ウォーキング・タイムマシン

 2年前の10月の終わりのことである。

 Kは久し振りに体重計に乗ってみた。ずーっと「どうもヤバいぞ」という自覚にモヤモヤしつつも現実を直視することから逃げていたが、さすがに逃げ切れないと観念したのである。体重計に現れた数値は

 「75.7kg」

 そこまで来ていたか……というのが実感だった。

 実はその春頃からどうにかしたいな……とは思っていた(まあ例年薄着になりはじめる春先にはそう思うのであるが)。しかし夏は、暑い。動きたくない。ビールが美味い。そしてKはどんなに暑くても食欲は落ちないという体質。必然的に夏太りとなる。そこに追い打ちをかけたのが、千葉ロッテマリーンズのクライマックスシリーズ進出だった。残念ながら3位となったためQVCマリンスタジアムでのホーム開催はならなかったものの、パブリックビューイングが開催され、スタジアムまで自転車で15分のところに住むKは1stステージ・2ndステージ合わせて4試合、観客席に身を置いて遠く所沢と仙台の地へと声援を送ったのだったが、もちろんただただ声援を送るだけではないわけで、球場のカロリー満点肉丼弁当をかっ込み、お気に入りの売り娘が巡ってくるのを待ってビールやマッコリをぐいぐい飲み、山盛りのポップコーンを齧りながらの応援観戦である。それはカロリー摂取過多になる。仙台の地でマリーンズのポストシーズンが終了した時に、Kの腹回り近辺は、内臓脂肪からの「内圧」を感じられるほどに膨張していたのであった。

 決定的だったのが、体重の測定結果を見て愕然とし、とりあえず「計るだけダイエット」を開始しようと、iPhoneのAppStoreを漁って入れた体重記録アプリに現数値を入力して出た結果だった。

 縦軸が体重、横軸が体脂肪率からなるグラフに記されたドット(点)は、見事に、そして深々と「肥満」のエリアに入り込んでいたのである。

「肥満」……この俺が「肥満」???

 そんなわけで、本腰を入れて体重減少に取り組もうとしたKであったが、とりあえずネット上を漁ってその方法を模索したところ、色々怪しい手法はあれど、やはり「摂取カロリーコントロール」と「運動」という至極当たり前の王道こそがとるべき道との結論に至ったのであった。

 そこで、再びAppStoreを漁り、先の「体重記録アプリ」に加えて「カロリー計算アプリ」と「歩数計則アプリ」を入れて

(1)夜寝る前と朝起きた時に体重を測定し、記録する

(2)食事のたびに摂取カロリーを計測しカロリーコントロール

(3)昼休みに35分、夜に1時間、計1万歩歩く

という3本の軸を基本とした体重減少計画に臨むことにしたのであった。

 (1)の体重記録は、いわゆる「計るだけダイエット」という手法で、これの効果は何年か前に「ためしてガッテン」で視てその気になり1ヵ月ほど試してみて実証済みだった。グラフが右下がりになるのが励みとなり、過食や間食を控えるようになる。しかしその時は表に手書きでドットを打って行くことがめんどくさくなり(雑然混沌としたK宅では表やボールペンがすぐにどこかへ行ってしまったりするのである)、自然消滅。しかし、スマホのアプリならスマホをどこかへやってしまうこと自体まず無いし入力も簡単、グラフもすぐ表示されるので、これなら続く。

 (2)の摂取カロリー計算のアプリは優れもので、食べた食材と量を入力すると合計摂取カロリーが出るもの。それを何日か続けてみればおおよその食事量と摂取カロリーが把握出来る。
 ネット上で調べたところによると、成人男子が生きて行くだけで消費している基礎代謝量は大体1500kcal程度で、それに日常活動に必要なカロリーを加えると2500kcal程度になるという(一日中パソコン相手の座業であるDTP職人のKはもうちょっと少ないかもしれない)。言うまでもないが、人間の身体というのは植物のように太陽エネルギーを取り込むようなことが出来ない、エネルギー的には「閉じた系」なので、入れるカロリーが消費カロリーよりも少なければ体内にあるもので賄おうとするわけで、要はその2500kcalよりも少ない摂取カロリーになれば、不足分を体内の脂肪(や筋肉)をエネルギーに変換し、それが体重減少という結果を導くわけである。
 これまた調べたところ、100gの脂肪を燃焼させるのに必要な運動カロリーはおよそ700kcalちょいだという。ということは、2500kcal−700kcal=1800kcal
程度のカロリー摂取に抑えれば、毎日100gずつ体重が減少して行くということになる。ということでアンダー2000kcal程度を目安に、朝は果物&野菜のスムージー、昼は会社の仕出し弁当でご飯をほんの1/3膳くらいにおさめ、夜は野菜を多めに摂って且つご飯はやはり1/3膳ほど、間食無し……という食生活を送ることにした。ポテチを食いながらチューハイを飲み飲みテレビ……なんてもってのほかというわけだ。(ちなみにこのカロリー計算アプリは1週間程で大体の食事の目安がわかったので以降は使用しなくなった)

 そして(3)のウォーキングとなるわけだが、歩くという運動によって消費されるカロリーとそれによって燃焼される脂肪は大したことではないようで、実際1万歩(1時間40分ほど)歩いても消費カロリーは300Kcalほど、つまり体重減少はたった50g程度ということになり、「体重減少」という点だけを考えれば時間の割に効果は薄いとも考えられる。しかし、Kには「痩せてもヘナヘナな身体じゃあイヤだ」という思いがあり、体重減少というより体力(体幹)強化を目的としてのウォーキングを行うことにしたのである。

