見出し画像

ホイットおじさんの「Hoyt」終わる

あなたの使っているハンドルの長さは、「何インチ」ですか?
多分、「25インチ」ハンドルです。
では、Hoyt 最初のテイクダウンボウ「TD1」から、その後の「TD2」「TD3」までの10年、これらのハンドルの長さは、何インチだったでしょうか?  知らないでしょうが、すべて「24インチ」ハンドルです。今のハンドルより、1インチ短かったのです。
まだハンドルとリムに互換性がない時代、Hoyt によって24インチハンドルは、世界のスタンダードとなります。そしてHoyt は、24インチハンドル1サイズに対して、リムを3サイズ。S/M/Lを組み合わせることで、66/68/70インチの弓を設定しました。66インチより短い、ショートボウはまだありません。
そこでヤマハも、24インチハンドルを基準とするのですが、ヤマハの開発コンセプトの基本にあるのは、「日本人によって世界を制覇する」ことです。そこでHoyt のハンドル1サイズに対して、ヤマハはハンドルを2サイズ設定します。「24インチ」をショートハンドルとし、これとは別に、「26インチ」のロングハンドルを世界で初めて登場させたのです。
24インチハンドルに、S/Mのリムを組んで64/66インチ。26インチハンドルにM/Lのリムを組んで68/70インチと設定したのです。これがヤマハの基本仕様であり、「Ytsl」から「YtslⅡ」「EX」「Eolla」まで、すべてのモデルに引き継がれます。

ヤマハはリムの性能をより発揮できるように考えました。

ヤマハは、日本人の体格を考慮して、リーチ、ポンド数で優る外国人選手に対抗しようとしました。同じドローレングスなら、リムのたわみをしっかりとり、矢速を上げ、効率良く、弓の性能を最大限発揮できるようにしました。68インチより長い弓では、Hoyt よりハンドルは長く、リムは短くして、組み合わせたのです。この発想は、アルミアローの時代において、非力な選手だけでなく、欧米の選手においても大きなアドバンテージとなり、受け入れられました。

1977 Canberra World Championship

その結果、1977年キャンベラ世界選手権でヤマハは、Ytsl で男子1位Rick Mckinney、2位 亀井 孝、女子1位Luann Ryanでタイトルを獲得。初めて世界の頂点に立ち、その後も破竹の勢いで世界を制していきます。1979年ベルリン世界選手権女子優勝。1981年プンターラ世界選手権男女優勝。オリンピックでは、4大会連続金メダルを獲得し、1992年バルセロナオリンピックでは、女子金、銀、銅、男子は金メダルを獲得しました。

1984 LosAngels Olympic Gold Medal
Seo Hyang-soon
YAMAHA EX

1975年からHoyt を追い続けたヤマハが、1977年に追いつき、1982年の「EX」でHoyt を完全に抜き去りました。そんなヤマハに成すすべがないHoyt は、奇抜なアイデアで反撃に出ます。それが1984年デビューの「GM」です。
しかしGMは、ホイットおじさんのアイデアというより、1983年にHoyt を買収したEASTONのハンドルです。EASTONは矢においては専門家ですが、弓においてはまったくの素人でした。矢で独占状態のメーカーは、弓においては、プライドを持ち合わせていませんでした。

1984 LosAngels Olympic Bronze Medal
Rick Mckinney
HOYT GM

それが証拠に、GMの外観はEX をコピーしたと言われても仕方がないほど、そっくりなハンドルです。こんな節操のないことをホイットおじさんなら、絶対しないでしょう。
そしてこの時、EASTON はプライドとともに、Hoyt が作り出した世界標準「24インチ」ハンドルを捨てたのです。GMは、ヤマハのショートハンドルとロングハンドルの中間にあたる、「25インチ」というイレギュラーなハンドルを作ったのです。リムでカーボンという先端素材を駆使できないHOYT は、単純にハンドルを長くすることで、リムのたわみを大きくとり、安易な方法で矢速を上げました。しかし、最大の狙いはそれだけではありません。
ダイキャスト製法の金型には、多額の費用がかかります。そこで、ヤマハの2サイズハンドルを真似るのでなく、「25インチ」ハンドル1サイズですべてをカバーし、コストと在庫を抑えることを考えたのです。

そしてもうひとつ、大きな過ちを犯します。ちょうど3年前、「TD3」で初めて導入した、「ティラーハイト調整機構」を「GM」では、ポンドまで変更できる幅を持たせたのです。この時生まれた、「ポンド調整」と「互換性」は今ではアーチャーにとって使いやすくメリットのあるシステムのように思われています。
しかし、これは弓メーカーにとっての利便性から作られたものであり、決してアーチャーの要望から生まれたものではありませんでした。これによって、メーカーは「ポンド調整機構」に合わせて、リムのポンド表記を「2ポンド刻み」の偶数だけにしています。それまでのリムは、差し込み角度が不動なため、「1ポンド刻み」で、ティラーハイトも表示ポンドも、出荷段階でしっかり調整、管理がされ、ハンドルとリムには性能が宿っていました。ところが2ポンドを動かす差し込み角度の変更は、メーカーにとって、これほど都合の良い仕様はありません。これによって、メーカーもショップもハンドルだけでなく、リムの在庫も半分になり、品質や精度、性能までもが、ユーザーの調整に委ねられるという無責任がまかり通るのです。
ジム・イーストンの頭の中には、ビジネスしかありませんでした。
しかし、シルエットだけをコピーした「GM」は、発売後ハンドルの曲がりという致命的なクレームを起こし、金型変更などの対策に追われることになるのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?