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破壊神のいた70年万博

見出し写真は岡本太郎『海辺』

1970年の万博は、なぜ成功したのか。

破壊神がいたから。

岡本太郎と小松左京。

それはまだ、共通体験として、戦争の記憶が生々しい時代だった。私の父も中国をさまよい、消息不明になりながら、ある日ひょっこり帰ってきたという。父は私たちには何も語らず、無言で酒をのみ、酔うほどに子煩悩な優しい男になり、酒で糖尿病をこじらせて亡くなった。思えば何の野心もない男だった。戦争でなにを見たのか語ることはなかった。

そんな父の世代の潜在意識が、あの独特の万博の基調を生み出したのかもしれない。

そして私の世代は、若者たちに何を強いてきたのか。

偏差値教育という、タマシイの破壊。平板な差別を日常化する下品さを、子どもたちに強いてきた。

そんな時代に、万博が文明の祝祭になりようがない。

私たちは失敗した世代だ。破壊神を汚物の海に流し去った。神は海に捨てられたえべっさんのように、ひょっこり再生することはない。


江戸時代のくだん


#くだん

小松左京の小説に「くだんのはは」があります。九段の母、ではありません。くだん、という妖怪の都市伝説です。

しかし、作者の少年時代の空襲体験をベースにした妖怪譚で、戦争賛美の九段の母への逆説として、一種の反戦文学とみなせます。

👿

くだん。漢字では、件。

富山の立山には、人面の獣、くたべ、の目撃談がありました。それが江戸に伝わり、くだん、となります。

江戸時代の剥製の制作技術はかなり高度なもので、河童の剥製や人魚の剥製など、異様なるものも作られ、人面牛身のくだんの剥製も残っています。

災厄のあるときに出現する、とされ、災厄を鎮めてくれる。

😱

といえば、疫病封じの祇園信仰、牛面人身の牛頭天王、を連想します。

「くだんのはは」に登場するのは、牛の頭をもつ少女です。やはり、くだん、がうまれるのは災厄の前兆で、日本は第二次世界大戦の泥沼にむかいます。しかし、くだん、が生まれた家は災厄をまぬがれる。あの、神戸阪神大空襲のなか、その家のみ無傷で残ります。しかし、くだん、は、災厄が過ぎ去れば死んでしまうのです。

じじつ、小松左京のすんでいた、西宮には、戦時中、くだん、が生まれたという、うわさがひそかに流布していたそうです。

屋敷の奥座敷に隠された、振袖を着た牛頭の少女。

思春期を軍国少年として生きて、空襲の惨劇ににげまどう小松左京の体験の、不条理が、少年のイマジネーションに、あるなまめかしく、凄惨な妖怪の姿として凝縮したのでしょう。


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