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っぽさ

集中しろ!
いや、してますけど?

気合い入れろ!
めちゃめちゃ入れてますけど?

根性見せよろ!
え、見えないんですか?

と言われたら
まあそりゃそうだよね

となる

綺麗な姿勢になって!
え、いま綺麗でしょ?

運動しましょう!
いやいや、毎日歩いてるけど?

勉強しろよ!
いつもYouTubeで学んでるよ?

となるのも同じ

結局何がOKで何がOUTなのかが曖昧だから起こるズレなわけ。
とはいっても明確に「これ」って表現できないことも多々あるから、そもそもこういった「表現」を使うことが不適切な場合が多い。

ただ、そうはいってもスポーツの現場でも、我々のような整体の現場でも当たり前に使っている。
じゃあなんで使うの?と考えてみると「雰囲気」でコミュニケーションを取りたいということが理由のひとつにあると思う。

頑張っている感じ、気合を入れている感じ、きれいな姿勢で入るっぽさ、勉強している感といったようなものを尊重することがとても多く見える。

そんなことを考えていると、多くの人は(私も含めて)こういった「雰囲気」や「っぽさ」による影響をめちゃめちゃ受けている気がする。そして振り返ると、自分が影響を受ける対象に自分も加担していて、ぐるぐる回っている感じだ。

マスクしている人が「外したい」と言っているけど、自分がつけているから他人がそれを気にしてつけ続けて、それを見ている自分も外せない、、、といった滑稽な姿と似ている。

だからこそそういった「雰囲気」や「っぽさ」ってそのままでいいの?ということをいろいろな場面で振り返るといい。そうすると、気づかぬうちに自分自身でその雰囲気に加担していて、自分が居心地の悪さを感じているかもしれない。
とはいってもそもそもそういった雰囲気に流されない人だっているし、そういった流れが見え始めたら、即座に判断して距離を取る人だっている。

別にスポーツの現場で、あえてそういった「雰囲気」や「っぽさ」を伝えて、いわゆる方向性を示すこと自体は全然悪いと思わないし、必要なことだと思う。ただそういった伝え方や捉え方が当たり前となって、なんでもかんでもそうなってしまっては、もしかしたらヤバいかも、、、といった話。

先日スタバで隣りに座っているおばさまたちが「うちの子は反抗期がなくて本当に助かったの」といったことを話していた。普通に考えたら反抗期がないというのは成長の過程においてまぁまぁヤバい。というか結構ヤバい。
ただそんなこともわからずに、自分が楽だから、反抗しない子どもはいい子みたいな頭だからそういった発言になるのだろう。

こわい。

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