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「美しく射つ」ということについて

どうして分からないのでしょう? それとも、分かっていながら分からないふりをしているのですか? いや、もうそんなことはどうでもいいくらいのところまで来てしまったのでしょうか。
その昔、日本にはたくさんのマッキニーやペイスがいました。その前にはジョン・ウィリアムスやハーディー・ワードといった世界チャンピオンがいました。それがどうでしょう。今、試合場を見渡しても、いるのは平気で押し手を落としてシュートするアーチャーたちばかりです。それもひとりやふたりではありません。これから日本を支えていかなければならない学連諸君を例にとれば、そのほとんどと言っても言い過ぎではないでしょう。誰がいつからこんなことを始めたのでしょう。そしていつの間にこんな射ち方が日本中に蔓延してしまったのでしょう。
今一度質問させてください。「あなたは押し手を落として当てる世界チャンピオンを見たことがありますか?」「本当に弓を当てるということを知っていますか?」

Darrell Pace
1976 1984 Gold Medalist

1984年ロサンゼルスオリンピック、10年間続いたダレル・ペイスの栄光の時代は、この時のゴールドメダルを最後に終わりを告げました。ペイスの時代にとどめを刺したのは、4年後のソウルオリンピックのゴールドメダリスト、ジェイ・バーズでしょう。
彼は細身ながら180センチの体格といい、ルックスを含めたスター性から言っても、次代を担うチャンピオンでした。しかし、この時気付くべきだったのです。バーズは「新しい」アーチャーではなく、リック・マッキニーと同類の、ペイスを目指し彼に憧れ育ってきた、古いタイプのアーチャーだということを。それが証拠に、バーズはソウルの後、2度の世界フィールドこそ制したものの、世界ターゲットとは全く縁がなく、1992年のバルセロナでもフランスの18歳の新しいゴールドメダリストに1回戦敗退の屈辱を受けています。
バーズがペイスのように勝ち続けられないことに対し、グランドラウンドの導入やオリンピックのたびに大幅に変更されるルールの問題を指摘する人は多いかもしれません。しかしこのようにルールがはっきりしない過渡期だかれこそ、バーズのようなチャンピオンの登場が許されたのです。
セバスチャン・フルート、1992年バルセロナオリンピックのゴールドメダリスト。印象も鮮やかに、今度こそペイスを知らない、「新しい」アーチャーの時代が始まったのです。世界インドア、ラスベガスシュートを制覇し、地元ではF1レーサーと共にテレビに出演する国民的英雄。寡黙ながら自信過剰とも思える発言と態度。しかし、予想通りフルートも勝ち続けられません。この現実こそがアーチェリーに対する資質と技術の問題なのです。

1988年、バーズが世界の頂点に立った時、その技術論を語って欲しいと雑誌社から依頼を受けました。その時バーズが勝ち続けられない理由と共に、彼の写真のネガを反転させて、右射ちのペイスのシューティングと並べてほしいと希望しました。今さら言うまでもなく、バーズは初めての左射ちゴールドメダリストであり、フルートはそれに次ぐ2人目の左射ちゴールドメダリストです。
彼らの射ち方をペイスと比較してください。100の言葉で語るより一目瞭然のはずです。ペイスの偉大さとバーズ、フルートが勝ち続けられない理由が分かるはずです。完成度が違うのです。そして美しさが違うのです。

          Jay Barrs  1988 Gold Medalist
Sebastien Flute  1992 Gold Medalist
                                1993 World Champion

フルート以降の、あるいは1991年世界チャンピオン、フェア・ウェザー以降のある種のアーチャーに対し、彼らのことを「新しい」タイプのアーチャーと呼んでいます。この種のアーチャーは彼らの出現以後、急速に日本国内でも現れています。しかし、「新しい」タイプのアーチャーを定義づけするのは簡単ではありません。それは若いということや、ただ単に速くクリッカーを鳴らすことができるといった単純なものではないからです。
しかし、あえて「新しい」ということを、「速く射てる」と置き換えて考えてみましょう。そこでやってみると分かるのですが、速く射つというのは、やろうと思って誰にでも簡単にできることではありません。それができるアーチャーは、速く射つことに対して、持って生まれた才能のようなものを持っています。最近でこそ、コーチは速く射つことを積極的に指導します。しかし、それに応えられる選手はそうたくさんはいないはずです。ましてや、速く射ててかつ美しいフォームとなると、美しいフォームで当てられるのと同じくらいに少ない数になってしまいます。

