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権力の中枢に猫がいるイギリス

イギリス首相官邸の保護猫ラリーは、ネズミ捕獲及び古いソファーの寝心地鑑定のために女王陛下に任命された公務員です。ただし、職責を全うしているかは問われない。

権力の中枢に猫がいる。しかも血統などない保護猫。イギリスらしいジョークでもあるが、近代国家の権力の源泉を思索してきた、ホッブスやベーコンの伝統に基づく権力批判の果実ともいえる。

猫や雀に何の価値があるのか。

価値とか生産性とか権威とか支配とか、ややもすれば硬直化する政治志向をムニムニするために、犬ではなく、猫の肉球が欠かせない。

国家の要に柔軟な感性を置く。

たとえば仏教。

意外なこととも思えるが、中国にも仏教は根付いているが、仏教を国是とした国は短命におわる。民族の武力の衝突、興亡のなかで、仏教は無力であった。

国家の指導原理として、和の国に仏教を置いた聖徳太子の試みは、そういう意味で、人類史的な壮大な実験といえる。

紆余曲折をへて、今日までその命脈は尽きない。

明治維新政府による仏教否定、神道原理主義の野心はあったが、神道も実は仏教から刺激されて構築されてきたものだった。

その社会の設計図は、聖徳太子が描いたものだった。苦からの救済と福祉、聖徳太子の仏教は具体的な社会政策として、日本人を守る力となる。

権力は何に由来するのか。福祉と平和である。日本人が歴史的使命と自覚しなければならない思索は、1400年間変わらない。

イギリスには権力の中枢に猫を置く思想がある。

日本では、あらゆる階層の人間を、付かず離れず見つめる、雀がいる。

戦争と疫病災害に世界が途方に暮れるなか、私たちが語るべきことは何か。

猫と雀だと、仮定しておく。

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