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【#大切にしてる教え】Do It Yourself

今日は、ハッシュタグ「#大切にしている教え」です。

私の通っていた小学校は、青森県八戸市にある小さな学校なんですが、

その小学校に通っていた僕は、当時「帰りの会」で、社訓のようなものを唱和して帰っていました。

卒業式の贈る言葉のように、代表者が声に出した後、クラス全員で元気よく発声するのですが、

「寄り道しないでまっすぐ帰ります」とか、「道路には飛び出しません」とか、「ふざけないで歩きます」みたいな項目が並んでいるのですが、その中に、今の時代では信じられないものが含まれます。

自分の身は自分で守ります

当時は、よく意味も考えず、「じぶんのみぃーわー じぶんーでーまーもりーまーす」とか言っていたこの言葉

いやはや。

当時好きだったあの娘も言わされてたかと思うと、

そんなことない!
君のことは僕が守る!

と言えればよかったなと思うわけですが

今思い返すと、この言葉が、私の行動の原則の中に含まれているなーと思うわけなのです。

例えば、初めて家を出て生活したあの日。

スパゲッティを食べようと思ったけど
「さて、スパゲッティというものはどうやって作るのだろうか」と、途方に暮れたあげく、
麺を茹でて、サバの缶詰をかけて食べたあの日。

己の無力さに絶望したあの日。
憧れていた「一人暮らし」とは、斯くも厳しく、困難なものなのかと痛感した。

思うに、夢を食って行けるヒトは、それこそ文字通り、夢を食って生きていけるのだ。

実現したい夢があり、それを実現することが喜びであり、
晩ご飯が「スルメ」でも、夢のためには頑張れるのだ。

さて、そこにきて、僕という人間は、何とも脆弱な気持ちでこれに臨んでしまつたのだらうか。

ない金
まずい飯
とうに消え果てた夢

僕というニンゲンには、ないものしかないのだ。

みうらじゅんよろしく、「空あり」の駐車場なのだ。
空(くう)が、ある、という仏教の教えなのだ。

とんでもないことでございますなのだ。
とんでもないが、あるのだ。

持たざる者は、ヘドロに塗れて、さもしく生きるより、道はないのか。
このまま、野垂れ死ぬのみなのか。

逡巡したあげくたどり着いた答え。

いや、
それでもどっこい。僕は生きている。

自分の身は自分で守るのだ。

金は自分で稼ぐのだ。
飯は自分で作るのだ。
夢は思い描くのだ。

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