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私のゆる宗教観

宗教の話はタブー視されがちだが、お盆を前にして今日は敢えて。

私の生まれ育った家は無宗教である。
宗教があったが、いつの間にか信じなくなったとかではなく、父は戦争孤児なので、自分の親がどうだったかとか知らないのだ。
お墓もないので、彼岸も盆も何もない。

「神なんかいない。そんなもの信じるな。自分を信じろ」

幼児の私と姉にまで、こんな???教えを説いていた。
でも、日常生活では、
「神様にお願いしましょう」とか周囲の大人が言う。
そういうギャップを感じながら育ってきた。


結婚して、夫側の家は黄檗宗(おうばくしゅう)という、仏教のお寺の檀家だと知った。
そのお寺には先祖の墓もある。
お庭のきれいな小さなお寺で、実は意味はよくわかってないお盆の法要が毎年8月16日にある。
その時私たち家族は、お参りに来た檀家さんたちの、ふるまいのお手伝いをしている。
義父と義母がしていたことだ。
ふたりが亡くなってから、改めて住職に依頼され、私たちが引き継ぐことになった。

〇乞われて
〇他に誰もやる人がいない
〇自分がその日やるべきことがない

とあらば、お手伝いに参上致します。
結構疲れるのだが、達成感もある。
体育会系のお勤めである。
というわけで、「誕生日はお寺で」というのがコロナ前まで続いていた。

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↑↑このお弁当(普茶料理)は、住職が調理し、私たちが詰め合わせ、お椀そうめんを作り、お茶、お菓子などとテーブルに並べる。約80~90人分。
お彼岸はおぜんざいなどである。
もちろん無料である。
たまに檀家ではない人が紛れている。
小さいお寺なのですぐわかるのだ。
でも住職は「黙ってふるまってあげて」とおっしゃる。
デキたお方である。

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えー?仏壇が家に?

今年の我が家の一大ニュースである。
誰も住んでいない夫の実家の仏壇を、どうするかの問題。

最初はなんだか嫌だった。
仏壇じまいっていう方法もあるが、代々続いているものを自分の代で切るのも。。。。ね。

今はそういう人のために、小さいインテリアタイプの仏壇がある。
というわけで、コンパクトでおしゃれな仏壇がわが家に来た。
いまどき仏壇業界も苦戦しているようで、お店のお偉いさんもわざわざ来られて、米つきバッタのごとくあいさつしておられた。
いえいえ、そんなこちらこそー。
こちらも同じタイミングでバッタと化す。

仏壇が来たので、やることが増えた。
毎日水を変えて、炊き立てのご飯、お花、お菓子がある場合はそれも。
でも、意外にもいそいそやっている自分がいる。

「はーい、ご先祖様今日もよろしく~」と、実際会ったこともない先祖に挨拶してみる。

でも、自分に問うてみると、信仰心なるものは特にない。

自分の心持ちを確認する・・・というところだろうか。

近年、お寺探訪が、以前より心にしみるようになった。
年齢がそうさせるのか。
細かいこともわからないが、仏像一つ見るにも興味深くなった。

新年に書いた「今年やりたいことリスト」に、

★比叡山へ行く★

というのがあった。
5月に無事達成できた。

〇空海・高野山・金剛峯寺(子供には3Kセットで覚えてもらう)
〇最澄・比叡山・延暦寺
と散々覚えた中学時代。

数年前に高野山へ行ったので、比叡山にも行ってみたかった。
セットで習う両者だから、似ているのかと思いきや、全く似ていなかった。
実に興味深い(湯川学風)

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10日おき位に現れる感情
★書いている内容本当にこんなので良いのか問題★
下書きに色々あるけれど、昨日もまとめて推敲して・・・
「ぜんぜん面白くないや」とアップを断念。
連日投稿にこだわりはなく、とりあえず3か月位続けるのが目標。

今年もお盆のお手伝いはないので、誕生日を家で過ごせることは決まっている。
夫が何かしてくれるミラクルが起きるのかまたリポートしまーす。






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