 そんなわけでKは昼休みの会社周り&夜の幕張新都心のウォーキングを始めたのだが……いや、これが……


 チョー楽しい。


 そう、まさかと思ったのだが、チョー(←「超」である、念のため)楽しいのであった。実はKは走るのが苦手で、ジョギングなども人生で何度もやろうと試みたものの、すぐにしんどくなってしまい、長続きしなかったものだが、しかしウォーキングは何と言っても「楽」だ。さほど疲れることもなくずんずん進む。苦しくないからあたりの風景を余裕で眺めながら行ける。そして、「ウォーキング・ハイ」とでも言うべきものなのだろうか、歩いていると気持ちよくなって来て、もっと歩きたくなって来るのであった。

 昼休みのウォーキングでは、見上げれば秋から冬へと移行しつつある空は高く青く、木々の葉は日々色を変えて行き、落花生畑のボッチが次第に黒ずんで乾燥熟成していくさまが見られたりする。

 夜の新都心ウォーキングでは、高層ビルの合間の舗道を残業を終えたサラリーマンたちを横目に見つつ、年末に向けてそこかしこにセットされたイルミネーションを楽しみ、ウィンドウ越しに見えるバーやら居酒屋やら焼肉店やらゲームサンターやらで一日の疲れを癒す人々の姿に何やらLOVEを感じ(何じゃそりゃ)……とまあ、そんな感じで歩くこと自体が楽しく感じられたのであった。

 

 そしてさらに…。

 ここで話は遡るが、Kが20歳の紅顔の美青年だった頃、中・高・大と体育会卓球部に所属し、1年365日のうちの350日は少なくとも3時間以上のハードな練習に打ち込んできたこの若者の体重は「58kg」だった。その後にあれやこれやあって東京の日芸(日大芸術学部)あたりの演劇や映画をやっている連中の手伝いをすることになるのだが、その時には体力的にはこいつらと俺とは全然次元が違うなぁと実感したものである(鋼と発泡スチロールみたいなものだ)。そんな鍛え上げられた肉体はどうにか20代の間は維持され、30歳の頃でも60kgぐらいの体重だったのだが、30代に突入したとたんにそれはタガが外れたかのように崩壊を開始したのであった。

 毎年1kgづつの増加。

 そして気がつけば、40代に入った頃には70kgを突破してしまっていたのである。もちろん、その間体重の右上がりグラフの宿命に抗おうとしなかったわけではない。先に書いた「計るだけダイエット」もそうだし、あの「ビリー」に入隊もした。ビリーの隊員だった頃には自転車通勤という相乗効果もあり、確かに体重グラフは右下がりとなった。しかしその後、会社を変わり、そして遅まきながら自動車の免許を取り車通勤となったことで決定的に運動不足となり、再び体重グラフはムクリと頭を上げ右上がりに急上昇、そして遂に75kgを超えていたのであった。

 そんな状況の中、背水の陣で臨んだ今回の体重減少は、あっけないほどに順調だった。あの苦しい苦しい「ビリー」はなんだったんだ?と思うくらいで、10月終わりから開始し、1ヵ月で−5kg、ついに久々の60kg台に突入したのである。60kg台、それはあのビリーで体をしぼった時以来だから7〜8年ぶりであった。

 5kg減った身体の実感は、当たり前だが「軽いなー」であった。何しろ、走れる(ちょっとならであるが)。交差点の信号が青から点滅になった時に無意識にヒョイと走りだした自分にKは驚いたものである。あー、娘の小学校の運動会で二人三脚で一緒に走った頃はこんなだったかもしれんなーという感覚であった。考えてみれば5kgとは米袋と同じ重さである。あれを担いで生活していたものが無くなったと思えば、確かに軽くスキップでも踏みたくなるであろう。
 さらに、この先もくろみ通りの体重減少(−12.5kg)が実現するならば、米袋2.5個ぶんの荷物をおろすことになるわけで、なんだかあの10代の頃のように、軽やかなフットワークと両ハンドを駆使した前陣攻守のプレイで勝利をつかみ取ったり(←250%美化された記憶である)、どこまででも走って行けるような気になったりしてしまうではないか?(まあ10代の頃だって長距離が苦手だったKは走り始めたらすぐに疲れてたのであるが)。

 ところで先に述べたように、100gの脂肪を燃焼させるのに必要な運動カロリーは700kcalちょい。そして歩数計アプリの記録で見ると1万歩歩いた時の消費カロリーは350kcalくらいだから、100gとなるとその2倍、つまり2万歩ぶんということになる。1kgならばその10倍の20万歩、逆に言うと、20万歩ぶんの消費カロリーで1kgの体重減少となるわけだ。


 となると?

 30代に入り毎年1kgずつ体重が増えて来たKの身体は、20万歩歩くことで、逆に1年間時間を遡って行くというふうに考えられもするわけである。
 もっと計算すれば、1年は365日×24時間×60分だから、525600分。525600分を20万歩で割ると、525600分÷200000歩=2.628分/歩

 つまり、一歩歩くごとに「2.6分」時間を遡っていることになるのである。

 もちろん、ただ単に体重が減って行くというだけであって、老眼が戻り、白髪が無くなり、そして頭がくるくると回って面白いことやくだらないことが際限なく浮かび上がって来るような脳になるわけではない。相変わらずくたびれたオヤジだ。

 しかし、

 一歩ごとに2.6分、時間を遡るタイムマシン。何か楽しくないか?

 そんなことを夢想しながら歩いていたのであった。

【続く】

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