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浄土真宗と亀井水

浄土真宗、本願寺と、亀井水


1*親鸞、慈円と亀井水

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親鸞晩年の和讃は、その思想の到達点を分かりやすく示した重要な経典です。

「皇太子聖徳奉讃」より


この地に七寳をしくゆへに

  青龍つねに住せしむ

  麗水ひむがしへながれいず

  白石玉出水といふ


慈悲心にてのむひとは

  かならず法藥となるときく

  令旨を信ぜむひとはみな

  ながれをくみてたのむべし


亀井、といふ愛称は、平安の歌人たちにより生まれたものです。それまでは、白石玉出水、と記録されています。しかしこれでは長すぎて、歌に詠みにくい。亀形水盤だから亀井と詠む。亀井は歌枕として無数の歌人に愛されました。


親鸞は九才で、慈円から得度を受けます。慈円は別当として何度か四天王寺の経営に尽力しています。歌人としても親しまれている慈円、その歌。


舎利廣流布

末の世に亀井まてすむ影にてそ

      広くしきける光とは知る

故郷の鶴のはやしに入月の

      わくる光は亀井にそすむ

身を分けて鶴のはやしを出でしより

      亀井にうつる有明の月


あまり知られていないことですが、四天王寺では舎利供養が毎日欠かさず行われています。一般参拝者も自由に参加、功徳をいただけます。四天王寺の最重要な信仰といえます。

慈円はその由来を亀井水に見いだすわけです。

お釈迦様が入滅されるとき、林の木々も悲しみに色を失い立ちすくむ鶴のように見えた。その鶴のはやしを照らしていた月が、亀井水に映っている。

仏の教えを伝える亀井水。その水の輝きは仏の御光そのものの証しである。

美しい情景です。

この歌から重要な事実がわかります。

慈円の時代、亀井水にはお堂はなく、空を映す野外の施設であった。


2*亀の甲の井戸。東本願寺庭園。

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本願寺と四天王寺の関係の証しかも⁉


甲羅のない亀の造形。亀井の類例?


東本願寺庭園、渉成園、にある亀の甲の井戸、です。ちいさな浅い井戸の回りに石を並べ、亀の姿にしてあります。

甲羅がなく、背に水をたたえる。大きさも、四天王寺の亀井に近い。

石山本願寺の時代、聖徳太子信仰を介して四天王寺との交流はあったでしょう。

この亀の甲の井戸を、亀井水関連遺産とみなすべきか、ちと迷います。


東本願寺関係者の方、ぜひ、アドバイスを。

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