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私と三頭のトレジャーマップの甥と姪。運命はランジョウからホットミルクへと。我が息子との歴史。

適当ではない時期に、身体中を駆け抜ける衝撃が走った。

本当に偶然。トレジャーと同じ年のシップ産駒。

私の知っている、数少ない産駒の中の一頭であった。

名前が印象的であった。日本丸の船首像で「藍青」と書いて、「ランジョウ」と読み、とても素敵な名前だと思い、記憶に強く残っていた。もちろん、顔だって分かる。

「先生…。私はホットミルクを強く…。ホットミルクを…。あの…あの…。
少しだけ、お時間をください。今日中にはお返事を致します。」

最後は涙がボロボロと出た。
答えは時間を置かなくとも、明確であった。

「今は無理」だ。
そして、
「奇跡の様な可能性があるならば、ホットミルクを迎えたい。」
「でも…。ここで断ると、ランジョウは…。」

正直、その後のランジョウの行先は分からない。
私達みたいな身分の者が無理をしなくても、明るい未来が待っていたのかもしれない。
しかし、それはコンマ以下の可能性ではないだろうか?

競走馬のその後は過酷である。
彼らは経済動物なのである。

待っていない確率の方が高い。

この世の中の全ては、巡り合わせと運命。

私はそう思う。

父の子に生まれて来たのも運命。

トレジャーと出会うのも運命。

ならば、ランジョウと出会ったのも運命。

でも、どんなにあがいても、出来ない事は出来ない。

万が一にでも、ホットミルクのお話を頂いたら…。

ホットミルクを断らなければならなくなる。

ホットミルクは、私の中で特別な存在。
でも…。ランジョウ…。

シップ産駒を追いかけた。

トレジャーマップの幻影を追いかけた。

ホットミルクを熱望した。

私はもう、抜け出す事のできない深みに嵌まっていた。

もう引き返せないのだ。

手を伸ばせば掴める位置にいるランジョウ。

分不相応な者に与えられた選択。

命の選別をするかの錯覚に、うーうーと声を上げて泣いた。

「苦しい!!苦しいよー!!じーちゃーん!!」

可愛いランジョウ。
頑張り屋のランジョウ。
もしも、トレジャーと同じ馬生を過ごさせてやる事が出来れば…。

その時、主人は驚くべき言葉を口にした。

「実はの、ホットミルク、まだ頑張って走るとの情報が先生に入ったそう。ミルクは多分、ワシらには縁がない仔なんじゃ思うよ。」

「お前がまた泣くけぇ、言わんかった。」

「えっ?」

「そうなんじゃ…。そうなんじゃ…」

「お父ちゃんは、しょーもない報告ばっかし細かくしてきて、何でそんな大切な話は何にもしてくれんのん!!」

私は子供のように、溢れ出す涙を腕で何度も拭きました。子供の頃からの癖です。

主人は、私の頭を撫でて、
「ランジョウどうする?お前のじいちゃんと父ちゃんは、なんて言いようる?何よりランジョウは何て言いようる?大切に生涯過ごさせてやれば、ランジョウの関係者も喜ぶと思うよ。」

「でもね、お父ちゃん、力がないんよ!!どこを叩いてもお金がない。トレジャーだけで精一杯なんよ!!うちには、もう何もない。銭がないんじゃー!!」
そう言うと主人は、

「わしの積立使えや。」
と言いました。

私と主人は、8つの歳の差があります。私が歳上。
だから、主人のお金には手を付けたくなかった。

「お父ちゃん、順番でいうと、ウチが先じゃ。ウチがおらんなったら、お父ちゃん、一文なしでどうするん?
誰がトレジャーを守るん?お父ちゃん、しっかりしとらんのに。うちがおらんなったら…。」
しゃくり上げ泣くと、主人は一言。

「長生きが全てじゃない。いっせーので一緒にいけたらええのー。馬がおるけぇ、そうはいかんか…。どっちかだけでも、生きて生きて、生き抜かにゃならん。馬より長く生きる事が責務じゃ。」と言った。

