青天乃霹靂(壱)

 先々週の木曜日(9/19)の昼休みことである。

 3連休が2週続くこともあってその数日仕事が重なってしまい、前々日はここ数年来という0時過ぎ、前日も10時近くまでの残業と流石に疲れがたまっており、昼食の仕出し弁当を食べ終わった後はウォーキングに出る気にもならず、パソコンでツイッターのタイムラインなどを眺めてボーッと頭をクールダウンさせていた。
 タイムラインを下から上へだらだらと流して眺めていると、ふと気になる記事の引用が目に留まった。確か「丸亀製麺は実は香川県とは無縁云々…」というようなルポ記事だったと思う。そこでツイートのリンクを踏んでそこのページを開いて読み始めたのだが、はて、何を書こうとしているのか全く頭に入って来ない。何というか、主語が目的語を経由してきっちりと述語に着地していない印象でチンプンカンプンなのである。一応記名記事だったので「よくこんなに拙い文章を書いてプロのライターをやってられるなあ」と呆れ、読み進むのを諦めてツイッターに戻ると、今のページのリンクを引用しながら「この記事読んでみたけど何を伝えようとしているのかさっぱりわからない。文章が下手なのか自分の読解力が無さすぎるのか」とちょっと皮肉ったツイートをポチッと入力した。ちょっとキツ過ぎたかなあと軽い後悔を引きづりつつ(小心者なのです)再びタイムラインを辿りはじめたのだが、何かおかしい。画面を早くスクロールし過ぎたのがいけないのか、興味を引くタイムラインのエピソードが全く目に入って来ない。変だなあと画面を止めてじっくりと適当なツイートを読み始めようとすると、

…読めないのである。

 一応ひらがなは読めた。しかし漢字が読めないのである。「日」とか「火」など小学校低学年程度のごく簡単な漢字は読めた…気がする。しかしちょっと画数の多い漢字は見覚えがあるもののどう読みどういう意味なのかがスッポリと抜け落ちてしまっているのだ。そこではたと気がつく。ああ、さっきの記事が何を書いてあるのが分からなかったのはこれが原因か…。で、先刻ポチした自分のツイートをとりあえず慌てて削除、冷静に考えればそれどころでは無い深刻な事態なのだがまあ誰かを理不尽に侮辱してしまったことは申し訳なかったと後悔したわけです。
 パソコンの画面だけではなくデスク周りにある仕事中の制作物の紙面も原稿の漢字も読めなくなっていた。読みと意味が分かれば頭の中の引っかかりが外れて再び読めるようになるかもと、画面上の漢字熟語をコピーして辞書サイトにペーストして見ると、ああこういう読み方だっけとひらがなの部分で読みは分かるのだが、意味を記載する文章がまた漢字が混じっていて理解できない。
 流石にこれは異常な事態だと焦りが込み上げてきて、同じ社屋にいた営業職の同僚に声を掛けようとして、はて、あの二人のこといつも何て呼んでいたっけ、と今度は、人の氏名が全く浮かんで来ない。あれ?あれ?あれ?と立ち上がって部屋の中をウロウロと読めない掲示物の連なる壁を見回しながら途方に暮れながら頭を絞っていると、どうにか同僚の名前は浮かび上がって来た。そこでここに至ってようやく「あのさ…」と自分の状況について話しかけて見るも、見た目は何ともなくただウロウロとしているわけで、先方も「はあ…」とわけがわからない様子。改めて自席に腰を下ろしてパソコン画面を見るがやはり見覚えがあるが読めない漢字が存在しているだけである。どうなっちまったんだ??
 と、先ほど声をかけた後輩が「ネットで色々調べてみたんですけどなんか色々出てきますよ…」と声をかけて来た。四面楚歌孤立無援の思いで途方に暮れていた自分としてはありがたい一言だったが何しろその画面の文章自体が読めないという症状な訳で、力なく立ち上がって後輩のデスクに歩み寄り「ありがたいけどその文章が読めないんだよね」と後輩のパソコンをのぞき込んでみると、何と、読める。読めるのである。慌てて自分の席に戻り、先ほどまで全然読めなかったパソコンの画面や制作物の原稿などを改めて見ると、読める。

