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「PRO Select」の名前の由来

2006年、ノースキャロライナまでシカゴ経由で行った理由は、Kurt Degenerに会いに行くためでした。彼は「AVIA Composites Inc.」の社長でシャーロットに住んでいました。
いつものことながら、確約も取れないままホテルもレンタカーも手配せずに、飛行機の時間だけを伝えての訪問でしたが、空港に自ら迎えに来てくれていました。Kurt とは10年以上の付き合いですが、会うのはこれが初めてでした。Kurt は空港から北西に車で約1時間。ヒッコリーという町に、2匹の由緒正しきシュナウザーと500のメルセデス、8気筒のクアトロと一緒に住んでいました。彼は生まれもアイデンティティーも、根っからのドイツ人のドイツ系アメリカ人です。

AVIA社は世界有数のオールカーボンシャフトを作るメーカーですが、その前身である「AFC」の方が知っているアーチャーはいるかもしれません。1989年にダレル・ペイスが来日した時にヤマハカップで使っていた「EXACTA」という矢を覚えていますか。その後1990年からヤマハが日本総代理店となって、販売したオールカーボンアローです。
Kurt がAFC社と関係を持つのは1987年のことです。1970年代、ヤマハ発動機のアメリカ現地法人に勤務し、スノーモビルの設計やテストに従事していた関係で何度か来日しているのですが、ヤマハを辞めた後、1987年にAFC社長から電話があり、それを機にAFCに移ります。

AFC自体はすでにシャフト作りのノウハウも実績も十分に持っていたのですが、ここでKurt が行ったのがアーチェリーシャフトの品質向上とコストダウンのために「スポーツカイト」(凧)の分野に新たに参入することでした。これが成功し1992年、彼はAVIA社を興し独立します。実はAVIA社の生産と売り上げの約80%を占めるのは、航空産業と自動社産業に対するカーボン素材の供給です。残りがスポーツカイトや玩具、ホビーといった分野であり、アーチェリーシャフトは全体の10%にも満たないのです。これらは、全世界に輸出されています。そしてこれらのカーボン素材の基となるカーボン繊維は、もちろん日本製です。
そこで作っていたカーボンシャフトの1モデルが「PRO Select」でした。その後、縁あってこの矢をテストすることから、日本でAVIAのシャフトを販売することになります。そして「PRO Select」の名前が気に入って使わせてもらい、屋号ともしました。
しかし、2010年にKurt は年齢を理由に、AVIA社を売却しドイツに返ってしまいます。そして、今残っているのは、「PRO Select Project」です。

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