「ランジョウ、迎えてやろうや。可愛い仔じゃ。よう頑張って走ったわい。トレジャーマップが会わせてくれたんかもしれん。」
私は言葉を失い、呆けていた。

トレジャーマップの姿を思い浮かべていました。

「僕を忘れないで。」

そう言っている気がした。

私には、もう成人を迎えている息子がいる。


小さな頃から拘りが強く、全く言うことをきかない。
暴言を吐くと止まらない。

それでも、ママが大好きで、目の中に入れても痛くない程に息子が可愛いい私だった。

しかし成長するごとに、親のコントロールが効かなくなり、暴言だけでは治らなくなった。
思う様にいかないと、手や足が出る様になった。
拘りは一段と強くなり、私が側にいないと、息子は何もしなくなった。
保育園でも給食は一口も食べない。
学校に上がっても、教科書も開かない。字も書かない。口もきかない。

「発達の障がい…。」
私はこの言葉がよぎり、息子を連れて療育センターへ相談をした。

私の記憶といえば、その後の壮絶な息子との生活が大きく占め、この言葉しか記憶に残っていません。

「特に異常はありません。」
あぁ…。これはこの子の性格なのか…。

「私の育て方が悪い。私のせいで。甘やかし過ぎて、
これからの息子の人生を台無しにしたのかもしれない。

全身全霊で息子と向き合う日々。普通学級に通わせ続けた愚かな私であった。

そして…息子は、小学4年生の冬、二度と登校をしなくなりました。

15歳になるまで、息子は一歩も部屋から出る事はありませんでした。

長い引きこもりの中、家庭の中は息子一色に染まるのであった。

全ては息子中心となり、私以外とは口をきかない息子の
エネルギーは、私だけに集中した。
日光を浴びない息子の生活は、あっという間に昼夜逆転し、活動時間が夜の息子に合わせての生活。

でも私は朝から仕事だ。
夜中の2時、3時に、

「ゼリー食べたい。買ってきて。」
息子の部屋からの電話で叩き起こされ、

「あのね、ママ明日仕事早いんよ。明日の昼休憩に買ってくるけぇ、今日は我慢して。」
と言うと、

「なんで?」
「あのね、仕事せんとダメでしょ。」
「ふーん。なんで?なんで?なんで?」
「あんたは賢い子じゃけぇ、分かるでしょ。」
「なんで?なんで?」

永遠に問いかける
「なんで?」どんな答えにも着地点がない。
私は、
「分かった。買ってくる。」
と重い体を起こします。
「あのね、賞味期限が○月○日の○時のゼリーね。
味はぶどうでないとダメ。そのゼリーが見つかるまで、
コンビニまわってね。」

「いい加減にしなさい!!そんなに欲しいなら、自分で買ってきない!!」
と堪らず怒ると、
「ギャー!!」
と大きな声で叫ぶので、
慌てて部屋に入ると、飛び蹴りが飛んでくる。私に馬乗りになり、

「大バカがー!!お前なんかはよおらんなれ!!お前が全部悪い!!お前なんかいらん!!お前はこの世にいらん人間なんじゃ!!」


「何でゼリーを買ってこんのやー!!」

と興奮状態で、壁を拳で殴りつけます。息子の手は傷だらけ。飛びかかり、制すると、その拳は私に打ち付けられる。息子といえども、すごい力で、骨折をする事は日常茶飯事。
私は息子を抑えながら、

「あんた、苦しいんよね。もう一回だけ、お医者に行こう。全部全部診てもらおう。ママがついとる。ママが守っとるけぇ。ママの命をあげる。じゃけぇ、お医者さんに行こうや。」

もう泣く力は残っていなかった。

毎日毎日繰り返される、永遠とも思える息子との日々。
出勤中に見かける学生さん。

うちの息子には来ない生活。
当たり前の日常。当たり前の成長。それは、私の目には奇跡に映った。

「この子はどうなって行くのだろう…。私がいなくなった後、この子はどうやって生きていくのだろうか。」
子は親を捨てても構わない。子供は受け身ですから。
しかし、親にとって子供は一生。子育ても一生。