 かくして、結局30分ほどで漢字認知の空白は元に戻り普通の状態に復帰したわけだが、これは明らかに頭の認知機能がおかしい状態だったわけで、改めて一通りの状況と経緯から原因を考えるに、一番可能性として考えられたのは、脳血管系で軽い硬塞が生じたのではないかということだった。

 実のところ、自分の家系は圧倒的な比率で脳血管系疾患に罹患していて、自分が実際知っている範囲では祖父母も両親も伯父叔父伯母叔母親戚関係もほぼ100%がクモ膜下出血や脳梗塞などで倒れて死去したり寝たきりになったりしていた。それゆえ自分もそれは逃れ得ない宿命だと思っていたわけで、遂に来たか? というのが正直な感慨だった。
 しかしながら先ほど後輩が見つけ出したネット記事では「疲れやストレスによって突然認知が歪む」というようなことを説明しており、確かに疲れとストレスは溜まっていたし、最近読んだエッセイ『うつ病九段』(先崎学:著)でも、ある日突然今まで当たり前に出来ていたことが全然出来なくなってしまったエピソードが描かれていた記憶があり、脳疾患由来ではなく純粋に精神的な問題である可能性も考えられたし、いやいや、もしかしたら脳腫瘍の初期症状だという可能性も…などと素人があれこれ考えても真相にたどり着けるわけもないわけで、これは一度医療機関で診てもらった方がいいだろうなあという結論に達したのであった。

 というわけで、ことの顛末を社長などに話すと流石に「ちゃんと検査した方がいいんじゃない? というか検査してください」とそこでも言われ、もちろん自分自身もそのつもりで異存はなかったのだが、最初に触れたように3連休が2週続いていた繁忙時期で、今日の明日というわけにもいかず、結局半休を取って脳神経外科のある病院へ向かえたのはちょうど1週間後の木曜日になっていた。
 「1週間後になっていた」で察してもらえると思うが、その1週間は何の異常もなく、仕事は相変わらず忙しいものの休みとなれば待ちかねていた我らが千葉ロッテマリーンズのシーズン最終3連戦に通い詰め、初戦こそ疲れが出たのか試合途中に爆睡となり翌日馴染みのビール売り子さんに「2回くらい前通ったんですが寝てましたねー」と言われたりしたが、2戦目はしかとレジェンド福浦和也の引退試合を涙ながらに見届け、CS進出に向けて勝利が必須条件だった3戦目の最終戦では埼玉西武ライオンズに完膚無きまでに叩きのめされライオンズの歓喜の優勝胴上げを唇を噛みながら見てと、無念な結果ながら何ヶ月も前から予定していたスケジュール通りのプロ野球シーズン最終の数日を過ごしていたのだった。
 もちろんあの30分間の記憶は恐ろしいもので、恐怖が蘇るたびに身の回りにある漢字に目をやって「ああだいじょうぶ」と安堵の息を吐くということを繰り返しており、結局あの症状が現れないのは3連休に入って仕事のプレッシャーから解放されたからからなのかなあ、あんまり根を詰めずに無理なものは無理とのんびりやればいいのかもなあ…と脳疾患由来ではなく精神的な原因なのかもしれんと思い始めていた。なので、病院で診察を受けたら、まずはあの30分間だけの症状をカウンセリングのように相談して、原因としてはどういうことが考えられるかというところから始めてみようか…と病院での診療をシミュレートしていたのであった。
 
 8時半受付開始の病院へはほぼ開院と同時に到着し、受付番号「8」の番号票を受け取って、まずは初診受付の問診票に1週間前自分に降りかかった「突然漢字が読めなくなった」という症状を記し提出して待合スペースで待っていると、一桁目の患者番号の割に随分待たされた後にようやく呼び出されたと思ったら、受付の人曰く「MRIの撮影を行いますのであちらの方でお待ちになっていてください」と来た。いやあいきなりですか、というのが正直なところ。初診だから問診をして必要性があるようだったら後日MRI撮りますか…という流れだと思っていたので、ったく医療費稼ごうとして過剰診療なんじゃないの? と軽い不信を抱きつつも、今更結構ですとも言えず「はあ」と再び待つ身へと逆戻りしたのであった。(この時の自分の「軽い不信」が全くの誤りであることは後に身に染みて理解することとなります)
 結局そのまま待つこと2時間半、患者番号8番はすっかり置いてけぼりにされ、40数番の患者が呼ばれ始めていた頃にようやくMRIの技師に呼ばれ、人生初MRI撮影へと突入したのだが、その詳細について事細かに描写していたら話が進まないので、「轟音にはちとビックリしたが痛くも痒くもなく『ほおおこういうものなのね』と思った」というくらいにとどめておきます。

