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この『いづれ見えなくなる瞬間(とき)』を今に問いたい。

ふと思い出す。あるSNSで出逢った人を。
その人は入退院を繰り返しているという
話は聞いていた。
ある日、SNSに顔を出した彼は寂しそうにこう言った。

「たぶん明日から最後の入院になるので、ここには来れなくなると思います。こんなに優しい皆さんとあの子を応援できて、本当に楽しかったです。もう話せなくなるのは残念だけど、最後にいい思い出ができました。皆さんと一緒に過ごした時間は宝物です。ありがとうございました。」
その言葉を残してSNSから姿を消した。
自分は「いってらっしゃい、ここにもがんばって帰ってきてね」と、
最後の言葉を伝えに来てくれたのに、気の利いた言葉を返せないまま、その会話が終わった。

この会話が今も忘れられない。自分はどう返せばいいのか、何て言えばよかったのか?
もし自分がその立場だったら、ちゃんとみんなに言いに来れたのか、その根底にある未練に折り合いをつけることができたのか。いろんな想いが重なって50年も生きて来てるのに、返す言葉さえまともに出てこない、そんな自分がすごく嫌になって、思い出しては涙がとめどなく溢れてくる。
ねぇ、どう答えればよかった?
ねぇ、どうしてあげたらよかった?
誰か教えてください。

本当の彼を見たこともない、実際に声の出して話したこともない彼だけど、どんな想いでその日まで過ごして来たのか。その答えも曖昧なままにその糸は途切れてしまった。
だからじゃないけど、所詮は自己満足なんだろうけど、できることであるのならば、彼のためにやってあげたかった。
しょせんここで言葉でしか言えなくて、この想いを綴るのが精一杯な自分がいて、もうどうしようもない事だともわかっている、答えも出ないのもわかってるんだよ。
人がその生涯を閉じる事を覚悟した時、自分にもその答えがわかるよね。
だから今はその時まで、もうしばらくお付き合いください。
こんなどうしようもない自分に関わってくれた全ての大切な人たちへ、ほんの記憶の片隅にでも置いてくれて、ありがとう。


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