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公立王国埼玉のススメ


1.埼玉県の公立中学

大学入学への効率性のみで考えれば、間違いない、中高一貫教育は優れたシステムじゃろう。あらゆる理解レベルの生徒に合わせた義務教育を行う公立中学校の授業は、効率で言えば無駄だらけじゃからな。その割に、学校の勉強だけでは公立高校入試(特に選択問題)には対応できん。さらには高校に入った途端、勉強量と進度が突然ありえない勢いで増えて、中高6年間のカリキュラムでみると、後半の3年間で一気に辻褄を合わせるようなことになっておる。

しかしじゃ、公立中学には公立にしかない良い点がたくさんある。地元の友人やコミュニティと過ごす時間は、大きくなってからも、心の中に帰ることのできる原風景と帰属意識を刻んでくれる。多様性のある友人や先輩、後輩と過ごす時間は、実践的な人間力や社会性を育む。これは勉強と同じくらい大事な要素じゃとワシは思っておる。

さて、勉強面で考えると、公立中学校にも当然じゃが勉強にしっかりと取組む子は居る。しかし正直なところ、塾なしでは公立・私立を問わず、上位校と呼ばれる学校に合格するのはなかなか難しい。よって、ほとんどの公立中学校の生徒は、最終的に塾に通っておるじゃろう。なかには親に言われたとか、友達が行くからという理由で通う子もおるが、正直、こうした子の成績は塾に行ったところでたいして変わらんな。

そして、3年生になると進路が具体的に迫って来る。志望校を決める時に、多くの生徒は校風や大学の進学先を気にするじゃろう。保護者としては、楽に大学へ進学できる指定校推薦の制度や学費を気にするかもしれん。なかでも費用は大きな問題じゃが、埼玉県に関しては私学助成制度が充実してきたので、昔のように公立高校との費用に関する差は無い学校が多い。

2.効率より公立の埼玉県

少子高齢化・人口減少社会において、私立高校の存続が死活問題になってくる。公立高校も多くの学校で定員割れが起きておる。このような背景から、私立高校では大学進学の実績や面倒見の良さを前面に出してくるケースが多い。親は「塾や予備校の代わりに学校が面倒を見てくれる」と思い、子供は「高校生活の自由度を満喫できないかもしれない」と恐れたりもする。

さて、ここで考えてみて欲しい。高校をただの大学進学に向けた通過ルートだと考えて良いものか?いつまで勉強を「させられ」て、面倒を「見てもらう」のか?高校3年間は中学よりもさらに子供たちが成長する時期じゃ。それも、自分で考え、級友と協力して何かを成し遂げ、将来の夢を具体化していく大事な人格形成のためのかけがえのない時間じゃな。

そのような高校生活を、株式会社〇〇高校のような私企業の商業プロセスの中で過ごすのと、王国埼玉の県立高校で切磋琢磨して過ごすのとでは、大学受験の効率よりも重要な部分に決定的な差が生じる可能性があるな。これは上位校での話じゃが。もちろん、私立高校の中には自主性と自由を重んじる側面もあるし、公立高校だから何でも自分たちで決められるわけではないが、概ね根底にある思想には大きな違いがあるわけじゃ。

特に埼玉県の公立伝統高校で過ごす時間は、下手をすると大学よりも本人の人間形成に大きな影響を与えてくれる。保護者が県外だったり私学の出身であると、なかなか想像が難しいかもしれんが、例えば県立浦和高校や浦和第一女子高校を始めとする、各地の別学校に刻まれた伝統行事や校風には、効率性だけでは語ることのできない人生の鍛錬の場が用意されている。

公立王国埼玉の復権、などと言うと語弊もあろうが、今一度、埼玉県の公立高校が持つ魅力に目を向けて見てはどうじゃろう。親御さんも生徒さんも、早い段階から各学校の公開イベントに参加して、その生き生きとした校風や生徒さんの様子を目にして欲しい。

3.都市伝説に惑わされない

巷には高校に関する様々な都市伝説が流布されている。たいていは塾業界や私立高校などの商業的な背景で語られた言葉が独り歩きしているわけじゃが。例えば、塾であれば高校入試を対象とした生徒に、
「県立浦和高校は4年制と言われますが、現役で東大に行くような生徒は塾に通っていることも多いです」
とか、
「うちの高校なら、指定校推薦で〇〇大学に3名は入れます」
とかな。
この論法が、
「この映画を観て全米が泣いた」
とか、
「うちの売り場から過去に3名の高額当選者が出ました」
と同じことに気づくかのう。
塾は東大合格や宝くじの当選を保証しているわけではなく、耳障りのよい宣伝文句で煽っているだけじゃ。それも悪とは言えない。なぜなら、それが彼らの営業モデルじゃし、私立大学も慈善事業や公共事業ではないから、第一に考えるのは利益を出すためのアクションになるのは当然じゃ。

しかし買い手側としては、手っ取り早く波に乗ろうとしたり、お隣さんが儲かってるからやってみるというような、日本人的横並びの煽りに屈してはならん。どの高校に行っても、個人次第ではある。しかし、その個人を輝かせてくれる、自立と多様性、そしてある種、異様なパワーを持った同級生の集まる場所が公立の上位校ということじゃ。そもそも教育は公共サービスが主体であって、営利目的には馴染まん側面もあるな。ということで、どうせなら公立高校を目指してみてはどうじゃろうかと、神は思うのじゃ。

学問のススメの中で、福沢諭吉さんが語っておる。

天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと云(い)へり

所属する会社や学校の名前とか、お金持ち(あるいは持っている風)かどうかとか、成人した後の社会で否応なしに巻き込まれる価値観に巻き込まれず、高校生の時にしかできない自分や多様な価値観の友人と成長する機会を持てるのが埼玉県の公立高校ではないかと思っておる。是非、今の自分よりも一つ、二つ高い志望校を見つけて、県立高校の入試にチャレンジしてみてはどうじゃろう。万が一の時でも、埼玉県には立派な私立高校があるのじゃからな。

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