 結局せっかく朝一で来院したのに、待ちに待ってMRIの撮影が終わったのが11時半、この後ようやく医師と面談問診診断となると午前だけの半休で済みそうもなく、仕方なく待ち時間の間に会社に電話を入れて「出勤は1時過ぎになるかも」と伝えて、午前の部の患者さん達が大方片付いて閑散とし始めた待合フロアに戻ると、すたすたと自分に近づいてくる看護師さん(事務スタッフさん?)がいる。
「…Kさん…ですよね」
「あ、はいそうですが」
ようやく順番が回ってきたか。それにしても放送による「患者番号8番の〜」というコールではないのはどうして? と首をかしげると
「Kさんは今日はご家族とご一緒にいらしていますか?」
とくる。
「え、一人で来てますけど」
「…そうですか。ではご自宅は遠いですか? 今からお呼びするというわけにはいきませんか?」
「幕張なのでものすごく遠いというわけでもないですが…近くはない…ですかね」
「あの、奥様はご自宅ですか?」
「あ、いえ、自分寡夫でして、娘と二人暮らしなんです…」
「…それは失礼いたしました。娘さんはおいくつですか?」
「まだ22…だったかな。一応就職して働いてますけど」
すると
「仕事先の娘さんに連絡取れますかね」
とやけにしつこいのである。これは…。
「はあ、職場の電話番号はわかりませんがスマホ持って働いていれば連絡取れるかも…です…」
「えーとですね、先生がこれからの治療方針などについてお話するにあたって、お一人ではなくご家族と一緒に聞いて欲しいということで…」

 うわ、急転直下、簡単ではない話になってしまった。

 とりあえず連絡が取れるかどうかわからないので娘をスマホで呼び出してみると幸いなことに10コールほどで繋がった。
「…はい」
すこぶる怪訝そうな声である。考えてみればいつもはLINEの文字&顔文字でやり取りしているから直接コールなんてほとんど無いからなあ。
「あ、仕事中すまんね。ちょっと込み入った話なんだけど、聞いてちょうだいな」
「…はあ」
「実はお父さん、今病院に来ているんだけどね」
「……はあ」
「話してなかったけど、先週ちょっと仕事場で体調的に良くない症状が出て、今日半休取って病院来たのよ」
「………はあ」
「したらば、なんかあんまりよろしく無い状態みたいで…といってもお父さん自身もまだどういうことだか訊いてないんだけど」
「…………はあ」
「でね、病院の先生が、病状やこれからの治療方針などについて家族も同席で説明したいと言ってるんだってさ」
「……………はあ」
「だから申し訳ないけど、会社の上司…的な人はいないんだっけか…同僚の人に説明して早退けさせてもらえないかなあ」
「…え、ええと、今からそこに行けと?」
「そう、そういうこと」
「…え、ええと、そしたらどうすればいいんだろ」
「えーと、だから、そこからいつもの通勤経路で家に帰ってからここに来るなんてことしてたら全然時間かかっちゃうからね、会社にタクシーを呼んで、タクシー会社くらい検索で調べられるでしょ、で、行き先はここ『○×○×病院』というところ、運転手さんに伝えたら連れてきてくれるから。いい? わかる?」
「…はあ。とりあえず、上がっていいかどうか訊いてみて折り返し電話する」

 ということで、娘は無事(というのだろうか?)早退することになり、うまくタクシーが捕まるかどうかはわからねど、再びあと30分ほど待つ身の患者8番となったのだが、これはもはや半休どころの話ではなく、改めて会社に電話を入れて事情を説明、何時になるかはまだ定かでないけど多分会社に寄ることはできるはずなので、詳しくはそこで…と伝えて一息。気がつけば正午を回り腹も減ったので、娘が到着する前に腹ごしらえしておこうかと、院内の軽食喫茶に入って生姜焼き定食を頼む。スマホの電源が乏しくなっていたため手持ち無沙汰にしていると賄いのおばさんが気を使ったのか新聞を2紙…いや3紙もテーブルに持ってきてくれたのだが、「讀賣」「報知」「産経」とはね、勘弁して欲しいよ、ったくと、漢字がちゃんと読めるかどうかだけをチェックさせてもらった。

