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John C. Williams
1971 York World Championship
1972 Munich Olympic
1972 Gorizia World Field Championship
オリンピック、世界選手権、世界フィールド。史上このトリプルクラウンを制したのは、彼とダレル・ペイスの二人だけです。
そこでもう一つ、ヤマハの表4広告のお気に入りを忘れていました。それにしても「美しい」と思いませんか。これが世界チャンピオンという存在です。
Smooth
![](https://assets.st-note.com/img/1718518208441-F1gcQQscAL.jpg)
コピーを考えて、撮影も立ち会ったのですが、
後ろにビニールロープが写り込んだのは、ゴメンナサイです。
ジョン・ウィリアムスは3度目の世界選手権選考会を前に、1973年突然プロ転向を宣言をします。厳格なアマチュア規定がある時代では、異例であるとともにアーチェリーにおける初めての試みでした。アマチュアの世界ですべてを手に入れた彼にとって、新しく求めるものがあったのでしょう。
彼が契約したのは、ボウリングで有名な AMF でした。当時 AMF は Wing Archery を傘下に収め、スポーツ分野に幅広く展開していました。しかし、Wing は彼の名前を冠した廉価版モデルを発売したものの、AMF がそれ以上の情熱をアーチェリーの世界に注ぐことはありませんでした。
そこで1981年、ヤマハは彼と新たな契約を結びます。アメリカでのプロモーションと製品開発が主な目的です。そして6月に初来日した際、この撮影を「つま恋」で行いました。場所は、開園当初からあった元々のアーチェリーレンジです。彼とは1976年の全米選手権以来の友だちですが、この時も実は秘密裏にヤマハが進めていたカーボンアローのテストを浜松で一緒にした後の練習を兼ねての撮影でした。
Fast
![](https://assets.st-note.com/img/1718518544358-STmyDBHWGl.jpg)
Relax
![](https://assets.st-note.com/img/1718518615484-iSKyftCUx2.jpg)
Cofidence
![](https://assets.st-note.com/img/1718518685750-XoHxi1aV3a.jpg)
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