幼馴染が死んだ日
おはようございます、こんにちは、こんばんは。
久しぶりに自分の感情を残したいと思いnoteを更新してみることにしました。
2024年7月16日(火)19:53
幼馴染ののんちゃんが死体で発見されたと親から電話がありました。私と同級生、32歳という年齢はあまりにも早すぎる別れでした。
さかのぼること2日前。2024年7月14日、親から不可解なLINEが届きました。
行方不明とは?チラシ配りとは?財布と携帯も持たず?
全ての言葉の意味が全然理解できず、親に電話をしたものの出ず、姉のスマホに電話をかけて出たので親に代わってもらい事情を聴きました。
そもそものんちゃんは精神的に弱い部分があり、そういった病院に通っていました。今回はその病院の入院中に出来た出来事で、7月8日の13:30頃を最後に姿を消してしまったようでした。その間の施設側の管理問題がどうなっているのか、そもそもそこが第一の問題ではあるのですがいったん話が反れるのでここまでにします。
猛暑日と言われる日々もあった中での行方不明騒動。ご家族は警察にも探偵にも依頼しましたが目撃情報もなく警察もろくに動きはしません。本当に日本警察は死んでからじゃないと動いてくれません。役に立たない税金泥棒です。そこについても今は悔しくて文句ばかり出ますがここまでにします。
そうして私が知らされたのはそう言った日々から少し経った7月14日の夜でした。15日はたまたま1日休暇を取っていたので家で猫とゆっくり過ごそうと思っていましたが、どうにも落ち着かずもう一人の幼馴染、ゆかりんと一緒にビラ配りをしに行くことにしました。
まさか身内のこんなチラシを見るだなんて思っていませんでした。
病院付近まで行き、近所のコンビニや薬局、お店などに直接チラシをもって張ってもらったりポスティングしたり。そして歩き続けること2時間、犬や猫を探すんじゃないんだからとゆかりんと話しながらも草木が生い茂ってるところで立ち止まってはのんちゃん、と名前を呼びました。
歩き回っていると家族とすれ違い、もちろん幼馴染なので顔見知りの為立ち止まって少しだけ話をしました。お母さんはありがとね、と感謝を。お父さんは仕事休みなのに悪いね、と謝罪を。見つかればいいから、お二人も暑いので気を付けてと別れました。他にものんちゃんの弟、しんくんは自転車に乗って私たちの姿を見つけてあ!ありがとう!と声を掛けてくれ小さかった弟くんが大きく見えました。
その日は手掛かりもなく、歩き続けるにも限界があるので近くのファミレスで休憩して帰りました。正直、生きていればそれでいい。道端で倒れてしまっていい人に声を掛けられ、別の病院に運ばれていたりすればいい。まだ生きている可能性はあると思って家に帰りました。
翌日、7月16日。仕事の為出勤した私は撮影の為社用車に乗って運転してくれている人の後部座席でのんちゃんがよく聞いていたUVERworldが流れた瞬間静かに涙を流していましたが、いざスタジオについて仲のいいスタッフ陣と顔を合わせると自分の置かれている今の意味の分からない状況を口にした瞬間涙が溢れて止まりませんでした。
しかし仕事があるので、何とか切り替えてその日の撮影を無事に終え、その間も事故や事件がなかったか、何度も確認しながらスタジオから会社に戻りました。そして見つけてしまった、白骨化した遺体が川から流れついたという15時頃のニュース。病院近辺からその川までの距離も現実的に無くはない、そして夏場は白骨化が進むのが早いらしいと調べたときに分かって心臓が取れそうなくらい早いスピードで動きました。
絶対違う、そう言い切れないのですぐさま管轄の警察に電話をしました。初めて「記事で見た白骨化の遺体なんですけど、女性か男性かわかりますか?」と聞きました。警察は「まだわかりません」そう答えました。
そもそも何故聞いたか経緯を説明するとそれはいつ頃ですか?と聞かれ、1週間ほど前ですと伝えると「1週間程度の白骨化ではなかったので別人だと思います」と言われた瞬間安堵がこみ上げました。私は安心して電話を切り電車に乗りました。
家に戻ると幼馴染LINEグループでのんちゃんとゆかりん、もう1人ゆかの4人のルームで話し合いは進んでいました。過去ののんちゃんとのLINEの履歴などを確認したりいろいろな可能性を上げて、アプリで男性と会う約束をのんちゃんがしていたことが発覚して怪しいかもしれない、これは早急にご家族に報告すべきだと判断しのんちゃん母にLINEをした直後に母親から電話がありました。
「のんちゃん、死んじゃった」
その一言がずしっと心にのしかかった瞬間、まず思い浮かんだのはのんちゃんとゆかりんと一緒に行った海の日でした。
普段は地元から離れることなく地元のイオンで大人になっても遊んでいた私たちがめずらしく県外を出て私の運転でドライブに行きました。
三脚など持って行っていないので禁断の砂の上に一眼レフを置くというプロじゃないときにした最低なカメラの扱いをした今なら撮れない3人のセルフィー。
