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5月15日は沖縄返還記念日、しかし軍事要塞化へ向かうのか、51周年

大阪にも沖縄出身の方はたくさんおられます。
2025年には大阪で万博が開催されます。
大阪が日本の万博発祥の地だということは、あまり知られていない。
70年万博ではありません。明治時代です。

内国勧業博覧会

実は、大阪の万博は、実質三度目になります。(あ、花博を忘れてました。四度目です)

明治36年の内国勧業博覧会が、国際商取引のパリ条約に加盟が認められた、実質日本初の万博になりました。

(実は2025年万博は、本命のパリが立候補をとりやめて、お鉢が回ってきたのです。万博の役割に本場から疑念が示されたとも言えます)

70年万博が、アメリカの月の石の展示が話題になったように、明治の万博もアメリカの自動車の出品が話題になりました。


明治36年の大阪内国勧業博覧会は、大成功をおさめます。しかし、汚点として語られているのが、#人類館事件、です。

学術展示として、世界のいくつかの民族の生活を実演展示する、というものです。デパートでよく企画される北海道物産展にアイヌの職人が工芸品の実演販売をするようなものでしょうか。日本国内からは、アイヌと沖縄が選ばれました。

問題になったのは、新聞へのある投稿でした。

「日本国内にアイヌや沖縄のような劣等民族がいることを展示するのは恥である」

厳しく反応したのは沖縄県でした。沖縄をアイヌといっしょにするな、と。

二重にいりくんだ差別意識のもと、沖縄の展示は会期なかばで中止されました。

ため息しか出てきません。


博覧会跡地は、半分は民間に払い下げられ、現在の通天閣を中心とする新世界となります。

あとの半分が、動物園と天王寺公園となりました。

翌年から日露戦争が始まり、戦後不況から、大規模博覧会は打ち止めになります。

しかし、沖縄への差別は、まだ心の中に刻印されているのではないでしょうか。

沖縄は貝類の交易で日本はもちろん、中国殷の時代の貨幣として子安貝を提供していました。大航海民族の島でした。

古代史において、沖縄が語られることはほとんどありません。

明治時代の、野蛮人の島という露骨な偏見が歴史学にも浸透しているような気がしてなりません。

だから、魏志倭人伝という資料を読むときも、記述どおりには読まず、色々なこじつけをします。書いてあるとおりに読めば、沖縄にたどりつくのに。それはありえない、とまず除外されてしまいます。

そして、沖縄と先島諸島が軍事要塞化されることにも、なんら関心をいだかない。



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