 さて、1時が迫ろうかとしている頃娘が到着してもう一度経緯を説明し、しばし待った後にようやく診察室へ親娘で入れたのは1時半くらいだった。思っていたよりも若めの医師が先ほど撮ったばかりのMRI画像をPCに映し出しながら懇切丁寧に説明しながら手元の紙に手書きで書いてくれた病名とは

「硬膜動静脈ろう」

というものだった。初見の文字列に「…はあ」としか応えようが無い。というかすこぶる覚えづらく言いづらい病名である。「硬膜」はわかる。「動静」も「動脈」と「静脈」でわかる。「ろう」は「胃瘻」の「瘻」なのであろうか。それを組み合わせて「硬膜動静脈瘻」か。「脈」の字を一つ省略するところが難しい…つーか、やっぱプロフェッショナルの医師でも「瘻」の漢字は手書きで書けないのかな? それとも患者さんにやさしくひらがなにしてくれたのかな?…などと思っている余裕はないわけで、ひたすら説明を聞くのみである。この「硬膜動静脈瘻」についての詳細はまあ今時でしたらネット上に溢れるほどの情報が存在してますので興味をお持ちの方はグーグルさん経由でそちらを見てください。

 懇切丁寧な説明とはいえ、知見のない膨大な量の情報が入ってきていささか消化ができないまま、とりあえず押さえねばならないと理解したポイントは

◯「硬膜動静脈瘻」を放置すると年間10%の割合で良くないことがおこる(要は死にいたるような脳内出血ですね)

◯治療するためには血管カテーテルにより脳の患部にアプローチする治療が必要である

◯本番のカテーテル治療の前に予備検査として一晩検査入院してカテーテルを用いた造影剤撮影を行う必要がある。

○検査入院の後の本番のカテーテル手術は1週間後くらい。手術にかかる時間は6時間程度で、その後は1週間から10日くらいの入院が必要。

とのこと。一通り説明を終えて「いかがいたしましょう」と問われるが、これってもはや選択肢はないわけで、「お願いします」と答えるしかない。
「で、そうなると検査入院はいつになるということでしょうか?」
と問うと
「なんなら、今日、今からでも」
と返ってきて、をいをいそんなに切羽詰まっているわけ? でもいやそれはちょっと待ってくださいよと
「今日はちょっと…なので、明日明後日ということでお願いできますか」
と話はまとまる。
 話の流れでわかりきったことであるが一応訊いてみる。
「あの、うちの家系ってほぼほぼ100%がくも膜下出血や脳梗塞などの脳血管系疾患で逝っちゃってるんですけど、自分の場合もその遺伝子が影響してこういう病気になったんですかね」
すると医師はMRIの画像をあれこれ切り替えてしげしげと眺めると
「うーん、画像を見る限りでは、硬塞の兆候があるようには見えませんねえ。それからこの硬膜動静脈瘻発症の原因はまだ分かっていなくて、Kさんの発症もやはり原因は何とも言えません」
「そうなんですか? 血圧もかなり高いんですが」
「ああ、確かに高いですかねえ。気になるのでしたら降圧剤の処方をしておきましょうかね」
…気になるのでしたら? なんかついで? くらいのものでしたか。かくして人生で初めての「飲みつけの処方薬」が成立。
「あと、検査入院の後、本番の手術まで1週間くらいとのことですけど、その間日常生活を送るにあたって、こういうことをすると出血しやすいとか、こういうところに気をつけたらいいとか、何がありますかね」
「ああ、それは別にありません」
「は?」
「普通に日常生活をお送り頂いて結構ですよ」
「会社に行って仕事しても?」
「大丈夫ですよ。ご心配なら検査入院の後ずっと入院していて頂いてもいいですが」
マジの本音なのか、患者を安心させようというもの言いなのか、それとももしかしてチョーわかりづらいジョーク? あ、もしかしてさっきの『今日、今からでも』もチョーわかりづらいジョークだった?判断がつきかねて当たり前の答えをするしかない。
「あ、いや、長期休みになっちゃうための仕事の引き継ぎとかありますので、無理しない程度に出勤して仕事することにします」