目安も終わりもない息子の子育てに、労働の対価も貰えない父の王国である仕事の時間が、唯一自由になる時間となった。

息子の現状を知る父は言いました。
「お前の教育が悪いけぇ、ああなるんじゃ。お前がつまらんけぇ、ああなる。」

「うん。うちがつまらん。」

毎日帰宅すると、玄関のドアに手をかける手に力が入らない。開けられない。

「帰りたくない。帰りたくない。おじいちゃん助けて。」

長い時間を経て、私は息子を怖いと思う様になっていた。

同じ様な境遇で、毅然と頑張るお母さんは、本当に立派だと思う。
私は、母親失格だと思った。

息子可愛さ故、恐怖故、私は息子の言いなりのロボットになっていた。

「ねぇ。」
と息子の呼び声。

「今日は何を言われるの?今日は長い時間何をさせられるの?」
怪我だらけの身体をみると、泣けてきます。

「なんで?なんで?うちばっかり。なんで?
うちは、なんで生まれてきたんじゃ。何の為に生まれて来たんじゃ。」

この世に生を受けた意味が理解できなかった。

誰にも愛されていない。
誰からも必要とされていない。

愛する息子を授かった有難さを忘れていた。

辛いのは私じゃないのに。本当に辛いのは息子自身なのに。

外に出るハードルの高さが、受診を遅れさせた。

そんな長い長い生活の中、中学校三年生に上がる春、私は定期的に訪れていた中学校に出向き、校長との面談をしました。

「高校に行く選択肢を与えてやりたい。」

校長は、診断名の付いていない息子を、健常者と判断し、
「定時制高校」
を強く薦めた。

帰宅し、グッと心を強く持ち、息子に尋ねた。

「高校行かんの?」
進路や将来の話になると、大暴れする息子が、その時は、静かに話を聞きました。

「行きたい。みんなと同じ高校に行きたい。」
と一言答えた。

久しぶりのまともな会話。
私はもう、嬉しくなって、

「うん。行こう。ママがついとる。でもね、最初の大きな仕事があるよ。病院へ行こう。」
「うん。」
私と息子に大きな光が差した。

そして受診の日が決まり、出発の朝。

起きる事が出来ない息子は、苛立ち、自分の頭を拳で殴り始めました。
「自分はダメ。ママを叩きんさい。行くよ。辛いね。怖いね。でも、行こう。」

玄関前で転倒しながら、それを支えながら、どうにか車に乗せ、大騒動の中、病院に到着した。
不思議な事に、病院では大人しく待った。握った息子の大きなった手を、愛おしく思った。

こんなに大きくなって…。私は息子を誇らしく思った。

沢山の診察や検査に耐えた息子。
もしかしたら、高校進学の夢をみたのかもしれない…。

「理解している。この子はきっと多くの事を理解している。」

長い期間の診察を経て、診察の結果を聞きました。私は崩れ落ちました。

「自閉症スペクトラム及び、強度行動障害。
息子さんには知的の障害があります。」

「そっか…。そうなんじゃ…。」
ホッとしたのです。性格ではなかった…。ちゃんと理由があったんだ。
不思議と、この子は大丈夫なんだ。と思った。

それでも、親は先に旅立つ。そうでないといけないし、それが、親にとっての最大の親孝行。
だが、そうでない場合がある。

「この子を残しては逝けない。私がいなくなった後、この子はどこに行き、どうやって暮らして行くのか。」

ずっと、ずっと頭の中に根付く不安。
私がいなくった後に、孤独に生きている息子の姿。
当たり前の事ですが、何故私は、息子よりも早く生まれてきたのかを悔やんだ。

現在の息子20歳


話は戻る。

ランジョウを引き受けるにあたっての大きな課題。
馬が複数になった場合の根拠。

私達は、商法に規定される普通法人。。商法では、「利益を追求する」との考えがあり、非営利法人ではない私達の会社では、馬を社員とする事が成り立たなくなる。

生産活動も必須である。

何にも頼らず、自力で乗り越えなければ、大変な手間と維持費がかかる馬の生活を維持する事は、私などには無理だと思った。

究極に自分を追い込み、自らの責任の元にそれを行う。
全ては自分の責任。この仔達の責任も私にある。
お腹を痛めて産んだ息子も。
そうでなければ、私も成長できない。
成長したい。子供達のために。