基本的にゆかは仕事も平日休みなことが多く、遊ぶのは3人のことが多かったような気がします。
この日は本当に天気も良くて、山道も登って紫陽花を見て山頂でサイダーを飲んだような気がします。今思うと海でめちゃくちゃハイテンションに遊びまわったのにその後ハイキングして3時間運転して帰るんですから体力が有り余っています。若さがゆえに出来た行動だなと思います。
4人で集まるときは大体ご飯に行ったりのんちゃん家に行ったり。こうして写真を撮ったのはこれが最後でした。
今でもこの時楽しかったな、何しても笑えたなと思い出せます。本当に幼馴染といると社会人で辛いこととかもうどうでも良くなるくらい面白くて笑えるんです。そしてこの4人が関係を保てていたのは、間違いなくのんちゃん自身のおかげでした。
のんちゃんは本当にまめなタイプの人間で、誕生日おめでとうとみんなが誕生日の日、必ず1番に連絡をしてくれました。それでみんなが続いておめでとうと言ってそっか、誕生日だったかと気が付くのです。のんちゃんは普通にやっていることでしたが、それを大人になってもできるのは普通じゃないです。すごいことなのです。
思えばのんちゃんは私の写真のモデル一号と言っても過言ではありません。
私が一眼レフを持ち始めた2013年。当たり前ですけどモデルの伝手なんてなかった私は友達を撮らせてもらうしかポートレートを撮ることが出来なかったのですが、みんな恥ずかしがってなかなか撮らせてくれませんでした。
そんな中のんちゃんはいいよ、と練習台になるよと言ってくれ私は夢中でカメラを握りました。設定もオート、キッドレンズのしょぼカメラ。でも初めて綺麗に撮れたかも!と思ったのが先ほど載せた写真。今思うとのんちゃんは写真に写るのが上手でした。
今見ると設定も構図もぐちゃぐちゃ。でもこんなにもいい写真ないな、って思います。大好きな地元、秋から冬になり始める空気、風、夕日、そして今はもういないのんちゃん。
何ていい写真なんだろう、そんな風に自分の写真を褒めたことはこれまでにありません。しかし撮っていて本当に良かった、撮った自分と撮らせてくれたのんちゃんに本当に感謝でいっぱいです。
あの頃の私は、まさか自分がプロカメラマンになるなんて思ってもいなくて、ただただ写真を撮ることが楽しくて、もっとうまくなりたい、もっといろんな人を撮りたいと声に出して言うとのんちゃんはいつだって優しくもう上手だよ、と言ってくれました。
被写体モデルが出来るような環境になっていくにつれてのんちゃんを被写体として撮ったのはこの小湊鉄道での写真が最後でした。
もっと撮っておけばよかった、そう後悔はたくさんしています。
でものんちゃんとの思い出は写真だけではもちろんありません。
のんちゃんと喋った言葉、のんちゃんからもらった手紙、LINE、一緒に撮った2ショット写真、くだらない動画。たくさんの思い出があります。
今はそれを幼馴染グループのトークで沢山投げて話して笑って、まだまだ泣いてます。きっとのんちゃんもこんな写真どこから!?と驚いてると思います。ごめん、もしかしたら黒歴史と言われる写真も見せてるかもしれない。でもね、のんちゃんはずっと可愛いんだよ。幼馴染たちの中で断然かわいくて、大人っぽくて、綺麗で。そりゃモテるってくらいモテてきた人生だったんじゃないかな。
のんちゃん、大人になってから、特に20代後半になってから。私がカメラを仕事でやるかもしれないと忙しくなってから、連絡返さなくなったり気まぐれでの返信速度になってしまったり、遊ぶ機会を忙しいからと言ってなくしてしまったりして本当にごめん。優先順位、私が間違ってた。
いつだって応援してくれて、いつだって私の幸せを願ってくれて、いつだって私を好きでいてくれる絶対的な味方だった。もちろん、私もそう思ってた。多分のんちゃんは私のことを【あの時救ってくれた恩人】と思ってくれていると思う。実際に多分何回かのんちゃんの苦しい時を助けた自信もある。でも死んじゃったら、もう会えないんだよ。あの時救っても、今死んじゃったら意味がないじゃんか。
おばあちゃんになってもカラオケであの頃の名曲歌ってさ、プリクラ撮ってさ、のんちゃん家で缶チューハイ飲んで遊ぶんじゃないの?私は50歳でも60歳でもいつまでもそうしていたかったよ。
毎年会えなくても、2年に1回でも、4年に1回でもいい。だって連絡は必ず誕生日には来るから、会えるのはいつだって出来る。関係が途切れることは絶対にない、そう思っていたのに。
死んだらもう会えないよ、会いたいよ。
まだ当分気持ちの整理が出来そうにない。葬儀の日程もまだ決まっていない。
それまでにのんちゃんへの手紙を書こう。だってのんちゃんは文通をすることがあの頃も大好きだった。直接のんちゃんに気持ちを伝えられる最後のチャンスだから。
どうか安らかに、
どうか苦しむことなど絶対にないように、
どうか、私の親友であり、家族であり、幼馴染であるのんちゃんに幸せを
2024年7月16日
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