空を飛びながら思う、文章が書けないということ

空を飛ぶことは、いつも新鮮だ。

飛行機という乗り物に慣れてきた最近は不思議な浮遊感の中眠ってしまうことも多いが、空気の揺らめきに何かが刺激されるのか、目が覚めている時はいつも何かしらの文章を書いている。この文章もその一つだ。

ところが、最近なんだか思うところが多すぎて、文章を書くこともままならない。
一つ一つは大したことではないし、日常生活にさして支障はない。芥川風に言うなら、死に至るほどでもない『唯ぼんやりとした不安』であり、好きなことであるはずの物書きに手が伸びないことがしばしばある。
もちろん、いつもなんとなく考えていることがないわけではない。記録しておきたい、ないしは吐き出しておきたいという出来事も感情もそれなりにあって、それでもはっきりとした文章を書くことがなかなかできない。

飛行機に乗っている時、いつもは書きかけのものか新しいものでもとりあえずすぐに手をつけることができるのに、どういうわけか今日は、書き出すまでにひどく時間がかかった。搭乗直前に飲んだコーヒーのおかげか目は冴えているのに、これは一体どうしたことだろうと考えて、そんなことを思った。
しかし、そんな思索を抱えながらもなんとかテキストアプリを開いて文字を打ち出す。ひとまず、文章を書くことがままならない、という文章を書くのだ。

書きたいことがうまく書けない文章は内容がまとまっていないから読むのも苦痛だと思う。
一種の記録欲とも言うべきか、何かしらの文章を書くことへの欲求は高まるのに、産まれるのは拙くて言いたいことがとっ散らかった散文以下の何か。
こんな時、誰が読むわけでもないようなそのひどい文字の羅列を見て、なぜかとても申し訳なくなってしまう。

散らかった言葉は起承転結もめちゃくちゃで、何を伝えたいのかわからない、下手くそな文章だ。
楽しかったゲームのレビューも、レイトショーで見た映画の感想も、おすすめされたドラマのよかったところも、出張帰りの飛行機の窓から見た夕日の色彩も、好きなひとへの当たり前のような恋慕の感情さえ、誰にも何にもうまく伝えられない。
心が動かされた時の感情を即興で声に出すことが苦手だから文章を書いているのに、それもできなくなったらいよいよおしまいだ。

本当に言いたいことをあまり言わない(言えない)人間である私が大事なことを表せるのはいつだってどこかに記す言葉なのに、それすら紡げないというのは何たるやるせなさか。
いっそ行き場のないぐしゃぐしゃの言葉たちを吐き出してもっとぐしゃぐしゃに丸めて、ゴミ箱に投げ捨ててしまいたい。
そんな状態なのに、伝えきれない感情ばかり際限なく湧いてきて、もう本当にどうしようもないのだ。

俗に言うスランプ、というやつなのかもしれないが、そんな大層な言葉を使えるほど文章を書いているわけじゃないので大言壮語が過ぎる。
では、書き言葉に一度起こさなくても自分の声で思っていることをそのまま魅力的に伝えられたら、と思うが、それこそないものねだりだろう。私の考えていることは話し言葉では余計にとっ散らかってしまう。

だから、今は文章を書くために必要なまとまった思考がない、ということを日記がわりに書いておく。

まあ、こんな思考も明日にはさっぱり忘れて、けろっとまた好きなことを書いていたいと考えているんだろう。
間抜けな私はそれでいい。それがいい。

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