贋説故事成語~【臥薪嘗胆】

【臥薪嘗胆】という故事成語がある。「がしんしょうたん」と読む、念のため。

〔「史記(越王勾践世家)」「呉越春秋」などから。中国の春秋時代、越王勾践(こうせん)に父を討たれた呉王夫差(ふさ)は常に薪(たきぎ)の上に寝て復讐の志を奮い立たせ、ついに仇を報いた。敗れた勾践は室内に胆(きも)を掛けてこれを嘗(な)め、そのにがさで敗戦の恥辱を思い出してついに夫差を滅ぼしたという故事による〕

ということから「敵を討とうとして苦労し、努力すること。目的を達するため苦労を重ねること。肝を嘗(な)む。嘗胆。」

↑と、定説ではなっているが、本当にそうなのであろうか。

普通の人間なら、復讐の念を忘れんがために毎日痛い痛い薪の上で睡眠をとっていたならば睡眠不足が積み重なり、結果人生に嫌気がさしてしまい、100人中99人は「もう復讐なんてどうでもいいや」と思うようになってしまうであろう。同じように、苦い苦い肝を毎日舐めていたら、100人中99人は何が楽しくてこんなことやっていなくちゃならんのか?と己の人生に疑問を抱くようになり、甘味への渇望が食欲の中枢を刺激し、深夜に冷蔵庫を漁り苺大福やらバナナロールやらを貪り喰らうようになり、体重が激増し、結果馬に乗って戦場へ向かうことさえ叶わなくなってしまうやもしれぬ。


逆効果である。


確かに呉王夫差が薪の上に寝た理由は、最初はその痛みを日々実感することにより復讐の念を忘れないようにするためだったかもしれない。そしてもしそのままだったら先に述べたように「もう復讐なんてどうでもいいや」という荒んだ思いに支配され、やがて酒池肉林に溺れ、歴史の中で愚帝として記憶される存在に堕ち果てていたであろう。しかし間一髪、そうなる以前のある時、夫差は気がついたのである。朝目が覚めた時に妙に身体が軽くてさわやかであることに。そう、薪のごつごつが身体のツボを刺激し寝ながらにして疲労が回復して体調が良くなっていたのである(何を馬鹿なことを……と言うなかれ、これはごつごつのクスノキ枕を愛用して眼精疲労を予防しているKが言うのであるから間違いのないことである)。

かたや、越王勾践はどうであったろうか。敗戦の恥辱を忘れんがために毎日胆を嘗めていた勾践。そのままだったら先に述べたように馬にも乗れぬ恥辱の王として嘲り嗤われ、果てはパンケーキを喉に詰まらせて窒息死するという無残な最期を迎えていたであろう。しかし間一髪、そうなる以前のある時、勾践は気がついたのである。朝目が覚めた時に妙に身体が軽くてさわやかであることに。そう、それは、動物の胆を嘗めることによりそこに含まれる有用成分が摂取され知らず知らずのうちに体調が整えられていたからにほかならない。(何を馬鹿なことを……と言うなかれ、「熊の胆」などに代表される動物の内蔵は古来より漢方の妙薬として利用されて来たことは万人が知る事であるのに、なぜ今までこのような観点より「嘗胆」の故事を解釈する者がいなかったのか。逆にまことに不思議なことではないか)。

つまり、「臥薪嘗胆」の真の意味は、物事を成し遂げるためにはまず疲れを癒ししっかりと体調を整えることが肝要であるという至極当たり前の教えなのである。

【用例】
連日の残業続きで疲れがたまってしまったので、ここはひとつ臥薪嘗胆、焼肉でも食べて栄養をつけ風呂にゆっくり入って今夜は早く寝よう。


以上、テストには出ないし、覚えておいても得はない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?