 かくして急転直下、翌日には朝から検査入院ということになったわけだが、入院ということ自体中学一年生の虫垂炎の手術以来で、大病知らずの入院知らず、亡妻が闘病中の付き添い・送り迎えや今は亡き両親が入院していた頃のお見舞いなどで、そこそこ病院には馴染みがあったが、所詮は他人事だったなあとしみじみ思う。やらねばならぬことが山ほどあってどこから手をつけていいのかさっぱりである。

 また、娘は新卒の半年目、有給休暇対象となる以前の突然の早退から連日は休みづらいだろうなあ、まあ検査入院は所詮は検査入院、別に自分一人で病院へ行って一人で入院し一人で退院して帰ってくればいいんじゃない? と思っていたのだが、どうやらここの病院は何かと家族を同席させておきたい方針のようで、娘に対して「お仕事は休めませんかねえ?」と尋ね、さらには「どうしても休めないというのなら仕方ありませんが、その場合何かあったらすぐに連絡を取れるようにしておいていただけますか?」と食い下がる。ん?「何かあったら?」とな? 恐らく「最悪の場合」を考慮しての対応なのだろうけど(検査入院の同意書にもげっそりするような最悪リスクにまで同意を求めていた)、やはり気分は沈む。結局娘はその場で会社に連絡を取り翌日は休みを取って病院に同行することとなった。

 検査入院からどういう状態で退院になるか分からなかったため(めまいとか残っていたら大変ですからね)翌日は自家用車は使えず、娘は免許を持っていたもののバック駐車に挫折してもう2年以上ハンドルを握っていないペーパー、必然的に電車と最寄り(とは言っても病院からは7kmほど離れている)駅からの病院の送迎マイクロバスを乗り継いで病院へたどり着いた。
 前日の待機地獄とは打って変わって、すでに流れ作業のように段取りが決まっており、受付からすぐに病室へ案内され、担当看護師に紹介引き継ぎされ、いの一番に点滴の針を刺されて大量の「水」の注入が始める。説明によればこれから行われる頭部血管造影検査で頭部の血管に「造影剤」とよばれる薬を注入するにあたり、検査後速やかに薬剤を排出するために大量の水を摂取する必要があるとのことで、これから夕方まで繋ぎっぱなし、できれば点滴だけでなく口からも沢山飲んで欲しいとのことだった。そしてその水の大量摂取ゆえ、検査中に排尿の我慢ができなくなる可能性があるので「紙おむつ」をセットしておくとのこと。実際に手渡された紙おむつは、娘の赤ちゃんの頃に見慣れていたパンパースちゃんに比べてびっくりするほど巨大なもので、看護師さんは親切に「履けますか? 難しいようでしたら私がやりますけど」と言って下さったが丁重にお断りし、カーテンを閉めて履こうとしてみると、パンツタイプの履くものではなく跨いでから両サイドをテープで留めるタイプで、なるほどこれは難易度高い。意地でどうにかセットを終え手術着に着替えると、そこからは車椅子の上に。車椅子を押してもらっての移動も人生初で、点滴の針は刺しているとはいえ身体自体は健康そのものなわけで喩えはふさわしくないとは思うがちょっと居心地悪い王侯気分である。

 かくして運び込まれたカテーテル施術室は、施術台の傍にモニタリングパネルが何枚も並んでいて手術室というよりも宇宙船のコントロールルームのような印象だった。本日の施術を行う医療スタッフさんが3〜4人ほどにこやかに迎えてくれる。繰り返しになるが身体自体はいたって健康な自覚であるのにやけに丁重に取り扱われるのがどうも居心地が悪い。
 施術台に仰向けに横たわり、両足と右手を動かないように固定し、まさしくまな板の上の鯉。さらに施術中血圧を測りつづけるためにアキレス腱のちょっと上あたりのふくらはぎに血圧計の加圧ベルトを巻きつける。通常前腕部に巻きつけるベルトだが左腕には点滴針、右手首からカテーテルを挿入するため足で測るのでありますね。このベルトが5分ごとにぐぐぐぐっと締め付けてすーーーーっと緩んでいくおなじみの動きを繰り返して血圧を測るのだが、その締め付けがかなりキツイ。取り囲む医療スタッフに「何か気になるところはありませんか?」と尋ねられた折に、「け、結構血圧計キツイですね」とさりげなく「取り付け方間違ってんじゃね?」と訴えてみると「そうなんですよね。普通は前腕なんですが足で測る時は感度が低くなってしまうため圧を上げなくてはならないんですよ」と理詰めに論破され、我慢するしかないと観念。そしていよいよ右手首に局所麻酔をかけ、カテーテルの挿入となる。あ、書き忘れていましたが、この頭部血管造影検査は手首だけの局所麻酔で意識は残ったままで進行します。(ちなみに本番の方は全身麻酔とのこと。)

