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皆さん知らずに踏みつけて行かれる史跡です

見出し写真は、鎌倉時代の一辺絵伝に描かれた亀井堂と阿迦井屋形。

平安時代末まで亀井水は野外の施設でしたから、これが最初の亀井堂でしょう。阿迦井屋形との比較で、お堂というには小さなものです。亀井と影向井のふたつの石槽を囲っただけの、亀井水を保護するための小屋でしょう。

今回は、昭和の戦前まで亀井堂とともに再建を繰り返し、戦後放置された、阿迦井屋形の礎石をご案内します。

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四天王寺にお詣りされても、亀井水を知らずに帰られる。もったいない。

亀井水を見ても、亀形水盤に気がつかない‼

そして、阿迦井屋形礎石を、なんの疑問もなく踏んで去る⁉私も亀井水の文献調査するまで、気がつきませんでした。これ、立派な史跡なんです。

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四天王寺閼伽(あか)井屋形あと、礎石。

昭和20年の空襲で焼失。戦後再建せずに、井戸枠も切り取られ鉄板でふたがされている。井戸の水位は亀井水の出水口とおなじだから、水面には手がとどく。

平安末の「玉葉」には、「余覧亀井、次見閼伽井」と参拝記を記す。覧と見の使い分けが注意をひく。閼伽井は普通の井戸で見を使う。亀井は特殊なもので覧を使う、ということでしょうか。

中世、江戸、明治と、亀井堂の横に必ず画かれてきた閼伽井屋形でしたが、戦後放置されたのは、これも歴史の忘却である。


閼伽井は、どのお寺にも必ずある。日常の神仏へのお供えの水です。

アカはサンスクリット語で水のこと。アクア、の語源でもある。

問題は、亀井のそばに、なぜ閼伽井を作ったのか。

同じ水でも、普通の井戸から汲むのと亀井水から汲むのとが、峻別されていたのでしょう。

亀井水から汲む水は、重要な法要、灌頂や経供養の水、貴賓をお迎えする時に用いられた。

亀井堂にお越しの折は、阿迦井屋形礎石も歴史ある遺跡として、ご覧下さい。

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