「障がい者の方達が暮らすグループホーム」
なる存在を知っていた。生活介護や就労支援も知っていた。
そして、私の息子がそこで引き受けて頂ける可能性は、
どれ程にあるだろうか…。
私はまた蓋をしていた。狭い箱の中に息子を閉じ込めて、動けなくさせていた。
「どうせ、無理だ…と。」

ランジョウを引き受けたい。どうすれば…。
すると、主人が言った。

「自分達でグループホームを建てればいいじゃないか。
生活介護や就労支援も、同時には無理かもしれんけど、
やればいい。仕事は、社会との大きな繋がり。障がいを持つ子達に、馬のお世話をしてもらう事を仕事として貰えばいい。それを引退した競走馬にしてもらう。お前はいつか、その子達と馬達を側で見守る事を仕事としたらええ。うちの息子のためにも。あの子が仕事する場所と、生活する場所を、ワシらが作ろう。ランジョウを
迎え入れよう。これを断ったら、一生後悔する。」

壮大な計画。でも、息子とトレジャー、ランジョウのためなら頑張れる。この大切な命のためなら。その幸せのならば。

それから、主人と二人でそれらの施設を建設するための具体的な計画書を計画する。

目の眩む様な、資格の取得の嵐だった。
何より、事業の計画、借入、費用、馬の維持費の支払いの原資。

私の、いえ父の独特な資金繰り表を作った。
あぁ、出来る。そこに至るまでの道のりは険しく長い。
でも、利用者さんと、職員と、息子、そして、馬達。
みんなが生活できたらいい。
私達は雨風しのげる家があって、三度の食事が摂れたらそれでいい。

資格の足りない私を見て、母が言った。
「私が先に資格を取る。あんたのために取るじゃないよ。馬のために取るんよ。」
と言った母は、60歳でケアマネを取得し、また新たな資格に取り組もうとしてくれた。
母は71歳になっていた。

この目まぐるしい流れは、ものの数時間。
今日中に…。今日中に形にしなければ。

そして、主人はオーナーに電話をかけた。

「先生、ランジョウ、宜しくお願いします。」

藍姫(ランジョウ)現乗馬クラブへ到着の日


この瞬間、もう受け入れられる引退馬は最後となった。

ホットミルクの姿が目に浮かび、寂しかった。

そして、ランジョウは藍姫となった。
紫陽花の花。花言葉は「切実な愛」

何より、沢山の思いが詰まっている藍青という名前。
ランジョウに関わって下さった全ての方に感謝を込めて。
藍の字。藍青は、藍姫となった。
愛らしく、美しい顔立ちの、大人しい仔。

藍姫に、他の馬との違いを瞬時に察したトレジャーは、
ヤキモチを焼き、常に不機嫌になった。

今になって思うのだが、半妹だったのが分かったのかもしれない。

トレジャーには、不思議な能力がある様に思えるのだ。

それでも、トレジャーと藍ちゃん。
なかなか仲良しとはいかないが、ゆっくりと、同じ場所での放牧が出来る事が、今は目標である。


トレジャーは、余程藍ちゃんの事が気になるのか、放牧時には、別の柵にいる藍ちゃんの柵まで、ゆっくりと柵をお尻で押して大移動をする。。


お尻で柵ごと移動中。「おい!!そこに行っちゃるけぇ、待っとれよ…。」


柵同士がぶつかる音を合図に、藍ちゃんを威嚇する。

藍ちゃんは、トコトコと、トレジャーのいる柵と反対側に移動する。藍ちゃんの方がトレジャーよりも、ずっとお姉さんな対応。

相手にされないと感じると、今度は草が多いエリアまで柵ごと移動…。
ゴールドトレジャーは、柵を動かす事が楽しみのひとつなのであろう…。

「やっぱり、馬はすごい力なんじゃな……。」
と、ただただ感心します。

ただ、ホットミルクの存在を忘れられない。

出会えなかった確率の方が、圧倒的に多かった。
出会えれば、奇跡だった。
トレジャーとの出会いが、ホットミルクとの出会いのハードルを、下げたかの様な錯覚に陥っていた。

