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文体の舵をとっている9

問四:潜入型の作者
潜入型の作者のPOVを用いて、同じ物語か新しい物語を綴ること。(文字数:700~2000文字)

問四では、全体を二〜三ページ(二〇〇〇文字ほどに)に引き延ばす必要が出てくるかもしれない。文脈を作って、引き延ばせるものを見つけ、そのあとを続けないといけなくなる場合もあるだろう。遠隔型の作者は最小限の量に抑えられても、潜入型の作者には、なかを動き回るだけの時間と空間が必要になってくる。
元の物語のままではその声に不向きである場合、感情面・道徳面でも入り込める語りたい物語を見つけることだ。事実に基づいた真実でなければならない、ということではない(事実なら、わざわざ自伝の形式から出た上で、仮構の様式である潜入型作者の声に入りこむことになってしまう)。また、自分の物語を用いて、くどくどと語れということでもない。真意としては、自分の惹かれるものについての物語であるべきだ、ということである。

問4.
 秋風爽やかな昼下がりの午後、白羽高校弓道部の月例会は佳境を迎えていた。部内規模で月に一度行われるこの練習試合は学年を問わない自由なチーム編成や、部員たちの技術向上や調整を兼ねており試合中でもどこか和気藹々とした雰囲気が流れている。しかし、この瞬間だけは公式試合にも劣らぬ緊張感が道場に満ちる。気候とは裏腹に静かな熱気が高まる今、本日の個人一位決定戦が始まろうとしていた。
 一の立、久世未可子。
 二の立、入江詩織。
 参加者の二人は静々と射位へ進む。二年生の久世は部内でも屈指の実力者、物静かで大人しい性格で的中だけではなく作法を重んじ、後輩への指導も丁寧で多くに慕われる人格者だ。対する入江は一年生ながら目覚ましい成長と成績を見せる明るく活発な期待のルーキーである。そしてこの入江は久世を慕う者の一人であり、早朝練習や居残り練習を共にする姿がよく見られている。気心の知れた仲同士の決勝争いとあっては部員たちの注目を集めるのは必定だった。
 一位決定戦の内容は到ってシンプルだ。参加者が矢を放ち、外した者が去っていき、最後の一人になるまで続ける射詰め(いづめ)と呼ばれる方式である。本来なら各々が自分のタイミングで射ることになっているが、白羽高校では独自の方式として立の順番通りに射ることになっていた。これにより先の者は嚆矢となる重圧と戦い、後の者は先の結果に応えなければならない胆力が試される。
 久世はこの方式が気に入っていた。久世にとって的中とは祈り願うものではない。日々の鍛錬や技術の積み重ねの結果が的中であり、彼女が作法を重んじるのもその『解』を求める『式』の精度を可能な限り高めたいからだ。だが白羽の競射は他者の要素を否が応にも介入させる。そのノイズと如何に対峙するのか、久世はそこに楽しみを見出していた。
 そうして放たれた久世の一射は吸い込まれるように的中した。続く詩織はこれに応えなければならない。
 憧れの存在である久世と決勝を争う、そう決まった時は喜びが先行していたが、競射が近づくにつれそれは緊張へと変わっていた。それは今や最高潮に達している。鼓動は早鐘を打ち、呼気は荒い。久世に無様な姿は見せられない、詩織はその一心で身を奮い立たせた。 
 詩織の射技は久世直伝のものだ。彼女の言葉通りに、教え通りに引けば的中する。詩織はそう確信していた。あの時の一射を思い出せ。
 意を決した渾身の一射は図らずも的中した。じわりと喜びと安堵が詩織の胸中に浮かぶ。まだ競射が続けられることが何よりも嬉しかった。恐らく久世には勝てない、だがその背中を可能な限り追い続けたい。少しでも長く続けたいと願った。
 久世もまたこの時、嬉しさを感じていた。久世にとって詩織の的中は、無人の世界に問いかけた質問に応える声に等しく、自身の的中以上のものだった。
 そしてその相手が詩織であることが何よりも嬉しかった。詩織に教えた弓道は久世自身のものだからだ。
 柄にもなく作法にはない所作で詩織の方を見てしまった。
 目線の先には驚きと安堵、そして祈りの感情があった。それは恐らく自身の瞳にも……。
 ぶつかり合った視線に当然言葉はない。言葉はいらない。お互いに理解できたから。
 二人にできるのは二十八メートル先へ思いの丈を放つことだけ、それだけで良かった。


これまで7章で書いてきた文章を「潜入型」の視点で描きなおす。潜入型視点は聞きなれない表現だと思うが、いわゆる神の視点・全知の視点のことになる。
誰の心情にも入り込めるし、誰も観測する者がいない事象の描写もすることができる。自由度が高いはずなのに個人的にはすごく苦戦した。登場人物の視点に入り込むのが書きやすいのだが、問3の傍観者の視点で人称は違えども、内面描写をかなりしたのでそれと差別化させたかった意図もある。合評会で出された潜入型の視点は登場人物に感情移入させたり、人物にフォーカスをあてる語りには不向きで、ファンタジーやSFのように背景や設定を披露する必要がある語りには向いている、という意見はその通りだと思った。

過去や背景にボリュームがさけない現代劇ので、今作では弓道のルーリングや登場人物のスタンス等をその代用としたため、全体的に前回までに比べ固い印象を与えてしまっていると思う。前半部分が特にその傾向にあるので、後半から徐々に感情面を押し出して、”エモーショナル”な味付けで締めた。


講評覚書

・良し悪しはともかく固くなった。人物から距離を取った描写。実況的な雰囲気。ニュートラルな語り。
・本来なら会話などで語られがちな、登場人物たちのコミュニティ内での立ち位置等を課題文で語るならこう描くのか、という新鮮味。
・キャラクターに寄った話から弓道に寄った話になったな、という印象。百合モノ→青春スポーツジャンルの中に百合がでてきた印象。
・視点の切り替えと場面の切り替えを同時にこなすのが面白い。設定が読みやすさを呼び込んでいる。
・『無人の世界に~』潜入型視点ならではの詩的な表現、自覚していない感情や無意識を言語化できる”エモ”さ。
最後の二文、二人で同一の視点を描くのは関係性を描けている。


棚ぼた百合がいちばん嬉しい。


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