でたらめエッセイプチ -盆に散髪、夏の色-
盆の頃、伸びに伸びた髪を伐採せんと美容院に来ているが、生憎作家という生き物には夏休みが無いのである。(念のため申し添えておくが、このエッセイはフィクションである)
美容院の鏡の前、髪を切っていようが染めていようがお構いなしにメールはやってくる。催促の通知が画面に浮かんでは消える。美容師の今日お仕事お休みじゃないんですか、という声に苦笑いしながら、今すぐにでもこの目の前のスマートフォンとかいう板を床に叩きつけたい衝動と戦っているのだ。
忙しさにかまけて放置していた頭頂部の髪がどんどん地毛に侵食されてプリン色になり、伸びた裾野もこれでもかと広がりあわや大惨事、ということになる前に美容院へと足を運んだわけであるが、そんなことは仕事相手には一切関係がない。
当然、本日は私は休暇であるし、そして世も盆休みであると事前に伝えている。しかし伝えようが何をしようが、連絡は来る。ブーブーと震える端末に巨大な溜め息が飛び出しそうになるのを堪えながら、鏡の中の己の苦悶の表情と向き合うしかない。
しかし、先日何の気なしに伸びた髪を眺めていたら白髪が記憶の数倍ほどに増えていた。怯えた私はその場で慌てて美容室を予約した。
まだそのような歳ではないくせに何を、と鼻で笑いたくなるが、事実なのでしようがない。未だ人生において大した苦労もしていないのに細胞は一丁前に死んでいくし、体は容赦無く歳を重ねていく。人間とはかくも哀しき生き物である。
そんなことを考えている内に、ツートンカラーと化していた頭頂部はたった一時間で目に柔らかな濃い茶色となった。染髪を重ねる度に、若気の至りは少しずつ鳴りを潜めていく。
だんだん穏やかになっていくグラデーションには、それなりの経験や時間が含まれているのだということにもまた同時に気づく。そこにさらに白が混ざり斑らになる頃には、一体どれほどの盆を超えているのか。まだまだ想像もつかないが、まだ学生だった時分に碌な経験もせずなんだかんだと宣っていたのを思えば、幾分かあの頃より大人になったとも言え、感じる加齢もまたかくや、ということかもしれない。
未だ方々からの通知に震え続けるスマートフォンと、己の頭から切り落とされた年月の死骸を眺め、大いなる意思によって夏毛を刈られる生き物のような心地になりながら、そんなことを思うのであった。
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