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地方自治体とは、住民の生活をささえる、多面的な時空。

60歳の還暦を過ぎて、亀井水調査と水の信仰という根源的な課題を個人的に考え、人生の黄昏につつましく生きていよう、などと思っていた。特に、この大阪の、わが街の歴史を散策する、わがままなる郷土史のへぼな愛好家たらんと、願う。苦しんで、断酒して生き延びた、せっかくの老いである。なにを、悩むことがあろうか。

そこに湧いて出た珍妙なる理屈、大阪ト構想。わが街を解体し、腑分けし、なにをかいわん、大阪市民の金と自治権をバラバラにして、文句を言わさんと府知事が支配する。

戦時の軍費調達の道具にすぎない、東京都の化石のような制度を、コピーしたら、東京都みたいになれる。そんなバカな。東京都を真似ししても、東京都のような膨大な税収があるわけでなし、貧乏一直線に転落するに決まっている。大阪ト、になれば、副首都と自他ともに認知され、世界中の企業や観光客がおしよせる。そんなわけないだろう。

国際都市として、世界と仲良くするのかと思えば、ロサンゼルスに喧嘩ふっかけ、半世紀の姉妹都市を一方的に解消。大人げない。

地方自治体は、権力の道具ではない。話し合いの度量もない首長が、ひとり威張るための高御座ではない。

住民が生きるための、物理的、精神的、時空間が、地方自治体である。

金と権力の問題だけで、制度をいじくり倒して、何でも変えさえすればいいのではない。

時空間であるから、街にははるかな歴史があり、先達も感嘆した風景があり、信仰があり、助け合う福祉があり、人生があり、愛もあり、悲しみもあり、そしておだやかに死んでいける。それが、都市である。

人が集まれば、権力も生まれる。しかし、権力は、人生の目的ではない。都市は、単なる権力機構ではない。権力者とは、都市がはらむ多様な命、魂への奉仕する職能である。

この街で、聖徳太子は、話し合いの大切さをコンコンと説かれた。話し合いより、決断力だと息巻いて、どうなる。話し合いのメソッドを持たない者は、権力を手にしてはならない。

時間は無常である。人は老い、歴史をひきわたし、去る。都市にも、時間の水脈は流れ、やがて廃墟たるとしても、美しき廃墟たれ。そこに生きたすべての命をことほぎ。

と、水都大阪に、へぼ詩人は、うたを捧げんとす。

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