見出し画像

八百屋お七と呪いの振り袖

なんで?

八百屋お七、振り袖でなぜハシゴを登る。

お七の放火は、ボヤで終わったようです。大火になった、というのは後世の創作。

にしても、なんで振り袖でハシゴを昇る。

お七の恋路に、うっとりしながら、なぜハシゴに登る?

振袖を着てハシゴをのぼる、このお七のイメージを追跡したら、とんでもない歴史にぶちあたる。日本社会の性的タブーの本音と建前のはざまに苦しむ少女。そして、江戸幕府の都市計画に利用された大火。

八百屋お七。概要。

お七、数え17歳の恋の相手は、18歳の佐兵衛。寺小姓(てらこしょう)であった。寺小姓とは、実は住職の男色の相手をする性奴隷である。時に、美少女を男装させ寺に住まわせることもあった。

左兵衛は性の手練れの男。住職に支配されている。大人の世界では知られていたかもしれないが、お七は知らずに寺の裏の快楽の世界に巻き込まれてしまったのではないか。


お七の事件は、1683年。人々は、これを1657年の、明暦の大火に結びつける。明暦の大火は世界史に残る、江戸を壊滅させた都市火災だった。その出火原因から、振袖大火、とよばれる。

ある振袖が、所有者の少女を次々病死させる、呪いの振袖と噂された。本妙寺で加持祈祷を行い燃やそうとしたら、火のついた振袖が風に舞い上がり、本堂に着火。そのように出火原因が本妙寺により語られ、振袖大火とよばれる。

真の原因は不明である。幕府には秘匿すべき理由があり、本妙寺に命じて作話させたのではないかと推測されている。


呪いの振袖は、寺にとりつき、江戸を壊滅させた。

お七は必ず振袖姿で描かれた。怨念をこめた、呪いの振袖である。

放火は、実際はボヤですんだが、物語では大火となり、慌てたお七は振袖姿のまま半鐘を鳴らそうと、ハシゴにとりつく。


大人たちは、お七に同情した。奉行は、お七に、お前は歳は15だなと、何度も問いただす。15歳ならば死罪火炙りはまねがれ、流罪ですむ。しかし、お七は、17歳だと頑としてゆずらない。しかたなく、火炙りの刑が執行された。

その煙が立ち上るのを見て、江戸市中は念仏の声に満たされた。

南無阿弥陀仏。

女子禁制の一部仏教宗派の裏に、ごく自然に同性愛を含む性的快楽の世界が存在したことは、日本社会ではあたりまえであった。寺を支配する僧侶の愛人である青年を愛してしまった少女が、その葛藤に耐えられず発作的にボヤをおこす。世間も奉行も何とか少女をたすけようとしたが、少女は火炙りの極刑をのぞむ。

お七の物語は、切なく、不可解です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?