 意識はあるものの、顔を上むきに固定しているうえ視界自体も競走馬の目隠しのように限定され、さらに「撮影の瞬間は眼球の動きが画像に影響してしまいますので目を閉じていてください」と言われ、だったら最初から最後まで目を閉じていようかねと決めたので、周囲がどう動いているのかは全くわからず、触感的な感覚はと言えば足の血圧計の締め付けが痛いということ以外には、手首から入ったカテーテルがずりずりと前進しつつ前腕から肩、首、そして頭蓋の中へと進行している不気味な感覚が………残念ながら全く感知できず、要は聴覚だけが活きたまま横たわっている状況で、「はい、今から撮影しまあす。ちょっと熱くなりますがご心配なく」「苦しいところは無いですかあ?」の呼びかけや、医療スタッフ同士の「今から◯×△するから※▽お願い」「了解」というやりとりや、そして施術を受ける患者にリラックスしてもらおうという狙いであろうか、BGMとしてポップミュージックの有線放送?が延々と流れているのが聞こえるだけなのであった。
 
 さて、このBGMである。

 施術が始まった早々、数曲目だったろうか、『ポリリズム』という曲が流れてきた。自分も数知れぬほど耳にしたことのある有名なあの曲である。3人のテクノチックな振り付けのキレキレダンスも目に浮かぶ名曲だ。その3人組は………ええと

 あ…出てこない…。

 って、ここまで話を引っ張ってきてこういうことを書くのは本当に申し訳ないのだが、この「名前が出てこない」という現象、実は今回の「硬膜動静脈瘻」とは恐らくだが全く関係ないもので(この間の漢字が読めない現象が起こった時に同僚の名前が浮かばなかったのももしかしたら全く関係なかったのかもしれぬ)、5〜6年くらい以前から要は高齢化の進行にしたがって会話の中に「アレ」が加速度的に増えてきた(高齢の皆さん自覚あるでしょう?「ほら、なんだ、アレがこないだアレしてああなっちゃったじゃないか」ってやつ)健忘症の一環の「名前が出てこない」であった。それは人名だけでなく、例えばある時など、車を運転していてふと「忌野清志郎は何ていうバンドだったっけ?」と頭に浮かび、ことあるごとに考え続け、数日後ようやく「RCサクセション」が浮かび上がって来たりしたものだった。え?そんな何日も悩まなくてもグーグル先生に「忌野清志郎」と問えば即座に「RCサクセション」は出てくるじゃない? とお思いだろうが、それには前段があって、確かに自分も長らく何かが思い出せない時には脊髄反射的にスマホのグーグル先生に訊いて解決していたのだが、ふと、こうやって「考える」ことなく解答をネットに異存し続けていたらいつか頭の中が退化真っ白になってしまうのではないか?と危機感を抱いて、グーグル先生不使用宣言(←ただし名前が出てこない時限定)を心の中で決心したのである。しかし「思い出せない名前」というものは日々何点か遭遇したりするもの、一つを思い出せず考えているうちに次の思い出せない名前が出てきて、目の前のそれを考えているうちに「あれ?さっき何を思い出せないでいたんだっけ?」と思い出せなかったことを忘れてしまう。これは悲しいまでに不毛である。そこで、スマホのメモアプリに「思い出しメモ」コーナーを設定して「何を思い出せなかったか」をメモとして残しておくようにしたのだった。例えばこんな感じ

▼映画監督:
「ツィゴイネルワイゼン」「陽炎座」→
「キャタピラー」「連合赤軍」→
▼俳優
「三菱地所のCM出てる娘」→
「冬彦さん役」→
「あまちゃんでマメりん(有馬めぐ)役」→
▼ミュージシャン
「忌野清志郎のバンド」→
などなど

こんな感じで残しておいて、時々見返すと不思議なことにある時突然何の問題なく思い浮かんだりする。「イエイやったね」とグーグル先生依存では味わえないささやかな満足である。
(ちなみに回答は上から「鈴木清順」「若松孝二」「桜庭ななみ」「?」「足立梨花」「RCサクセション」……………………すみません「冬彦さん」執筆時現在また思い出し中です。(3日後思い出しました。佐野史郎)

