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【エッセイ】現在地点、女性〜?

物心つく頃から性自認とか性的指向がぐんにゃりとしており、「男」だと言われても「女」だと言われても違和感があったし、好きになる人の性別なんてまるで気にしたことがなかった。一時期セクハラ被害によって男性嫌悪が発生して(所謂)ビアンという状態にはなったけど、それも10年すれば落ち着いた。(男性嫌悪とは関係なく、そもそも女性を好きになる機会の方が人生多かった)ただ、自分の性がなかなか自分の納得いかず、「男」か「女」か「それ以外の諸々か」いろいろ悩んだ結果FtX(女性だけど無性)というところにここ数年は落ち着いていた。
ただ最近少し変化があって、「私は間違いなく男性ではない」という確証が持てる様になった。理由はわからない。けど多分、交際とか企業勤めとかで社会や人間に触れたことで「私が何者か」を考えたり知る機会に恵まれたからだと思う。

話は変わるが、ナベシャツで胸を潰すことがありつつも私は女性装をしてきた人生をもっている。レディースが「趣味」だからだ。単純に、メンズよりレディースの方が心を惹かれる服が多い。それだけ。納得こそいかずとも私の体は「女性」であって、その体格にレディース服はよく似合った。(当たり前だ)「女性であることは意味がわからないが、まあ私の好きな服が似合う女体という器ならそれでいっか」と思っていた。そこからすでに「男性ではない」と思うヒントはあったのだと思う。これまで一度も男装をしたことがないという事実は、「私は男性ではない」という仮説を確立させるひとつの要素として機能した。
じゃあ「私は女である」と言えるかというとそれはまだよくわからない。様々なこと検討したり経験したりする必要があると思っている。

私は「社会から求められる女性像」というものが大嫌いだ。そんなの幻想だと言い聞かせていた時期もあったが、「化粧をしないと女じゃない」とか「結婚と出産は女の幸せ」とか「家事ができなきゃ女じゃない」とか、そういうご意見は必ずしもどこかにあって、巡り巡って私のところにちらほらと流れ着いた。だから幻想とかそういうものではないと思っている。別に化粧が嫌いなわけじゃない。むしろ友人と遊ぶ時は化粧をして着飾る。水色のアイシャドウを入れるのが好きだ。でも、だからといって「化粧をしなければ女じゃない」「女は化粧をするべきだ」という意見には全く納得できない。化粧をしなくたってその人はその人だろう。
なぜこの話をしたかというと、私のこの「女」という性の違和感は「社会から求められている女性像」によって発生しているのではないか?と思い始めたからだ。もしかしたら社会が変われば(もしくは私の自我のふんにゃりさがなくなれば)、私は「女」でいることに違和感がなくなるかもしれない。それを現時点の仮説として人生をやっている。

ここまで語ってきたが、別に性別なんてどうでも良いと思っている。その人がその人らしく在れれば、男だろうが女だろうがトランスだろうが両性だろうが無性だろうがなんでもいい。だから私も、私が自分の性を規定する必要はないと思っている。だがどうにもこうにも、私にとって「曖昧」なのとはとても心地が悪い。恐らく自閉スペクトラム障害のせいだろう。
だから、私は私を規定したいと思っている。遅い自我の芽生えと社会適応だ。まあのんびりと見守ってやってほしい。そして私が下した決断に対して「そうだったんだ〜」くらいの認識でいてほしい。

Q.私は何者か? A.私。私らしく在れれば“私”なのだ。

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