巡り合わせのなかった仔。
分かってはいても、悲しいものは悲しい…。

「さよなら。ミルクちゃん。」

もう…もう忘れよう。引き取れないのに、追いかけてはいけない…。
トレジャーと藍ちゃんの、元気な放牧姿を見ながらそう呟いた。

そして…その三週間後、耳を疑う様な奇跡と動揺する出来事が起こった。

「お前はダメなんだ。お前には力がない。」

と父の声がした。

乗馬クラブにて、オーナーの口から放たれた一言…。

オーナーが懸命に頑張って下さり、それに関わる方々の力で叶った奇跡と夢だった。

「ホットミルク、決まりました!!関係者の方が快く受けて下さいました。良かったですね!!」

「へっ?何?あぁ、あぁ…ミルクちゃん!!ミルクちゃん!!でも、もうランジョウが…。」

私達には、もうどこを叩いてもお金は出てこない。
それは、11月の半ば。
会社の売上の最初の入金まで1ヶ月。

お金がない…。お金がない…。
すぐそこにミルクがいる。
ミルク!!ミルク!!

関係者の方の好意。34戦というレースを頑張りましたが、とても関係者の方に恵まれていた仔だ。

そしてオーナーの好意と人望が生み出した奇跡。
みんな、ミルクの幸せを祈って下さった。

私は何もしていない。

喉から手が出る程に欲しいお金。

「お金…。お金…。お金…。」

「世の中銭が全てじゃ…。うちは何でこんなにも貧乏人なんじゃ…。」
私は呪文の様にブツブツと呟きました。

以前、弊社はTwitterをしていたのだが、私がションボリとトレジャーに寄り添う画像があった。
この日、トレジャーに縋る様な私の姿は、このホットミルクの報告を受けた直後のものだった。

「トレジャー、どうしたらいい?お母ちゃんに力をちょだい。勇気をちょうだい。」

私のただならぬ異変を感じたトレジャーは、優しく寄り添ってくれました。
そう。トレジャーは、優しい。

帰宅中、母からの電話が鳴った。

普段通りの会話。
その中に、心臓を鷲掴みにされる様な一言があった。

「あんたの好きなあの小さい仔可愛いねぇ…。メロディーレーンちゃんとどっちが小さいかね?」

「お母ちゃん、お願いがあるんじゃけど。」
泣きじゃくる私に、母は静かに、

「あんた、まさかまた馬を連れてくるんじゃないじゃろうね?えっ?あの仔?あの小さい仔?二頭も?」

母はまだ藍姫の事を知らなかった。

ミルクの可愛らしさに、まんざらでもない様子…。
母もいつしか、長年の馬と関わる事への夢を、トレジャーに重ねる様になっていた。

「うちには、ゴールドシップの仔がいるんよ。出口牧場さんで生まれた仔でね…。」
と、得意そうに話をする母の目撃談を耳にする様になっていた。

「なんぼいるんね?」

直立不動のまま電話をしていた私の腰が抜けた。

ホットミルク。

ミルク。ミルク。ミルクはそこまで来ている。

ミルクが駆けてくる。
「ミルクやー!!ミーちゃんや!!」
私は手を伸ばす。

「諦められるものか。諦めてたまるか…。後に退かんぞ…。ミーをどこにもやるものか!!一生に一度の大きなチャンス。一回きりのチャンス…。」」

トレジャーマップを愛した。

ホットミルクを愛した。

愛した故に、お金の呪縛に縛られ、身動きがとれなくなった。

「お母ちゃん、一ヶ月だけお金を貸してください。
お願いします。一生のお願いです。ごめんなさい。ごめんなさい。」

「分かった。幸せにしてやりんさい。」
と言った。
そして最後に、

「可愛いじゃろーねー。ウフフ。メロディーレーンで、メジロマックイーンじゃないの…。」

いつしか母も、この一連の流れに参加していたのであっま。
それは、母の葬式代だった。
私は酷く自分が情けなくなり、自分の親不孝さに、消えてしまいたい気持ちになった。

