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日記代わりの短歌(2024年1月)

日記代わりに残している短歌、2024年も続けていきたい気持ち。
1月分を見返してみたら、年始にしてはわりとのんびりと過ごせた気がします。




氷雨ふるアスファルトよりなお深き鴉の濡れ羽のカラーコードは

よく見かけるはずなのに、ふいに近くにいるとぎょっとするんですよね、カラス。うすぼんやりした冷たい雨の日に近くで見たカラスの羽の色はぞっとするぐらいに目を惹きました。"鴉の濡れ羽色"は黒髪の褒め言葉として使われるけれど、どう頑張ってもあの深い青や翠を帯びた不思議な黒色は再現できない気がする。


かたわれの仕事守に背を預くここが僕らの聖地たるまで

今年は仕事を粛々と頑張る心づもりで、初詣の神社で買った仕事守。(ちょうど名刺入れに入るサイズでデザインもとても素敵だった。)同じ仕事守を買った友人と「これで私たちが仕事で大成功したら、この神社を聖地にしようぜ」なんて笑いつつ。それぞれの人の心の中にある、静かな情熱を預かってくれるお守りの文化、どうかなくならないでほしい。

箱庭で個性の額縁外されたしあわせの赤い不定形群

アニッシュ・カプーア展に行った日。赤黒い造形物が部屋の中に無造作に配置されていて、ひとつひとつまじまじと見てしまいました。部屋の中にあるすべての作品にタイトルはなくて。私たちは結局のところ、ぬるま湯でふやけた血と肉の塊で、その不定形さひとつひとつに個性というタイトルをつけたがっているだけなのかもしれない。

睡蓮を描く貴方の横に座し四季も晴雨もここで知りたい

モネ展に行った日。同じ風景を時間帯や季節を変えて何枚も描く「連作」の手法がモネ自身の眼差しを表しているようで、隣に座っていつまでも眺めていたいと思いました。有名な「睡蓮」の絵は晩年のモネの視界そのものだそうです。近くで見れば見るほどぼやけてわからなくなるけれど、目の前の景色を美しいと感じていたことは強烈に伝わってくる、視界を強制ジャックされるような心地よさに終始ふわふわしてしまった。


去年はどんな年だっただろうか、2024年はどんな年にしようか、と、遠くぼんやり考えながらも、まだ自分の中のゲージが回復しきっていなかった年末年始。

好きな場所やものに積極的に触れて、美しさとかあたたかさとか、そんなものがたくさん入った回復ポーションをじっくり飲み干すような1月でした。

ぼちぼちエンジンかけられるように、引き続き心身ともに無理せずいきたい気持ち。健康第一!

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