・1日のターンについて

1日1ターンが限界な日?
1日複数ターン動ける日

何が違うのだろうか?
考えて行きたい

まずターンというのは、私にとって『風呂に入れた』もカウントされる。例えば『友人と食事にいく』『美容院の予約通りに行く』これで3ターンとなる。この1ターンには、当然前日からの準備を含むものや出かける前の確認動作(鞄の持ち物をチェックする)や、痛み止めなど薬の準備など。『準備』といった行為に疲れてしまうのだ。悪い想像が止まらなくなり、頭の中が疲れるとショートして後のことはどうでも良くなり寝込んでしまうという最悪の脳みその持ち主であるからこそ自分のクズさに呆れ果てている。

複数ターン動ける日というのが突然やってくる。でも、それを無理して続けるとある日寝込む日が来る。
なので数字を決めていく方が良いのか?
冷静に記録を取ってまずは分析する方が良いのか?

今日は生理痛が酷いから〜出来ない
今日は不安感が強いから〜できない

こればかりでは、周囲の信頼や社会への復帰は遅れるばかりであろう
いや、もう誰も待ってくれないかもしれない
年齢が若ければ『まだ若いから』で済むかもしれないが…..
良い年した大人がそんな事をしていたら『社会の荷物』として爪弾きにされてしまう

私ってよくそのつもりはないのに
『しんどいオーラ』を放ち周囲の人からの
『あー、休んでて!』『寝てたら良いよ』
このような言葉が出るのを待ち甘えているのかもしれない。

病気でいる事は事実だが、その状況に甘えて『病気』『発達障害』『生理』を盾にしてないか?
どんな人だって病気には「いつか」かかるし、生理は女性にとって自然なことだ。

それを利用して『何もしない理由』をただ作っているのは自分では??

じゃあ、どうしたら自分は動けるのか?
どのやり方でなら闘えるか?
そろそろ『それ』真剣に考えないと
もう元には戻れないのではないか…..

電気をつけるのも億劫になり、食事も入浴すらも面倒で一切外に出れなかった期間があった。
隣の部屋の生活音に苛立ち、ひたすらスマホを眺める。私の人生と隣の住人の人生何が違うのか?なぜこんなにも他人と差がついているのか?苛立ちと悔しさがあるのにも関わらず、部屋からは出られない。

あの暗闇の部屋の中に1人で、ただ1人きりで何もせず一日中布団の中で寝ることしか出来ない生活をするのにも限界があった。
心が死ぬのだ。

『あれ?私は何もしたくなかったのじゃないのか?仕事しなくても生活出来てる。一日中好きなことに時間を使えるのに???なぜ何もしないを選んだのか?何もしないのにも限界があるのか?』この考えが頭をぐるぐる回っていた。
ある日気が付いたのだ。何もしないということはの答えを….

『何も辛いことも嬉しいこともない。』

最近思う、辛いことを感じるのは『嬉しいこと』を知っているから。

そう、辛いことも嬉しい事も無いと心は死ぬのだ。

辛いことばかりで実際死にかけた事はあったが、後で嬉しいと感じる心を取り戻せた。

しかし、何もしないと何も生まれないのだ。

傷ついた時のリカバリー、自分の闘い方、自分の武器
これをしっかりと理解して戦略を練っていかないと人生負けたのも同然

私は自分の人生に負けたく無い

夢がある

まだぼんやりとした夢だけど、絶対に自分に負けるわけにはいかないのだ


本日の曲紹介
サクラメリーメン
『ロングロードオデッセイ』
高校受験の時に良く聴いていたアルバムの最後の曲。あの頃夢に向かって志望校合格の夢を叶えた私と今の私は同一人物なのか?
努力をすれば叶えられる経験をしたから満足して怠惰になったのか?燃え尽き症候群なのか?わからない。いつまでも学生気分ではいられない。私はもう良い大人なのだ。自分の人生に誇りを持てるよう進むしか無いのだ。

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