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四天王寺根本縁起の縁起

見出し写真は亀井堂から見る雪の境内。
思わず作曲?した歌。
🎵雪が降ってまちまっちろけ
     雪がつもってまちまっちろけ

四天王寺根本縁起の冒頭
まず亀井水の由来から書きおこす

1007年8月1日四天王寺金堂の金の六重塔内部から、僧・慈蓮が発見した、とされるのが、聖徳太子の手印を押した、四天王寺御手印縁起です。

当然のことながら、これは聖徳太子直筆の本物ではなく、創作でしょう。

しかし、1007年の文献として、重要な資料に間違いありません。

その冒頭、霊水と龍神の説明から、書き出しています。

つまり、もし聖徳太子直筆の縁起があるとすれば、この霊水がいの一番に語られるはずだと、当時のお坊様は推測した。

麗水東に流れる

と、亀井水のことに間違いありません。

白石玉出水と号す

とあります。

亀井水の元の名前は、白石玉出の水、と断定していいのでしょうか。


1031年。

一条天皇の正室、藤原道長の娘、彰子は、四天王寺に参詣し、亀井の水、と歌に詠みます。

#亀井水古典文学選


さて、亀井、という名の起源はいつでしょう。

仮に、1007年の時点で、亀井と語られていたとしても、御手印縁起の作者は、歌枕としての亀井という名称は新しく、聖徳太子が使用するわけがないと、白石玉出の水、というどちらかというとありふれた名前を創作したのかもしれません。


天台、真言、両密教により一段と土着化が進み、かつ教義が高度化した、平安時代の仏教です。いつしか、四天王寺は天台比叡山の末寺となります。政略的に、四天王寺の権威を高める必要があるから、聖徳太子直筆の縁起が創作されたのでしょう。

というわけで、亀井、という言葉の起源はいつか?白石玉出の水、という名称は真実か?

わかりません。

また詳細に論じたいと思いますが、おそらく唯一聖徳太子本人の短歌にまちがいない、死を前に、先に亡くなった膳(かしわて)夫人に捧げた遺言歌の、とみのいのみず、が亀井水のことではないかと、推理しています。

トミ、という言葉の由来は、大変重要な、ニギハヤヒ以前のヤマトを示すのではないかと推理されます。畿内以東をゆるやかに支配していた、蝦夷。そこに、西から進出してきたニギハヤヒとの協力で、この国が徐々に形成される基礎ができた。
だから、トミ、は特別な言葉であり、四天王寺の聖なる水にふさわしいであろう。

歌の歴史に、聖徳太子信仰の姿を追う、約1万字の原稿「歌の翼に」、現在清書ちゅう。

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