日記代わりのこれまでの短歌(202104~202311)
2021年くらいから、日記代わりにちょこちょこと残している短歌。
これまで専用のインスタアカウントに写真と一緒に投稿していたのですが、短歌を写真と一緒に置くのはちょっとずるしている気がしたので、言葉だけで残していくことにしました。
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あこがれを飾りつづける額縁よ選択範囲にオブジェクトなし
新居に引っ越したばかりのころ、おしゃれな部屋にしようとして大きな額縁を買ったのだけど、数カ月間ずっと何も飾らずにいました。自戒。
薫風に振り子のごときバスタオル干しっぱなしの持ち主に似て
基本的に洗濯物は外に干したいタイプ。回収するのを忘れて宙ぶらりんのバスタオルだけがベランダに残っていて、こういうゆらゆらてきと~な生活してるのが自分のよくないところだよなあ、とか思いながら重い腰をあげた記憶があります。
コンテナのピンクのドアの並びしがえらびどこでもゆけとばかりに
家の近所を散歩していた時に見つけた貸倉庫?なのかな。形も大きさも同じピンクのドアがずらっと縦横に並んでいて、ドラえもんのひみつ道具を思い出しました。この中から好きなドアを選んで開けたら、どこへでも行けるだろうかと。
この風とアイスは最寄りの二軒先磨いた自転車のひかり増す午後
自転車で近所をうろつくのにはまっていた夏。偶然見つけた少し遠くのカフェで食べたアイスが美味しくて、こころなしか自転車も誇らしくかがやいてみえました。
水やれば自粛の友は葉を増やすそうねおまえは密でよいもの
コロナの波がまだ収まらず、家でひとり過ごしていたころ。育てていた観葉植物だけは元気で。もりもりと茂っていく様子が多少の救いになっていました。
葉桜の茂りたりしあいだよりパズルピースのごとき青空
元気有り余る緑の葉桜を下から見上げていた散歩道。木漏れ日と言うにはあまりにもくっきりしていて、指でつまんだらどこかにぱちっとはまってくれそうな気持よさがありました。
たまゆらのところせましやとうもろこし我が手に落つるお日様の子よ
ぴっかぴかのとうもろこしを1本まるごと食べた日。夏は基本的に苦手なのだけど、これにはさすがに太陽へ感謝せざるを得なかった。
この星の僕らは宇宙のイシを蹴るその輝きを知りもせぬまま
上野で宝石展を見た日。ブラックライトをあてるとぼわあと光る鉱石群があって、宇宙の星のようできれいでした。でもブラックライトを消すとただの石ころと変わらなくて。私は普段、何気なく蹴った小石の価値を考えることがあっただろうか、と。知らないだけで見逃している美しさが、この世にどれほどあるのでしょうか。だからこそ美術館や博物館が好きだし、これからもできる限り足を運びたい。
失くしては探せど光らぬ額上の眼鏡のごとし生きる意味など
自分の存在価値や、なんのために生きるのかを考えるたびに、「すでにそこにあるものを探している」ような感覚になります。頭の上に乗っていることに気づかず「めがねめがね……」と探してしまうあのネタ、今のアニメや漫画にはもう出てこないのかな。
深夜2時遠赤外線つつまれてマシュマロのごとくとろり死ねたら
友人たちと焚火を囲んでいたとき。じっくり焼かれてとろんとふやけるマシュマロが妙に幸せそうに見えました。自分の輪郭を保つのに精一杯の日々からいつか解放されて、なにかあたたかいものに包まれてへにゃへにゃと消えていきたい。
店先に並ぶことのない高嶺の花摘まれなければ枯れてゆくだけ
仕事ができて美人で自立している友人は、周囲からのイメージに反して寂しがり屋で臆病で繊細で。高嶺の花という褒め言葉も、本人にとっては違う意味を持つのだろうと思います。ちょっとこの世の中、残酷すぎる。
20231204.
2023年も残りあと1か月になってしまいました。
目まぐるしいけれど、自分の半径数メートルぶんくらいの日常は大切にしながら走り切りたい。
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