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書店員の父の底力を見た、と思ったら。
日記です。
6年ぐらい前だろうか、出かけた先の本屋さんで深夜に見かけて、気になった本があった。
それは占いの本ではなかったが、欧州の教養系の内容で、明らかに参考文献として優秀な本だった。
しかし、残念なことに手持ちがなかった。
書店員をしていた父は、幼少から私に言っていた。
欲しい本があったら、
(1)タイトル
(2)著者名
(3)出版社
を必ず伝えるようにと。
今でこそ検索しやすい世の中になったが、かつてはこれらがないと本屋さんは非常に困ったのだ。
ちなみに、こういう父親の躾のせいか、
「ノーヒントで書籍の情報を要求する」
「明らかに読める写真等があるのに、それすらも確認せず他人に書籍の情報を聞く」
ということは我が家ではタブー。
本に関しては「できる範囲で事前に調べろ」が家訓だ。
そういうわけで、私は欲しいと思った本の(1)~(3)をさっと暗記した。
後で検索にかければ出てくるだろうと思って。
そして、深夜の朦朧とした意識のせいか、見事に忘れたのだった。
最近占いの復習していたら、絶対に行かないと決めていた「英語でしか情報が読めない」というラインに触れてしまった。
この時、翻訳文献のありがたさを身に染みて再認識した。
私の趣味の西洋占星術やタロットは、続けていれば西洋の文化、思想といった教養の壁に必ずぶち当たる。
占星術はおそらく有史以前から行われていたし、タロットのモチーフとなっている寓意は、ヨーロッパが何百年と大切に受け継いできたものだ。
自然科学とは別の思考をするだけで、占いは理論体系はきっちり構築されているし、いい加減な情報ではない(実際、占星術は中世では大学で教えていた)。
そして、翻訳文献ですら、これらの教養がないと「言葉はわかるが、意味がわからない」「なぜか脳が内容の受付を拒絶する」という事態に陥る。
それでも、翻訳文献はギャップをできるだけ埋める努力がなされており、ありがたい。
(とはいえ、私は「考えないで覚えろ」系の思考ができず、感覚で納得しないと知識を実践で使えない。
溝を埋められるようにするために、結構なコストをかけてきた)
で、冒頭の本である、日本語で外国の情報を読めるとは幸せだ。
たぶん翻訳文献(確証はない)、内容が欲しい情報ドンピシャだったことは覚えている。
あとは装丁の特徴しか覚えていないので、ググりまくったが見つからない。
アマゾンでも出てこない。
実は3年ほど前にも同じことをやっていた。
こりゃ無理だ。
毎日本に触れていて、何十年と出版物を見てきた人間を頼るしかないか……
手間をかけて申し訳ないと思ったが、昨日、父親にありったけの情報を送りつけた。
面倒な質問ですまん、親父。
このあと、電話で「ノンタンの絵本ぐらいの大きさで、金の箔押しがされていた気がする」とも伝えた。
そして、本日。
あっさりと父親から「これじゃね?」と回答が来たので、ググってみたら、
ドンピシャー!!!
親父どんだけー!!!?
父に「どうやって知ったの?」と訊いたら、
「検索したら出たよ」
(・ω・`*)マジカ
煩わせてごめんよ(ノーヒントじゃなかったので許容してくれた)。
お詫びに売り上げに貢献すべく、注文をかけました。
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