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わざとらしさの話
ここのところ、わざとらしさに敏感だ。
先日のステージの為に、久しぶりに演技的なものに向き合ったからかもしれない。
一昨日は、新婦が感謝の手紙を読む姿に。
昨日は、友人スピーチの姿に。
どうしても、ありのままのその人ではないもの、もしくはあまりにも付け加えすぎてる様子に胸がぞわぞわしてしまった。
きっと、どこかで身につけてしまった上手な読み方を自分らしさのように使っているのだ。
ありのままの自分で話すってどういうことだろう?
例えば誰かになってしまう演技でも、それがその役そのものになるってどういうことだろう?
はっきりと答えは出ないけれど、
ひとつだけ言えることはある。
その人そのもので語る姿は、魅力的である。
人前で話す仕事をしているものとして、
いかに魅力的で違和感のない存在であり続けるかは永遠のテーマだ。
だからわたしは、いつまでも自分を探求し続けるつもりだし、いつまで高めるための好奇心を忘れないでいようと思う。
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