 というわけで『ポリリズム』である。施術台の上に固定され今まさにわが血管の内部をボールペン芯ほどの直径のカテーテルがズリズリと頭蓋へと進行しているその最中、『ポリリズム』のアーティストのグループ名は何だったか?あらゆる方面から思い出そうとしている患者がそこにいた。広島出身であった。のっちと呼ばれているメンバーがいた。何となく友人の小原さんに似ている。グループ名は少なくともカタカナだったと思う。2文字か?3文字か? いやそんなにアッサリしていなかった気がする。とりあえず「ア行」から考えてみるか。「ア………」違うか。「イ………」
「何か気になることはありませんかあ?」
定期的に耳に入ってくる医療スタッフのお伺いに対して
「えーと、さっきの『ポリリズム』歌ってたの、誰でしたっけ?」
などと、真剣に自分を救うために医療行為を行っている人に尋ねるわけには行かない。
「あ、大丈夫です」
自力で考えるしかないのである。
 大体において日常生活の中でこういう「思い浮かばない名前」をこれほどまでじっくり考えることはないわけで(何しろ何もやることがなく横たわっているだけなのである)、恐らく今までの「出てこない名前思い出し」の中で最高の真剣さで思い出そうとしたかもしれない。時計を見ながらではなかったから体感になるが30分ほどは考え続けたであろうか。突然浮かんで来た。

………パフューム

 わお。その瞬間、唯一自由に動く左拳で軽くガッツポーズをしたかもしれない。

 パフュームを考え続けている間も医師たちは真剣に頭部血管造影検査を続け、BGMは次から次へと色々な曲を流し続けていたが、パフューム以降はビートルズやスピッツやミスチルのような思い浮かべる必要もないアーティスト名の曲や、逆に全然聞き覚えがないから曲名もアーティスト名も悩む必要がない曲が続き「もうこうなったら全然知らない曲が続いた方が精神衛生上いいかもなあ」などと思っていたその時、来てしまった。

 「あの人」の「あの曲」

曲はよく知っている。好きな曲だ。大ヒット曲。口ずさめる。紅白歌合戦にもサプライズ出場した。その「タイトル」と「アーティスト名」が浮かんでこない。今度は二重苦である。以降施術後半の1時間はこの「タイトル」と「アーティスト名」を考えることで思念は占められることとなった。

