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四天王寺と日光東照宮

見出し写真は四天王寺の眠り猫。
これは、東照宮の眠り猫
東照宮の三猿

「ラーナツアーズ」さんのページから写真おかりしました。

日光東照宮の、#眠り猫、三猿。

眠り猫が、四天王寺太子殿の作例の妹なら、三猿も、四天王寺発祥とされる、#庚申信仰、にちなむのではないか。


日光、は、二荒山(ふたらさん)を、にこう、と読んだのが始まり。宇都宮市にある、二荒山神社が里社。古代日本の神まつりは、山頂、山麓、里、の三段構成。海でも、沖、海岸、里、となる。

物部守屋を滅ぼした、迹見赤梼(トミノイチイ)という人物が日本書紀に登場します。彼に殺された、中臣勝海、物部守屋、その一族郎党、は四天王寺太子殿聖霊院のなかに祠を建て供養されています。一時荒れかけていましたが、谷川健一先生が「四天王寺の鷹」で紹介され有名になり、四天王寺さんはきれいに修理なさいました。

四天王寺には、物部守屋の所領と部民があたえられ、物部の人々は四天王寺創建の力となりました。その後の長い歴史を通じ、四天王寺は物部の民により守られてきました。谷川健一先生にとり、それは衝撃的な発見でした。

谷川健一先生が、亀井水をご覧やなかったことが、悔やまれます。

話をもどします。

迹見赤梼の祖先神が、宇都宮市二荒山神社の祭神で、崇神天皇の長子で東国経営に専念した、豊城入彦命だと、新撰姓氏録にあります。

常陸の日立、とあわせて、関東東北部は太陽信仰のメッカであった。そこに、家康が東照大権現として鎮座する。

新井白石は、高天ヶ原は、常陸の国の多賀であると断定しています。


四天王寺と日光には、浅からぬ所縁がある。

左甚五郎が、四天王寺再建の仕事を、日光東照宮にも生かした、という想像も、故なきとはいえません。

四天王寺のおこしのさいは、亀井堂の亀井水を必ずお詣りください。暗い底に伏している亀形水盤が推古元年593年の遺産。上の亀の噴水は明治末に無理矢理設置したもの。

亀井堂から南へ1分。太子殿の猫の門の眠り猫がいます。原型は、日光東照宮より前の、左甚五郎の作。現在の再現は、松久朋琳・宗琳による。



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