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とるにたりない選挙民なのか?


19世紀なかば、パジョットの「イギリス憲政論」の一文、〈真の科学的発見はとるにたりないと廃棄されてきたもののなかにこそある〉という言葉を、私の長大な亀井水調査レポートの冒頭にかかげました。

亀井水は、とるにたりないものと放置されてきた、という趣旨です。

パジョットが、とるにたりないとして無視されていた重要問題としたのは、労働者階級の参政権です。

婦人参政権なども含め、いまは当たり前の議会選挙が全国民に許されるようになるまでは、長い歴史がありました。


ところが、21世紀になり、日本人の半分が、参政権を自ら放棄するようになります。

国民や住民の半分しか参加しない選挙に、正当性はあるのでしょうか。

日本人は、議会制民主主義を自ら放棄しています。そんな状況で選ばれる議員により、独善的な政策運営がなされる。

すごく単純な、危機です。


棄権する半分の国民や住民は、パジョットのいう、すてさられて見向きもされない、存在なのです。そして、新たな発見は、そのゴミのなかにこそある。


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