見出し画像

【読書日記】7/14 大きいお祖母さんの言うことにゃ。「マリゴールドの魔法/モンゴメリ」

マリゴールドの魔法(上・下)
L.M.モンゴメリ 篠崎書林

図書館の除籍本からの掘り出し物のひとつ。
中学生の頃に図書室で読んでそれ以来ですが、私の人生に大きな影響を与えた一冊なので、探しておりました。

「ここにこうしているのはどんな気持ちだね?」
急に大きい祖母からこう聞かれて、マリゴールドはびっくりした。
「かなりいい気分だわ」
「よろしい。これは、いい試験なのさ―無言の試験とでもいうかね。誰かと三十分間、黙って坐ったままで、いい気分でいられたなら、その人間と仲良くやっていかれる証拠なんだよ。そうでなけりゃ、仲良しにゃなれないし、骨を折っても無駄というものさ」

マリゴールドの魔法

主人公マリゴールドに「大きい祖母」が最期に遺す知恵。なぜか中学生の頃の私はこの「誰かと黙って一緒にいていい気分でいられるなら仲良しになれる」という法則に妙に納得して、その後、物語の大半は忘れてもこの法則は覚えていて、相性を見定める指標としておりました。
そして、一世一代の「無言の試験」をお見合いの相手に試み・・・その結果、「かめ」と「さる」が生れましたとさ。
というわけで、物語中の人物とはいえ、「大きい祖母」は私にとって恩人ともいえ、再会できてうれしく思いました。

モンゴメリは、赤毛のアンの作者です。
本書の主人公、マリゴールド・レスリーは、良いお家に生まれたアン、といったところでしょうか。

その地方において一目置かれるレスリー一族本家の直系として「えぞ松屋敷」で生まれたマリゴールドが、12歳になるまで、幼子が娘になるまでの子供時代を描いた物語です。

えぞ松屋敷には、一族の長老として君臨する大きいお祖母さん(マリゴールドの曾祖母)と小さいお祖母さん(祖母)、母、使用人たち、そして、大きい祖母の手下のような猫たち(ルシファとウィッチ)が住んでいます。

この大きい祖母がなかなかの傑物なのです。
90歳を過ぎてなお「言うことにも、することにも、いたずらっぽい意地悪さがひそんでいる。レスリー家全員をとりしきり、一族のことなら何を言い、何をしたかにいたるまでことごとく承知している。」という老婆。
他人(親族含む)が何を嫌がるか、どう思うかを熟知していて、巧みにそこを突く。誇り高く理知的、情に溺れることはない。
そんな大きい祖母は、マリゴールドが6歳のとき、百歳を目前に亡くなります。
その前日、マリゴールドとともに果樹園に赴き、様々なことを伝えるのです。
老いた女王がたった一人の後継者にすべてを託すように。
その話をする場面の冒頭が上記の場面です。大きい祖母は、まず「無言の試験」をして合格したから多くのことを語ったのだろう、と思います。

大きい祖母の語る知恵については、現代では既に時代遅れのものもあるのですが、今でも通ずるものを一部省略・再編して引用します。

「楽しく暮らしていくんだよ。古いしきたりなどは気にせずにね。ただ、人生というゲームは規則だけは守らなくちゃいけない。そのほうがいいんだよ。とどのつまり、人生はごまかしのきくものじゃないからね。
 それから、人の言うことをあまり気にしなさんな。したいことは何でもおやり―あとで鏡に映る自分の顔をまともにみられさえすればね。
 お前も失敗をやらかしてはそれから学んでいくのさ。」

もう大分大きくなった自分にも、そして子供たちにも言ってやりたい言葉だと思います。

本書の、もうひとつの読みどころは「シルビア」の存在です。
アンにはダイアナがいましたが、マリゴールドには、親しい友人はいません。

父親は、マリゴールドの生まれる少し前に急な病を得て亡くなりました。
母親は美しく気立ては好いけれど、格下の一族の出身ということもあり、娘の目から見ても「いじめられているし、いばられている」という肩身せまく暮らしている立場。
辛辣な大きい祖母、頑固者の小さい祖母、何かと口うるさい親族の目が光っていて、立ち居振る舞いに何かと注文が多い。
また、学校では、「お高くとまっている」といわれて親しい友人はいない。なお、マリゴールド本人がレスリー一族であることを誇りに思っているので、あながち間違いではない。

小さい子供には少々窮屈な環境に想われますが、マリゴールド本人はえぞ松屋敷とそこに住む人々を愛していて、しかもどんなことにも喜び・楽しみを見つけ出す才能(空想の力)を持っていました。
そして、「緑の木戸」を抜け「魔法のドア」を開けて「詩」を唱えると現れる「シルビア」とは深い愛情と友情で結ばれていました。

シルビアは「想像上のお友達」ですが、マリゴールドが現実世界で出会う、年の近い子供たちとの交流(中には本当に愉快な体験もある)を経ても、また小さい祖母に強硬に存在を否定されたとしてもシルビアの優位性はゆらぎません。

しかし、十二歳になったころ、あることをきっかけに「シルビア」は姿を消します。
半分、妖精と夢の国の住人でいられた子供時代からの目覚め。

自分が中学生、マリゴールドと同じくらいの年頃に読んだときは、この場面はむしろ成長であり、新しい世界への第一歩のように感じました。
再読すると、もう充分大人になっているせいか物悲しい気持ちになりました。子供時代が終わったらあとは長い「大人」の時が始まります。それなら、そんなに急いで大人にならなくても良いのに、と思ってしまうのでしょう。
今、子どもたちがちょうどその時期にさしかかっていて、幼いころに喜んだことから少しずつ卒業していくのをみるのが、嬉しいような寂しいような気持で眺めているからなのかもしれません。

最後に、夢(空想や想像)の世界から一歩を踏み出すマリゴールドに、おばが伝える言葉をご紹介します。

「できる限り夢は大切にするのよ。夢は不滅のものだからね。時にも滅ぼされないし、年にも衰えないわ。現実にはうんざりすることはあっても夢には決してそんなことはないものね」

マリゴールドの魔法より