく、逆もまたしかり。いや逆はどうかな……まぁそういう事にしておこう。
「んー」
 割り箸を割る。たいがい上部を7:3くらいにしてしまう私だが、今回は綺麗に割れた。めずらしい。
魚肉ソーセージのソテーをつまんで口に運ぶ。舌の温度に触れて立ち昇りだすカレー粉の香味が食欲を煽った。微かに焦がし醤油の風味もする。少し塩辛いようだが、ご飯のおかずである。上等だ。おにぎりを取り、口を開く。
「多分、本当に君の事を思うなら自首を勧めるべきだったんだろう」
 耳の辺りに強い視線を感じる。本当かどうかわからない。どんな目をして、どんな表情をしてどんな想いを抱いているかなど見えやしないのだから、この焦げるような感覚はつまる所私自身の焦慮なのかもしれない。
 これからする言い訳も、同じだ。
「なかったことにしたい、と、……そう、……したい、のかなと思った。でも、出来ないから」
 おにぎりを口に詰め込んで、無理矢理時間を作り出す。風もないのに、ざわざわと木が鳴っている。私が魔法使いならよかったんだけどねーなどと無難というか言わない方がいい言葉で間を次ぐ。咀嚼物を呑み込んで、押し流すべく滔々と喋る。
「私に思いつき、出来る事を優先した、結果、最善からは遠ざかった。それでも私が君にしてあげられる事はこれだけだ。はは、魔法使いじゃなくて悪魔だな。ひとつ願いを叶える為に、願いの前提を壊してしまう。そんな感じかな」
「……願い、の前提ってなんですか」
「…………どうにか、こうなる前に、」
「先輩」
 頬が捻られる。咄嗟だったのと、痛みを感じる具合で体が跳ねてしまった。が、彼女は逃がさない。
「こうなる前にどうにか出来なかったか、っていう罪悪感とか、そういうのでこうしてくれたって事ですか」
「……うんまぁ、私が勝手に考えた負い目なんだけど」
「そうやって全部背負い込んで、黙り込んで、自分ひとりのせいにしようとして……先輩の悪い所です」
「うーん」
「それはまぁ、すごい所でもありますけど」
 知らず逸らしていた目が合って、想像していたあらゆる表情よりも良いものを、輝くものをそこに見た。
「私、嬉しかったんですよ。あんな人の事で世界が変わってしまうのは、いやだったから」
「なかった事にはならないよ」
「変わってしまうなら、あなたとぃー」
 片頬を伸ばしてやった。
「先輩!」
「あはは」
 笑みのままおにぎりを頬張る。少しくぷちぷちした食感があり、冷えているにも拘らず、素晴らしい香りが鼻孔に昇っていく。
「昆布と……シソの実? いいね。海苔とよく合う」
「先輩、ほんと味覚すごいですよね。……でもいま気付いたんですか」
 ジトっとした目を愉快に見遣りながら、そうだよ、と軽く返した。



 お弁当を食べ終え、しばらくいつもの如く、後輩のオチのない話に無理矢理オチをつけたりしつつ、デザートまでを食べきった。デザートの後はフルーツだ、と満を持して巨峰をつまみ、すっぱい!と言い合う。
 時間は夕方には遠いが、空模様はいよいよ暗く、秋の冷たい雨の気配が立ち込めてきて、帰り支度と相成った。
 中身が減ったはずなのに、空になってむしろ容積を増したような気のする袋ゴミをゴミ袋に放り込み、潰して空気を抜きつつ、空模様を伺う。
トランクの端に容器を置いた巨峰は主に私が食べ勧めていたが、最後の一粒、いる? と問うと意外にもいります、と帰って来て、渡そうとした指から直接くわえられてしまった。……手がふさがっていたから仕方がないのだろう。お互い何も言う事はなく、粛々と片付けが進行していく。
最後に、座っていたシートを畳んでいく。カーキ色のシートを、端と端を持って半分に畳む。1回、2回。死体を包んでいた裏地側が下になるよう気を付けて。
地面に置いて、今度は縦方向に。最後の1回をふたり膝をついて、体重をかけて、折り畳む。
「ねぇ先輩」
ぽつりぽつりと雨粒が、私と彼女の狭い領地に音を立てた。
「また、こうして来たいですね」



・イラスト

元イメージになったミノルさん(https://skeb.jp/@mino012)による素晴らしきイラスト

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