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この有機的な世界では、僕らはまず生きていないといけない -4-

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大学の授業があまりに退屈だったから、いつの間にか深い眠りに落ちていた。チャイムの音で目を覚ましたとき、頭は鈍く痛み、身体中はけだるかった。

教室の外は人の流れが早すぎた。そこへ急に放り出されたものだから、僕はまるでエンジンがかかりきらない車のように、廊下の隅にぼんやりと立ち止まった。

とりあえず、ゆっくりと歩きだすことにした。どこへ向かうわけでもなく、何を考えるでもなく、ただ少しずつ身体と頭を動かしていく。そうやって、外の世界の回転数を、徐々に自分に合わせていった。

校舎を抜けて外へ出ると、街にはちょうど夕陽が差し込んでいた。校舎は赤く染まり、庭のモミの木の影が芝生に長く伸びていた。その先に見える東の山のふもとの街は、ひと足先に夕闇の哲学的な暗さをまとっていた。風はすっかり落ち着き、空にはひとかたまりの大きな雲が、音もなく停泊していた。

向かいにある図書館まで、僕は夕陽をいっぱいに浴びながら歩いた。そして、手前のクスノキの下のベンチに腰を下ろした。時計台の白い針は4時25分を指している。白い針がゆっくりと進むのをぼんやりと眺めた。いつもなら、この時間は授業やらアルバイトがあるのだが、今日は何も予定がない。ただ、キャンパスの風景が、刻一刻と色合いを変えながら目の前を通り過ぎていく。

友人たちの何人かが通りかかり、僕に気づいて手を振ってくれた。僕もそれに軽く手を振り返す。中にはわざわざ近寄ってきて、「何してるんだ?」と聞いてくる人もいた。

「ただぼんやりしているだけだよ」と答えると、「変な奴」と言って去っていく。あるいは、「就活は大丈夫?」と心配されることもあった。そんな時、僕はふざけて夕陽を指さし、「見ろよ、燃えているあかね雲~」と歌う。

「何それ?」

「『こち亀』のオープニングだよ。『その内なんとか、なるだろう~』ってやつ。」

「知らないよ、それ。」

「なら仕方ないね。」

すると結局また、「変な奴」と言って去っていく。

やがて、夕陽は西の空へと追いやられ、東からじわじわと夕闇が迫って来た。風が吹き始め、重さを増した雲がゆっくりと動き出す。いつの間にか当たりの気温もぐんと下がっていた。僕は立ち上がって、腰を大きくそらした。バキバキと嫌な音がする。人が去り、すっかり静かになったキャンパスを、僕は再び歩き始めた。

校門を出て左へ折れ、少し歩くと地下鉄の駅がある。階段を降り、券売機で二駅分の切符を買って、改札を抜け、さらに階段を下りてホームへと向かった。この時間の地下鉄はそれほど混んでいない。電車を待ちながら、僕は友達にメッセージを送った。彼は僕ほどアルバイトに忙しくないので、今日の夕方もきっと暇なはずだ。

"これからスタバに行くけど、一緒にどう?"

電車を降りて改札を抜け、階段を上がっている途中に返信が来た。
"いいね"
そして、続けてもう一通。
"これから向かう"

彼のマンションは街の中心駅から徒歩5分のところにある。およそ持て余しそうな広い部屋に、彼はたった一人で住んでいる。周囲にはデパートや書店、レストランが揃っていて、もちろんスターバックスもある。彼にも支度があるだろうから、僕は先に店に入って待つことにした。

通り沿いのスターバックスは混んではいたが、席はまだ空いていた。wi-fiを拾って、少し値の張るラテを飲みながら音楽を聴いて過ごす。店はよく磨かれたガラス張りで、外の景色に重なって店内の様子が映り込む。その上をタクシーが赤いライトを焚きながら通り過ぎて行く。該当だけがじっと静かに立っていた。外はもう夜になっていた。

集中して本でも読めそうな気がして、バッグから読みかけのハードカバーを取り出した。しおりが挟まれたページを開き、前回の続きを探す。最後に読んだのはいつだろう?僕は思い出せなかった。きっと、一カ月はバッグの底で眠っていたに違いない。しかし、それでも構わず読み始めた。なぜならこれは読書だからだ。僕が求めているのは情報ではなく、雰囲気と感覚なのだ。

1ページ、2ページと読み進めるうちに、意識がすっと文字の世界に溶け込んでいく。イヤフォンから流れる音楽が遠のき、文字たちがリズムを刻み始め、そこに生まれる時間の流れに身を任せる。いつの間にか向かいに誰かが座ったことにも気づかないほど、僕は深く自分の世界に入っていたらしい。それは言うまでもなく、実に素敵なひとときだった。

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