Simon Fairweather  1991 World Champion

速く射つことは、古いタイプのアーチャーには簡単に獲得できない領域に属する技術なのです。この技術はグランドラウンドやニューオリンピックラウンドに象徴される、過度の緊張の中から必然的に生まれてきたものです。考えて射つこと、頭で身体を動かすことは、オリンピックでなくとも6射4分のルールの中ではもう過去のものとなってしまったのです。そこで要求されるのは、パワーであり、不安を差し挟む余地のない確信です。そしてこれにカーボンアローという、エイムオフなどという技術を必要としない道具が加わった時、勘違いが始まりました。
この勘違いは最近、無条件にリングサイトへの傾斜を深める流れにも似たもです。1972年、ミュンヘンオリンピックでジョン・ウィリアムスは、サイトピンなしのフードだけのサイトとダクロンストリング、アルミアローで1268点の世界記録を樹立しました。あれから20年が過ぎ、目指す世界記録も1350点へと向上しました。しかし実際には1370点を意識の中に置き、それを現実の点数にするためのアプローチがなければ、確実にメダルを手にすることはできません。このことはカーボンアロー、高密度ポリエチレンストリング、カーボンリムなどの最新鋭の道具を駆使し、かつ、そこにリングサイトの生理学的メリットに着目したとしても、過度の緊張の中での不安の解消という消極的メリットを追求する限り、現実の点数は残念なことに1350点が限度でしょう。このことは1370点へのステップとしての1350点ではなく、とりあえずの1350点こそが最終目標となっていることを表しています。
同じことがバーズ以降の技術的変化の中にも現れているのです。1370点のための技術ではなく、9射あるいは12射を1350点程度のシューティングでこなすこと。このとりあえずの課題が、世界の多くのアーチャーから「美しく射つ」ことを見失わせてしまったのです。そして1987年以来、世界の舞台での予選通過が困難になって久しい日本のアーチャーにとって、国内予選通過こそが最大の命題と化し、「うまさ」が「美しさ」を駆逐する結果に拍車をかけたのは当然の帰結なのかもしれません。

John Williams  1971 World Champion
                    1972 Gold Medalist

昔、日本中に世界チャンピオンのコピーが氾濫していたころ、その是非は別にして、日本のアーチャーの目標は「世界」でした。そこに到達したいという情熱こそが、多くのコピーを生み出したのです。しかし考えてみると、日本に初めて世界チャンピオンが来たのは、1970年のハーディー・ワード、次は1974年のジョン・ウィリアムス、そして1978年のダレル・ペイスと続きます。しかし、あれほどの影響を与えたコピーの対象を日本のアーチャーが目の当たりにすることは稀でした。
それがどうでしょう。今は日本に居ながらにして、世界の技術を観ることができます。にもかかわらず、我々のアーチェリーはその恵まれた環境とは逆に、どんどん世界から離れ、取り残されようとしているのです。
押し手を真っ直ぐに残さなくても、カーボンアローと「ほんの少しのうまさ」があれば、1270点や1280点は出ます。しかし今、20年前の話をしようというのではありません。現に今年の世界選手権では、オープンラウンドの予選通過点が男女ともに1280点を超えています。押し手を落としてメダルをくれるほど、世界は甘くはありません。

1370点のための資質と技術は何でしょう。「うまさ」は技術もさることながら、それは素質の部分に含まれるような気がします。射つ瞬間にサイトピンを見極める能力であったり、そのズレを瞬時に修正できるような本能的なものです。
そこで、ここであえて「資質」という言葉を使ったのは、1400点に近い点数になった時、そこにはもっとスポーツの根源的なものが含まれると考えるからです。同じ能力、同じ資質を持つ者なら、パワーの勝る者が勝つ。力が同じであれば、体格の勝る者が勝つ。老いた者は、若者の前では屈する。それらは小手先の技術やキャリアでは如何ともしがたい、世界の頂点に歴然と存在する弱肉強食のルールです。
バーズは資質と、何よりも若さでペイスを退けました。しかし「新しい」アーチャー、フルートの前には時代を築くには至りませんでした。さりとて、170センチ、美しさと迫力を感じないゴールドメダリストに女神は微笑み続けてはくれません。ロジャース、ワード、ウィリアムス、そしてペイスが30インチの矢で時代を切り拓いてきた前では、カーボンアローであっても28インチに満たない矢は、道を譲るのです。

Kim Soo-Nyung 1988 Gold Medalist
                                1989 World Champion
                                1991 World Champion

1992年バルセロナオリンピック、女子決勝ラウンドの12射を観たはずです。シューティングマシンのようなゴールドメダリスト、キム・スーニョンが敗れた瞬間です。しかし、残念なことに素人目には的面でのミスに反して、彼女はいつものようにシューティングマシンのようなシュートをしました。
韓国の機械のようなチャンピオンに勝つチャンスは残されています。人間が機械を超える可能性、それこそが「大きさ」であり「力強さ」「迫力」であり、それから生み出される「美しさ」なのです。
速く射つことも、カーボンアローも、今の状況には必要です。しかしそれを駆使して何点が出るというのですか。1250点ですか、1270点ですか。それはアルミ矢で20年前に射っていた点数です。1300点ですか。それも10年以上前の点数です。小手先の技術と最新の道具にすがった結果がこの現実です。
どうでもいいのなら、分かる必要はないでしょう。しかし、もしまだ憧れが残っているのなら、今こそ原点に立ち返らなければなりません。
「美しく射つ」ということについて、もう一度考えてください。そしてその感動を思い起こしてください。(抜粋)

これは雑誌「アーチェリー」に書いた、1994年3月号の記事です。ちょうど30年前のお話です。今、これを読んでどう思いますか?

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