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背中2 憑 狂 ~ツキクルウ~
いったい、どう言えば良かったんだろう。
さゆみは半月経った今でも、後悔に似た自問を繰り返していた。
あの背中を、大基にそっくりなあの背中を、守ることが出来るのは私しかいないのに。
なのに、私はおめおめと、あの女の前から 逃げ出してしまった。
何度もくり返し、何度も唇を噛んだその問いの答えを、さゆみは何度考えても思いつくことは出来なかった。
「おい、加藤田。昼、行かないのか」
声をかけられて、ハッとした。半ば無意識にパソコンに入力していた数字は、奇跡的に間違いはなかったようだ。だが、確認しておかなければならない。
「今日はちょっと、外には……」
声をかけてきた先輩の柚月斗真は眉を顰めて、さゆみのデスクに近づいて来た。
「加藤田、お前、そう言って何日もまともに昼休みをとってないじゃないか。健康管理も仕事のうちだぞ」
五歳年上で、そろそろ中年の域に足を踏み入れた斗真は、まだまだ健康管理などという言葉とは縁遠い、スリムな体系だ。入社したての女子社員に囲まれることも多い彼だが、愛妻家で、日ごろは愛妻弁当をひけらかしている。
「柚月さんは、お昼にしないんですか」
さゆみが尋ねると、斗真は明後日の方角を向いた。
「あー。忘れてきたんだよな、弁当」
「そうですか」
さゆみはそこで会話は終了とばかりに、パソコン画面に向き合った。
「というわけで、付き合え、加藤田。飯に行くぞ」
斗真はさゆみとパソコンのモニターの間に手のひらを差し込んで、ひらひらと動かす。邪魔で邪魔で仕事にならない。さゆみはため息を吐いてパソコンをスリープさせた。
「もちろん、おごりですよね?」
引き出しから携帯用ショルダーバッグを取りだして肩にかけたさゆみに、斗真はニッと笑ってみせた。
「男女平等」
さゆみはもう一度、ため息を吐いた。
夜はにぎわうらしい居酒屋の暖簾をくぐる。
昼でもビジネスマンでいっぱいだったが、かろうじてカウンターの席を、ふたつ確保することが出来た。
サバ専門店らしく、壁に貼られているメニューはサバばかりだ。それらは全て夜の居酒屋メニューのようで、ランチのメニューは見当たらない。
さゆみがキョロキョロしている間にカウンターに水が入ったコップが置かれ、その水を一口飲み終わると、注文もしていない焼きサバ定食の盆が目の前に置かれた。
あっけに取られているさゆみを、斗真が面白そうに見ている。さゆみは、ジロリと斗真を睨んだ。
「あ、この店な、昼は焼きサバ定食しかないんだ。店に入ったら否応なしに焼きサバだから」
「私、サバアレルギーで食べられないんですけど」
「まじで!?」
斗真はあわてて椅子を蹴立てて立ち上ったが、さゆみが「嘘です」と言ってサバの身に箸を突き立てたのを見て、ホッとため息を吐いて座りなおした。
「お前な、言っていい冗談と悪い冗談があるって知ってるか?」
「先輩こそ、サバは食べられない人が多いって知ってますか?」
斗真はグッと言葉に詰まった。さゆみは気にも留めずにサバの身をご飯に乗せて頬張っていく。
「加藤田は、食べられないものはあるのか?」
「ないです」
不愛想に答えたさゆみに、斗真は小鉢の、ピーマンのオカカ和えを差し出した。
「これも食べなさい。健康にいいぞ」
さゆみはキロリと斗真を睨んだが、当の斗真は満面の笑みでさゆみの盆に小鉢を置いてサバに取りかかった。
さゆみは二つの小鉢をぺろりと平らげて顔も向けずに斗真に苦情を申し述べた。
「子どもじゃないんですから、ピーマンくらい食べてください」
「食べられるぞ、ピーマンくらい」
「じゃあ、なんで小鉢を寄越したんですか」
「俺はな、嫁さんが作ったピーマン料理しか食わないって決めてるんだよ」
さゆみは無表情でサバを食べ続ける。
「お、今、『この新婚バカが』って思っただろ?」
「思ってません。このバカが、とは思いましたけど」
「お前、ひどいな。俺は一応先輩だぞ」
無視してさゆみはガツガツと焼きサバ定食を食べた。無視された斗真も悲しそうにしながらも黙って定食を食べ終え、二人は十五分もせずに店を出た。
「あーあ。こんな早食いじゃ、語らうことも出来ないじゃないか」
「語らう要件がありませんから」
すげないさゆみの言葉に、斗真はいくぶん真面目な声で尋ねた。
「加藤田、最近、心配事でもあるのか?」
「それ、今聞きます?」
さゆみが目線で歩道を指し示す。ランチタイムの街中は行きかうビジネスマンで混雑している。真面目な相談事が出来る状態ではない。
「……帰るか」
気を使ってくれた斗真に少々申し訳なさを感じながら、ぼんやりと呟いた斗真の後ろにくっついて、さゆみはオフィスに戻った。
執筆に必要な設備費にさせていただきたいです。