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プログラミングが私に与えてくれたもの

たぶん人生そのものだと思う。

大袈裟だと思われるかもしれないけど、プログラミングが、コンピュータが、インターネットがあったから今の自分がいる。
プログラミングは私にいろんなものを与えてくれた。作ったものをみんなに使ってもらう楽しさ、パズルのような問題を解くおもしろさ、誰かの役に立つ喜び、人生の可能性、選択肢、大切な子供達、友人達。

プログラミングに初めて触れたのは、中学の技術の授業だった。
BASIC で絵を描くというかんたんな課題である。
しかし当時の私には全然分からなかったのだ。全然分からなかったのにも関わらず、授業を終えたあと、「自分はこれでごはんを食べていくのだ」と強く決意したことを覚えている。今振り返るとまったく意味不明である。
ただ漠然と、「分からないけどもっと知りたい」という欲求と、「これからの時代はこういう技術が世の中をよくしていくのではないか」という期待があった。

その後は HTML から始まり、JavaScript、COBOL、Perl、VisualBasic、C、Java、アセンブラなどをこねくり回して遊んでいた。かんたんなアプリケーションを作ってホームページ上に置いたり、友人達に配ったりもした。フリーウェアも公開した。当時よく発行されていたフリーウェアの雑誌に掲載してもらったり、 Web 上で取り上げてもらったこともあった。
当時書いたプログラムは本当にひどくて見返したくもないが、何かを作り、誰かに使ってもらえることは本当に楽しかった。

そうこうしているうちに、お腹の中に子が発生した。
当時まだ十代だった自分は正直戸惑ったが、この子に会いたいと思った。
顔を合わせて、こんにちはって言って、手をとりたいと思った。

一部の大人からは「社会人経験もない子供が、子供を育てられるわけがない」と何度も何度も繰り返し言われた。今ならそう言いたくなる大人の気持ちも理解できるのだけど、当時の自分はそれらに対して「私はできます!」と啖呵を切ったのである。世間を知らないというのはある意味強い。

私としてはまったく無策で「できます!」と言ったつもりはなく、「自分にはプログラミングやコンピュータの知識が多少ある」というちょっとした裏付けのようなものがあった。これがなかったらあそこまで強気には出られなかったんじゃないかと思う。
なお実母は「女が子を産みたいっていうんじゃ仕方ないわねー」というノリだった。実母にはこういう謎の胆力があり、素直に尊敬している。

その後もいろいろあったけど無事子供と会うことができ、もう一人の子供とも会えて、十数年経った今も二人と一緒に暮らせている。
私もプログラマとして就職し、今現在もプログラマとして働いている。
当時から今まで、数え切れないくらいたくさんの人達に支えてもらった。
支えてくださっている皆さんには本当に感謝している。

幸いなことに今でもプログラミングは楽しい。
プログラミングは、コンピュータは、インターネットは、今でも私にとって純粋に楽しいものであり、作る喜びを与えてくれる存在であり、子供二人と夫に会わせてくれた恩人達(?)でもある。

プログラミングが私に与えてくれたものはあまりにも大きすぎた。
そしてこれからもきっと、いろんなことで私を楽しませてくれると思う。
十四歳の私をどきどきさせた謎の期待は、今もずっと続いている。

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