引っ込み思案の表現・創作活動

noteを始めたものの、文章を1個も書いていないなと思いなんの方向性もないまま突然書き出してみたけども、案の定、一体何を書けばよいかしら?よく陥る状況。

いろいろなことに思いを巡らすことは好きだけど、それを文章に書き起こすのは結構苦手です。頭の中のニュアンスが上手に表現できていない気がしてしまうし、自分の考えていることを見せるのにちょっとした恥ずかしさもある。心のどこかでは見てほしい!知ってほしい!と思っているから書いたり作ったり、発信しようとしているはずなのですが。

...なんて思いが湧き起こってきたので、今回は表現と羞恥をテーマに書いてみることにします!テーマ決定!

「好きだけど恥ずかしい」もどかしさ

私は昔からピアノや歌やダンス、それから映像やデザインや曲作りのように自分の頭で何かを考えて形作ること、いわゆる表現・創作活動が好きだったのですが、どうもそれらを人に見せることが得意ではありませんでした。
もちろん、そういうものに打ち込んでいるときは早くみんなにお披露目したい!っていう気持ちになるのですが、絶対すぐに「自分なんかが...」「世の中にはもっと凄い人いるし...」「まだまだ下手っぴなのに恥ずかしい...」みたいな感情が出てくるのです。周りの評価も怖いのだと思います。
自分の見た目、性格、実力、熱意、そういうものを総合してしまうと、そしてよくわからない巨大な環境と比較して考えてしまうと、もう逃げ腰です。ピアノやダンスは発表する日が決まっているからなんとかそこに向けて頑張れるものの、締め切りのないものづくりのようなものになると、創作の最中で嫌になって辞めてしまうこともありました。

引っ込み思案なくせに表現のジャンルが好きとは、えらい困ったもんだ!!と自分でも思います。でも、表現したい・発信したい気持ちがあるのなら、そこは頑張った方が楽しいんでない?と、社会に揉まれ色々な経験を重ねていくうちに思えるようにもなってきたのも事実。幸いなことに、指くわえて見ているしかできないような時代でもないわけですもんね。それに、努力して発信し続けている人を見ると、単純にいいなあって羨ましく思うし。

発信することの恥ずかしさと楽しさ

いまだに作ったものや考えたことを人様に見せるのは緊張するし恥ずかしいし苦手ではあるけども、そのおかげで私がどんなことができるのかを知ってくれる人がいて、声をかけてくれたり誰かとつなげてくれたり、嬉しいこともあります。
そしてもう1つ気づいたことは、そもそもみんな大して私がやっていることに注目していないということ。これは、私にとっていい意味での気づきでした。

これまでは、人に見せるならとにかく完成度の高いものにしなきゃ!完璧にしなきゃ!という思いがあったのですが、いくら完璧を生み出したとて、自分だけの狭い世界で作った完璧はボタン1つ押して世に出た瞬間、それを見た人の感情や知識が乗って良くも悪くも一気に完璧なものじゃなくなってしまうのです。もっと言えば、それ以前に名も無い私なんかの完璧なんて誰にも求められていないわけで。(もちろん、クライアントワークになれば話は変わってきますがね)
今のレベルでそれを求めすぎるあまり、時間だけが過ぎて成果物ごと沈没してしまうくらいなら、ちょっと荒々しくても発信してみていっか!発信しながら日々勉強していけたらいっか!と、思えるようになったのは一歩前進だと思っています。
そして、完璧じゃなくても発信を続けれいれば少なからず反応してくれる人が出てくるもので、それが楽しさやモチベーションにもつながっています。

年齢がどうこうとか言うのはあまり好みではないですが、きっと歳を重ねるにつれ自分の感性も変わってくるのだろうなあと思うと、20代のうちにもっと作ったりなんだりしておきたいなと、30歳目前にして思う今日この頃なのです。

表現と羞恥はセット。しんどいけど尊い。
恥じらいは時に美しいと信じて!
恥じらいを忘れずに発信していけたら幸せです。

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