なんとなく…トレジャーマップの姿が頭をよぎった。
マップは言った。

「頼みましたよ。この仔達を頼みましたよ。」

馬の神様は、何の力もない、そんなに競馬に詳しくもない私を選ばれた。

仕事を無我夢中で頑張るしかない。お母ちゃんにお金を返してやらなければ。後日私は、借用書を作成して母に渡した。

ホットミルクがやってくる…。あのホットミルクがやってくる。
ホットミルクの新たな名前は、

「ゴールドミルク」

父のゴールドを継いだ。競走馬時代につけて頂いた、愛らしいミルクはそのままに。 


到着後のゴールドミルク(ホットミルク)



現在では三頭共に蹄鉄を外し、走る事の馬生を終えた

ミーちゃんは、赤ちゃんを思わせる様な、可愛らしさです。大人しく、優しい。

トレジャーを迎えてから、ミーちゃんまでにその期間4ヶ月…。

厩舎の中には、三頭隣同士に並んだ芦毛のトレジャーマップの甥と姪。お揃いのチェック馬着を着て並んでいる。

トレジャーマップは、綺麗に編み込まれたたてがみが魅力的な、少し小柄な身体だった。しかし、とても強い根性の持ち主で、全兄ゴールドシップと同様に、今も尚、ファンに愛され続けるトレジャーマップ。

そしてその名は、ゴールドトレジャーに受け継がれ、
私達の全ての施設の名前となる。

事業所設置のトレジャーマップのパネル(競馬ブックより購入)



私はトレジャーマップに魅せられ、ゴールドトレジャーにその面影を重ねた。

全ての始まりは、トレジャーマップの存在から。

トレジャーマップは天に召されても尚、その存在で、
私の人生に新しい出来事をもたらせてくれている。

愛する存在を忘れる事はない。
私はただのファン。
それ以上でも、それ以下でもない。

頑張れた理由。

それは命であったから。
三頭ともに、生きている命であったから。

その命を繋げていくかどうかの絶対的な保証は、自分の腕の中に、受け止める他にはないと思った。
世の中に絶対な事など存在しない。
だから、自分自身で見届けると決めた。

人間が生きていく中で、精神を疲弊させ、夜も眠れない程に、どこまでも追いかけてくる苦しみはお金だ。

それを、私は知っていた。
父は、精神的な苦労だけではなく、お金の苦労も私達親子三人にもたらした。

それは、また別のお話で…。

色んな情報に混同されている方がいるが、儲ける目的であるならば、初期の投資額、固定の維持費、往診や爪のお手入れ、消耗品等の変動費。それ以上に利益を生み出す様な方法などは、私には思いつかない。

みな、無名な馬達。

金銭的な問題で助けてくれたのは、私達夫婦以外には、この世で母ただ一人だけだった。

馬は経済動物であり、他の畜産動物はどうなる?
と、営業中に電話までしてくる人がいた。
「殺処分の定義は?」
うちは訪問介護の事業所で、その質問の内容を議論し、時間を割く事への生産性は何もない。

私達は馬を買い取り、運び、生活する場所を確保し、生活費を毎月支払う。そして、引き取った馬達各々の幸せな在り方を考える。馬の世話をする事を仕事とする、障がい者の方。就労支援とし、引退馬がその仕事の提供をするのである。その中に私の息子も含まれる。相互扶助の考え方である。

社会との繋がりは、仕事から。仕事を持つと、社会の一員としての自信がつく。
「僕は、私は、馬のお世話をする仕事をしているんだ。」
こんな事を現実にする。

本当は、もっともっと受け入れたい。私が大金持ちならば、引退した競走馬の楽園を作りたい。
でも、それは叶いません。力がありません。
だから、せめてトレジャーマップの血を受け継ぐ仔達の数頭だけでも、ゴールドトレジャーと同じ、走らない、
何にも縛られない馬生送らせたかった。
それが馬達の望みだと、ゴールドトレジャーが教えてくれた。

「命」「長い生涯をどう生きるか」
そんな大切な事を教えてくれた、ゴールドトレジャー、藍姫、ゴールドミルク、私の息子。そして、トレジャーマップ。守護神ゴールドシップ。

