歴史博物館である長浜城で、ふと思った、煮えきらない仮説。息長と沖縄。
見出し写真は伊吹山。wikiより。
長浜城です。
大阪城と同じく、お城の形をした、歴史博物館です。
最上階からの琵琶湖の展望はすばらしく、おもわず、でっかい亀井水だと、深呼吸してしまいました。
展示の目玉のひとつは、息長氏と琵琶湖水中祭祀です。
息長・おきなが。代表する人物は、神功皇后です。オキナガノタラシ姫。
皇后なのに、日本書紀は特別に紀一章をあてています。
しかも、魏志倭人伝を引用して、神功皇后があたかも卑弥呼その人であるかのような、あつかいをしています。
私にとり、諡・おくりな、の、タラシ、も重要な謎です。
え、っと。
魏志倭人伝をそのまま読めば、卑弥呼の邪馬壹国は沖縄と考えて何の支障もない、と考えています。だから、息長・おきなが→おきなわ、という連想が、するりと出てきます。
琵琶湖北岸の息長と、沖縄には深い関係があることは、とっぴな、すっとこどっこいな仮説ではありません。
息長、つまり息が長いとは、潜水漁法にたけた海洋民族を意味するであろうことは、間違いないようです。
長浜の背後にそびえるのが、聖なる山、伊吹山です。
初期ヤマトの英雄、ヤマトタケルは、伊吹山の神を無視したことで遭難し、命を奪われました。この話は、息長氏によるヤマト王権の簒奪を暗示していはしまいか。
つまり、沖縄の卑弥呼の末裔が、ヤマトをうばいとった。
だから日本書紀は、さりげなくそのことを正史として暗示した。
では、神功皇后の諡である、タラシは何を意味するのか。
聖徳太子の派遣した遣隋使は、わが国の王の名前を、アメタラシヒコと告げています。
中国の史書に登場する倭国の最古の王は、卑弥呼と壹与の二人の女帝です。彼女らの末裔の王としての意味がこめられていないだろうか。
邪馬壹、の母音をとりだすと、a-a-i。
タラシの母音をとりだすと、やはり、a-a-i。
だから、どうした?で、やめときます。
中山寺縁起
聖徳太子と神功皇后には直接の関係はありません。神功皇后は仲哀天皇の先の妃である、大中津姫(大仲姫)とその皇子を滅ぼします。なぜか、聖徳太子に大中津姫からの夢告があり、母子が眠る地に寺を建立します。そう、兵庫県宝塚市の中山寺の縁起と語られています。
神功皇后による初期ヤマト王権から、いわゆる河内王権への移行は、巨大な謎です。聖徳太子は仁徳天皇ゆかりの荒陵(あらはか)に四天王寺を建立しながら、どのように歴史を理解していたのか。
神功皇后により殺害された皇子とその母后を供養する寺を建立する、という話は、心かきみだされるパズルです。
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