#選択の代償 第27話

おはようございます、#選択の代償、私、亀川がお送りしております。
さて、徐々に強まるプレッシャーの空気感の中、大阪での親会社の子会社の御前会議も厳しい空気感の中で優先課題は資金繰りとなってきました。他の2社は、未だ何とか商売的には、地に足がついてましたが、このエイペックスジャパンは、新たな実績が足りてませんでした。言葉こそ、穏やかにしているようでしたが、赤木社長含め他の役員の表情は険しく、毎回、睨まれるような感じでしたね。
とはいえ、まだスタートして4カ月経過した頃です。社内の統制もままならない状況でもありました。5月のGW明けから毎週土曜日には、社労士を交え規定集の作成も進めていました。相手の社労士は、某大手メーカーの顧問も経験し、それなりの経験値はありましたが、一文ずつ詰めていくとなかなか意見が合いません。いわゆる「労使協定」や「雇用条件」に関する法的な縛りは独特なものと私が感じたのは、それまで仕事をしてきた組織がマチマチな緩い部分もあったという事でしょう。特に、外資系企業と言っても、国内では中小企業と変わりません。それ以上に、残業や休日出勤などの手当てはなく、年俸制度のひとくくりで片づけられていたようです。
株式公開(上場)をミッションとして与えられたために、様々なハレーションが起き始めます。

アナログ制作部門とデジタル制作部門の融合を狙った第一号案件は、表面的にはうまく進んでいるように思われましたが・・・実態と大きな隔たりがあったようです。先ずは業務フローです。集まったスタッフはそれぞれ異なった環境での経験値があり、それなりに質の高い仕事ではあったのですが、ある一定のルールになかなか定着しません。そこへ、更に、異なるDNAの親会社の営業4名。毎日、細々とした行き違いや、コミュニケーションエラーが発生していました。正直、私も『いい加減にしろ!』と大声を出したくなることも多々ありました。しかしながら、それを言ってしまっては終わってしまいます。ひたすら『我慢』でしたね・・・それに、『孤独』でした。日々、周囲へ相談したくても相談ができない状況になっていきます。
そんな中、二つ目の大型案件が出てきました。それは、ある会社のCI(ロゴなどの更新)提案です。その会社は、株式公開目前で、それに合わせてブランドイメージの一新を図るために、検討していたようでした。この案件は、最初の資金調達から派生した紹介案件ではありましたが、その内容は、アナログ制作部門の仕事が殆どです。その打合せに同席すると、営業担当は、全く異質のものと感じたのか、ただ黙っているだけでした。そのうち、デザイナー担当者が、吠えます『あんたら、ホントにこの仕事を売れる?』と詰め寄ります。営業担当は、ただ黙っている。
そこで、私が「では、最終のクロージングは私が行こう。但し、ご指摘の通り本件の提案やプレゼンは、そちらがプロしてやって欲しい」すると「いいよ、もし売れなかったら、それまで費やした時間や労力は別建てて請求したい」と言い始める始末。

そもそも、同じ組織の中で『自分だけ評価して欲しい』というその主張は、ほぼ通らないのが組織。組織におけるルールは、特定の得や評価にするものではないと日本の企業では考えられている。よって『エースで4番』は、最終的には出世しにくい環境でもある。昨今では、組織の考え方も個人の価値観も変化してきており、このような場合、どう対応していくか、様々だと思う。
話は戻るが、その後、3回ほどのクライアント先でのプレゼンの結果、採用の内示の連絡が来た。するとデザイナーは「さて、いくらで決めてくれますか?」と私に尋ねるので私は「売値の希望はあるのか?」と尋ねると・・・「600万円」と言ってきた。そうか・・・当時私は、このような無形知財(ロゴやCI)を販売したことがなかったが、一応その根拠と内容の説明を受けた。そして「では、成約するように努力しよう。近々、営業担当と見積書をもって交渉にあたる」と約束した。そして1週間後、見事、600万円で受注に至った。オフィスに戻ってデザイナーに事の経緯を告げると「あんた、ホントにその金額で売ってきたの?マジ?今時、この金額でよく相手がOK出したね?」という。私は「相手は、取締役担当常務だから、今更キャンセルはないでしょ」と・・・その後、そのデザイナーは態度が豹変することとなる。
少なからず、異文化で育った者同士が、やっと何か接点ができたような気がした。こうして、徐々に事業の実態は形づけられていった。

そして、同時に親会社からの待ったなしの第二次第三者割当増資の実行に向け檄を受けることとなる。いよいよ、親会社の資金繰りが厳しい状況で、エイペックスジャパンも毎日のように、タイトロープの上を渡っている感覚となった。そして、先の資金調達の延長で、最も大きな規模の話に遭遇することとなる。
その直前に、先の里中氏から食事に誘われた。まだ、信頼して腹を割って話せる仲ではなかったが、最初の支援ではいい関係ができてはいた。その彼と六本木周辺で色々話をすることになるのだが・・・なぜか彼がフリーでいるのか疑問でもあった。彼によると『以前は、某外資系の金融機関で仕事をしたことはあるのだが・・・彼自身の家庭の事情(父親が大物だったらしい)で、居づらくなったのと同時に、面倒な事が多くなって暫く身軽でいたいとの事であった』面倒な事というのも、この中でお話ししにくい事が多くて、割愛させていただくが、日本の経済・金融と行政のルール等が複雑かつグレーな部分でつながっていることは確かだと感じた。そしてその灰色な部分は限りなく白の場合と黒の場合に大きく分かれると。
食事をした最後に里中氏は『あなたみたいな人が、ちゃんと事業を成功させて継続するには、少々、市場が濁りすぎている』と言われたのを忘れない。
そして、その言葉の意味がその後わかることとなる。
この続きは、また次回、お聞き逃しなく!

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