ある私の姉と慕う方の言葉。
「競走馬には周知の通り一頭、一頭名前がある。」
と言った言葉が印象的だった。

「Twitterで、ランジョウに関しては一口馬主は、連絡して良いと見た。」と、
競馬業界をいかにたてるべきかを説く為に、業務中に会社に電話をしてきた。

そして、ランジョウに関係していたかと思われる団体と、個人名をいとも簡単に口にした。

ここはSNSとは違うのだ。営業を営む最中、そして介護業務の最中。他者の名前を出す事に対して、自分を大きく見せようとする事だけは理解が出来た。

正体は分からない。
私の懇意にしている一口馬主さんは、皆温かくて良い方ばかりである。「ランジョウの一口馬主だった者ですが…。」の電話は、非常に残念だ。
「ランジョウに会わせて欲しい。あれやこれやとさせて欲しい。」
「ランジョウという馬は、うちにはおりません。弊社の馬社員に関しては、介護職員ですので、介護以外の見学や面談はお断りしております。私達は法人ですので、定められた目的以外の事は出来ません。」

全ての私の答えはひとつ。
「三頭は、もう引退をしました。競馬とはもう関係のない馬達です。そして、私達も訪問介護の一職員であり、
競馬業界とは関係のない人間と法人であります。
彼ら、彼女らも、現在は介護職員です。
競馬業界の常識を、私達に求めないで下さい。
「会う権利がある」と言うなら、しっかりとした法的根拠を。
事業所名は、現存する法人格であり、SNSなら致し方ありませんが、業務に支障をきたす、関係ない電話をするという行為、その内容が商行為を経た後の、所有権移転後の馬に対しての権利の主張は、刑法に触れます。
この様な行為に関しては、録音後、警察に通報させて頂いております。
私達の仕事は介護であります。
私達が買い取った瞬間にこの仔達は、経済動物ではありません。その程度の事しか言えませんし、誰が良い悪いなどとは、世の中を知らなさ過ぎるので、言えません。」

生産され、競馬の世界を歩む。その後の余生。
私の子供達三頭に関しては、以下の様に思っている。
これらは、一つのチーム。
どの力を欠いても、三頭の今日はないのでありますから。

「競走馬」
という大きな範囲での、その後に辿る道の正解は分かりません。ですが応援する馬は、追わない様にしている。どこかで幸せにしていてくれている筈と信じて。

なのに、私はホットミルクを追いかけてしまった。
追いかけた故の責任をとりました。

ただ、はっきりと言える事は、
ゴールドゴールデン、ランジョウ、ホットミルクの三頭には、
「生きて欲しかった。」

私は無類の動物好きですので、犬も猫も馬も同じ感覚でいました。至って単純なのです。

人を乗せて走るという行為に、強い抵抗をした馬に出会った。

足を投げ出して、転がって眠るトレジャー。

ゴールドトレジャーと藍姫とゴールドミルク。兄妹の三頭ですが、「めでたし!!仲良し!!」とは行きません…。
父によく似たゴールドシップの息子、ゴールドトレジャー伝説。

藍姫がやって来た直後に、大事件が起こった。
拗ねるトレジャー。

呼んでも振り向かない拗ねたゴールドトレジャー

ある日乗馬クラブからの電話が鳴った。
「ゴールドトレジャー、疝痛です。急性的と思われ、
非常に苦しんでいますので、獣医を呼びます。これだけの苦しみ方は、あまり見る事がありませんので、命に関わる事もあります。」

「えっ?えっ?何でですか?」
あまりの言葉に、私は何度も何で?と口にしました。
その後に続く言葉は、
「何でトレジャーなんですか?」
であった。

「あぁ…!!トレジャー!!あんたの新しい馬生まだ始まったばかりなのに!!トレジャー、死んだらいけん!!何で!!何でトレジャーなんじゃ!!」
私は猛スピードで玄関を駆け出し、トレジャーの元へ車で走りました。

「マップ、お父ちゃん、お願い。お願い。トレジャーを助けて。」
移動の最中、私はあの日に戻っていました。

マップが競走途中に画面から消えた日…。

父の出棺の時…。

「うわー!!嫌じゃ!!嫌じゃ!!お母ちゃんも一緒に行くんじゃ!!トレジャー!!離れんと約束したじゃないか!!」

続く






























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