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【読書会レビュー#50】それぞれの明治20年

参加者8名
MSさん(東本)・HNさん(敷島)・TMさん(佐野原)・YMさん(旭日)・YTさん(府内)・MKさん(高松)・EYさん(東本)・私(東本)
(ほかに視聴のみの方が4-5名)

9月9日。今回は私の都合で、15時半からの開催になったので「afternoon」と洒落こんでみました(笑)

急な変更と、日中なので参加人数はかなり減るかなと思いつつスタートしてみたら、さっそくいつものメンバーが4-5人入室してくれました。うれしい♬

この時間帯もいいかもしれいので定例化しよう。

教会勤めの方は、御用の間にイヤホンで「聴くだけ」なら出来るようでしたので、身元が分かる方ならこれもOKとしよう。目的は

おやさまの温もりに触れる時間と仲間を増やしたい

なのだから。

「草の中の聖たち」

毎回「教祖伝」を1章ずつ輪読し、内容を補足したり、投げかけられた疑問をもとに思案を深めていくというスタイル。でも今回は、あえて教祖伝はお休みにして皆さん自身のお話を聴かせてもらうこと、そして私が今読んでいる本の中から一部朗読することにしました。


「壁の中にも道はあった」
天理教の歴史の中で「一派独立」と言うと言葉に何度も触れていましたが、宗教の自由が保障されている現代の私は、そのプロセスについて深く想像することがなかったし、想像するための知識が乏しかったのですが、この文章に触れて、そのご苦労の一端を垣間見ることができました。

松村吉太郎先生はじめ、この活動のために身と金銭を投じ、頭を下げて踏ん張ってくださった先人に深い深い感謝と敬意を抱きました。


次に参加者の方のお話を聴かせていただきました。

もう好きにしなさい

<TMさんのお母様のお話>

布教所の娘として育ったお母様が嫁いだ先は、両親も夫も天理教の信仰に反対していました。実家の月次祭にさえ参拝することを禁じられていました。実の母は娘に

ご両親ご主人の言う通りにしなさい

と言ったそうです。

お母さまは神様が恋しかったのでしょう。小さい自分を連れて、数軒先にある別系統の分教会に参拝をするのですが、決して見られないように、人目を憚って入り、さっと参拝してすぐに出ていくということをされていたそうです。

また、お母さまは、自分を連れて行った病院の待合室にいるほかのお子さんに話かけては、おさづけを取り次いでいたと言います。また、大きな幹線道路のそばに住んでいたので、交通事故が絶えなかったのですが、事故とわかると一目散に駆け付け、けが人におさづけを取り次いでいた姿が目に焼き付いていると話してくださいました。

そしてとうとう、義母さんから言ってもらった言葉が

もうあなたの好きに(信仰)しなさい

でした。お母さまはどんなにかうれしかったことか。

「たんのう」を貫いた先に親神様が用意してくれた「返し」ではないでしょうか。


お前の「明治20年」やな

<HNさんのお祖母様のお話>

戦死されたご主人の実家に身を寄せるも、三男の嫁という微妙な立場であったためとても苦労した。大教会長より、たすかりたいならまず足元からおたすけをと言われ、その通り実行した。

足元、つまり街中でおたすけにおいがけをした。道を歩いている身上の人、病院の待合室、遺族会。戸別訪問ももちろん。

小さいころお祖母様に連れられてにおいがけに歩いていたNさんが、大人になって町で戸別訪問をしていると、

あのときのお孫さんかいな、そんなパンフレット一枚で布教しようとおもうたらあかんで、おばあちゃんを見習いや

と喝を入れられたとか。ちなみに未信者の方(笑)

お祖母様のおたすけの様子は出直されてから、周囲の人から聞かされて初めて知ることばかりだったそうです。それまで天理教に背を向けていたNさんは、お祖母様が出直したことが大きなきっかけとなり、信仰へと入っていったそうです。

前大教会長に言われた

おばあちゃんの出直しがお前の明治20年やな

という言葉に胸が熱くなりました。


「明治20年」おやさまが今からたすけするのやでと扉を開いた日

みなさんの明治20年はいつですか。


今回も参加してくださるみなさんのおかげで、尊い時間になりました。おやさまがそばに居て微笑んでいるような気がしました。

読んでいただきありがとうございました。




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