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運命は決まっている論

人の一生は最初から最後まで決まっているというお話は、桜の花びらと風に例えて以前にも何度かしました。
なんとなく今回もそんなことを簡単に書こうと思います。

「人の一生は最初から最後まで決まっている」

というよりも最近では、

「人の一生は最初から最後まで自然の力によって導かれている」

という言い方のほうが自然な感じがします。


例えば、外出時に雨が降ってきました。

その時どうするかというと、かめさんの場合は傘をさします。

「傘をさす」という行為は、かめさんが決めたことです。

けれども本当のところはそうではありません。

何故なら雨が降ってこなければ、かめさんは傘をさすことはなかったのです。

つまり「自然の力」によって誘導されたのです。


そのときの雨の強弱にもよります。

少しの雨ならささない場合もあります。

これに関しては「その人の特徴」が決めることです。

ちなみに「その人の特徴」というのは生まれつきのもので、元をたどると自然によって造られたものです。


つまり自分という存在は自然が造ったもので、それが自然の力によって変化しているだけのことなのです。


お話はそれますが、幸せな人と不幸せな人との違いは、悪いことが起きてもプラスの意味に解釈できるかできないかの違いです。

けれどもこれに関しても、プラスの意味に解釈できるという特徴を持って生まれてきただけのことであって、こればっかりは運です。


そうなると結局のところ、自身の運命を天に委ねるしかないのですが、これもまた厄介で、というのも、それができるという特徴を持って生まれてきたかどうかということになるからです。


「無為自然」「なるようになる」「ケセラセラ」というような言葉がありますが、ある意味これは絶体絶命の時の究極のおまじないです。


自然の力というのは雨や風、災害といった自然のものだけではありません。

当然、人もまた自然の力です。

つまり、かめさんも自然の力の一部なのです。


例えば、かめさんと一緒にいるだけで楽しいと思える人は自然の力であるかめさんによって笑顔に誘導されるし、当然、不愉快だなぁと思う人は自然の力であるかめさんによって不愉快な顔に誘導されるし、かめさんもまた自然の力である相手によって笑顔に誘導されるし、その逆もあるという感じです。


それから、「自然の力」という大きな力から外れることは限りなく不可能に近いです。

極稀にバグのような現象が起こりますが、これに関しては今のところ説明ができません。

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