 と、すみません、全く関係無い話に寄り道をしてしまいましたね。本題に戻ります。

 さて、頭部血管造影検査は粛々と進行し、頭蓋の内部を20回以上撮影したろうか、「あの人」の「あの曲」を思い出そうと苦吟しているうちに、いよいよあれ……がヒタヒタと迫って来た。流石にスタッフの人は経験豊富で、絶妙なタイミングで声をかけて来る。
「おしっこは我慢できそうですかあ?」
「はあ、結構迫って来てますけど、まだもうちょっと我慢できそうです」
「無理しないでくださいねえ」
ここで自分が「我慢できそうです」と答えたのはやせ我慢ではなくちょっとした目算があったからだ。撮影の瞬間の熱さの位置から頭蓋内の撮影は左側から次第に真ん中へ移動し今は右側に来ているような気がしていたので、もう最終盤に入っているのではないかと見ていたのである。多分次かその次かまたその次の「はい、今から撮影しまあす」が最後の呼びかけになっていよいよカテーテルの撤収になるだろう………と逼迫する尿意を我慢していた。しかしながら、次もその次もそのまた次の「はい、今から撮影しまあす」の後にもまだ「はい、今から撮影しまあす」が止まることはなく、もはや「あの人」の「あの曲」について考えるどころの余裕はすっかり失せて、尿意の我慢が意識の大半を占めるようになっていった。
「どうですかあ? おしっこ我慢できそうですかあ?」
患者の心中はお見通しとばかりに再びスタッフさんが声をかけて来たので
「はい、流石にそろそろ危険水域っぽいです」
と答えると
「ではオムツの中に出しちゃっていいですよ」
と来る。いよいよ放尿か…と観念したものの、はて、この横たわった状態でオムツ内に放尿したとしてそのままカテーテル施術が終わるまで放置なのだろうか? もしかして横たわったまま一回外されてセットし直すのだろうか?巨大オムツだったとはいえ保水能力を超えてしまったらどうするのだろうか? というか看護師さんに頼らぬ自分自身のセットがうまくできていなくてもれてしまったりはしないだろうか? …………などと事前に放尿した後の段取りを聞いていなかったことが災いして、どうしても放尿に踏み切ることができない。
「いかがですかあ? 出ましたかあ?」
スタッフさんが聞いて来るので
「あー、意外と中でするの難しいですねえ」
と情けなくも答える。
「ああ、なかなかねえ。出来ない人も多いんですよねえ」
やはりそうなのか、ということで腹を括った。
「まだ大丈夫みたいですからとりあえず我慢します」
「では終わったら速攻でトイレに行けるようにしますからねえ」
その口ぶりから、今度こそ正真正銘撮影の終了で、カテーテルの撤収段階に入っているらしく、いよいよ尿意の我慢は時間との戦いの様相を呈して来た。施術を始めた時の順序と反対にあの血圧計のバンドを外し、両足の固定を解除し、右手の固定を解除し、1時間半ぶりに目を開けてぱちぱちとまばたきしてみればすでにスタッフさん達は機材などの片付けに動いており、施術リーダーの主治医の先生が撮影が終わっての講評のような説明をしてくれるのだが、ごめんなさい、尿意を抑えることに精一杯で「はい」も「そうですか」も発せられずウンウンとうなずくしか出来ません。早くトイレに! そこへ担当の看護師さんがマイ車椅子を施術台の傍まで持って来てくれてそろりそろりとしかし出来る限り急いで乗り移り、施術ルームと廊下を挟んだ反対側のトイレへ転がしてもらった。車椅子から降りて小便器の前に立ち、オムツを外す時は右手が局所麻酔が効いていて左手しか使えなかったため一番危うかったが、どうにか解放するまで我慢が持ち、かくしてようやく無事トイレにて放尿を行うことが出来たのであった。出ても出ても止まらない、1分間ほど出続けたであろうか。人生最長時間の放尿であったことは確かである。

 と、結局本題がこれなのか、これでいいのかどうか、書いている自分でもよく分からなくなっているというのが正直なところであるが、まあこのカテーテルによる頭部血管造影検査を受けた経験の記憶の大半が「空白のアーティスト名&曲名思い出し」および「尿意との戦い」であったということは嘘偽りなき事実なのであった。


 無事に尿意も解決し、車椅子で病室に戻って来ると娘が暇そうに手持ち無沙汰で待っていた。まあ恐らくスマホでゲームでもやっていたのだろう。施術の開始が早かったので丁度昼食の時間で、初病院食が来る。右手はまだ局部麻酔が残っていたので左手にスプーンを持って苦労しながら完食。味は病院食らしく薄味だったが、自分で作らず片付けも皿洗いもせずにご飯が食べられるなんてああ天国とそこは素直に嬉しい。

 撮影の結果は即座に解析評価できるようで、食後小一時間待つくらいで父と娘は昨日と同じ医師の診察室に再び呼ばれた。
「えーと、こちら、右側の画像がこちらで……こちら、こちらが左側の画像ですね。見るとこちらの方に白い部分ありますでしょう。ここが硬膜動静脈瘻の部分で……」
と撮りたてホヤホヤの画像を元に現状をレクチュアして下さったが、要は前日に告げられたことと同じ結論をなぞっただけで、ふたたび選択肢の無き「いかがいたしましょう?」に対して「お願いします…しかないですよね」と答えるのみ、あとは医師がスケジュール帳を見ていつを施術日にするかを決めて、運命は決したのであった。

 かくしてカテーテルによる硬膜動静脈瘻治療のための血管内手術は10月8日火曜日に決定となった。

 こんな駄文を書き連ねているうちに気がつけば明後日ということになってしまっているが、さて、いかなる結果となるか。この駄文に続きはあるのか。乞うご期待あれ。

PS.ちなみに「あの人」の「あの曲」が判明したのは頭部血管造影検査を受けて娘と共に医師の説明を聞き、病院から手術・入院の説明を受けて娘を家に返し、病室で夕食を食べ終わって流石にああ疲れたさて寝ようかと目を閉じたその時であった。「米津玄師」の「Lemon」だった。

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